プーチン政権による暗殺か:ロシア反体制派指導者ナワリヌイ氏の突然の死(藤谷 昌敏)

政策提言委員・金沢工業大学客員教授 藤谷 昌敏

報道によると、ロシアの反体制派指導者アレクセイ・アナトーリエヴィチ・ナワリヌイ氏(47歳)が刑務所内で死亡した。

ナワリヌイ氏は、「散歩の後で体調不良を訴え、そのほぼ直後に意識を失った」とされ、医療チームも蘇生できなかった。死因については、「突然死症候群で事件性はない」と説明されたが、ナワリヌイ氏の支持者らは「指導者を失ったが、理想や信念は失っていない」として陣営の活動継続を表明し、「政権がナワリヌイ氏の死を望み、(毒殺未遂に遭った)3年前の計画通り、殺害した」と強く反発した。

2021年3月の時点で、ナワリヌイ氏はモスクワ郊外のウラジーミル(Vladimir)州ポクロフ(Pokrov)にある第2矯正労働収容所に収容されていた。同収容所は、ロシアに600余りある矯正労働収容所の中でも特に悪名高い施設の1つだった。

友人や弁護人らが昨年12月、同氏と連絡が取れなくなったとSNSに投稿したが、その約3週間後に、北極圏に位置するヤマロ・ネネツ自治管区ハルプにある収容所IK-3に移送されていたことが分かった。この収容所は、モスクワから北東に約1,900キロ離れた永久凍土の地にあり、別名「極地のオオカミ」と言われ、特に冬の間はロシアでも屈指の過酷な環境下にあるとされる。

ナワリヌイ氏の広報担当者は「この刑務所は以前の場所よりもずっとひどい環境にある。当局はナワリヌイ氏の生活を極限まで耐え難いものにしようとしている。同氏を孤立させ、外部との連絡をより困難にしようとしているのは間違いない」と非難していた。

プーチン氏との長き闘い

ナワリヌイ氏は、2009年以降、ドミートリー・メドヴェージェフ、ウラジーミル・プーチンへの批判などから国内のメディアで注目を集めた。西側のメディアにおいても、「ウラジーミル・プーチンが最も恐れる男」と紹介され、「世界で最も影響力のある100人」にロシア人では唯一ナワリヌイ氏が選ばれた。

アレクセイ・ナワリヌイ氏(2011年撮影)
Wikipediaより

2011年12月、ロシアの下院議員選挙の直後、選挙に不正行為があったとする6,000人の反政府デモが起こり、ナワリヌイ氏も参加した。翌、2012年の大統領選挙では、プーチン大統領に対して結束するよう市民に呼び掛け、大統領選挙出馬に向けて5万人規模の大規模なデモを組織化して、「今すぐクレムリンを乗っ取るのに十分な人数が集まった」などと主張した。

2012年7月、ナワリヌイ氏は横領罪で起訴され、禁固5年の判決が下された。この起訴はナワリヌイ氏がモスクワ市長選に立候補することを阻止するために行われたとされ、米国をはじめとした西側諸国から厳しく批判された。その後、異例の処置で釈放され、9月、モスクワ市長選に出馬して、予想以上に善戦したと言われる。

2014年12月、ナワリヌイ氏は、フランスの化粧品会社イブロシェへの詐欺罪で懲役3年6ヶ月(執行猶予付き)を言い渡された。彼はこの判決を受けてモスクワでの無許可デモを呼びかけ、自宅軟禁命令に反して自宅を脱出したため、当局に拘束された。

2017年には、ナワリヌイ氏の呼び掛けにより、プーチン大統領の退陣を求めるなど3回のデモが行われ、延べ8,000人以上が参加して1,000人以上が逮捕された。ナワリヌイ氏は、2018年のロシア連邦大統領選挙に向けて立候補届を提出したが、選挙管理委員会は刑事事件で有罪判決を受けているため資格が無いとし、立候補は無効との判断を下した。

毒殺未遂事件

2020年8月20日、ナワリヌイ氏が西シベリアのトムスクから旅客機でモスクワに向かう途中で体調不良に陥ったため、旅客機はオムスクに緊急着陸し、オムスク市第1臨床救急病院に収容された。

その後、ドイツのベルリンにあるシャリテー・ ベルリン医科大学に飛行機で輸送された。8月24日、ドイツの医師団は、ナワリヌイ氏がコリンエステラーゼ阻害剤による神経剤ノビチョクを盛られたという証拠を発見したと発表した。ノビチョクは、これまでも複数の暗殺事件に使用された神経剤で、ロシア情報機関による暗殺部隊が常用していたとされる。

この事件では、容疑者としてロシア情報機関FSB職員8人が公表されたが、プーチン大統領はこれを否定し、「ナワリヌイが米国の情報機関から支援を受けていたため、FSBによる監視をせざるを得なかった。毒を盛るなら、殺害していただろう」と述べた。

なお、2021年2月には、ナワリヌイ氏の治療に当たったオムスク救急病院の副医長だったセルゲイ・マキシミーシン医師が突然死したと発表され、ロシア情報機関による口封じだったと言われている。

身の危険をいとわないプーチン政権との対決

ナワリヌイ氏は、毒殺未遂事件により死線を彷徨ったにも拘わらず、「帰国しなければプーチン大統領が勝利し、目的を達したことになる」と対決姿勢を崩さなかった。2021年1月の帰国直後に拘束され、裁判で過去に受けた禁錮刑の執行猶予を取り消されて刑務所に収監された。収監後もSNSや動画を活用し、政権幹部の不正を追及し、21年1月に公開されたプーチン氏のものと主張する「宮殿」の暴露動画は、再生が1億回を超えるなど大きな反響を呼んだ。

ナワリヌイ氏は21年2月の裁判で「数百万人を怯えさせるために、1人の人間を投獄しようとしている」と政権を鋭く批判し、弁護士らを通じてSNSで発信を続けた

22年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻に対しても強い非難を続け、プーチン氏を「狂った皇帝」と表現し、「プーチンがウクライナに対して繰り広げた侵略戦争に気付かないふりをする臆病者」になってはならないと訴えた。21年に欧州連合(EU)欧州議会が人権や自由の擁護活動を称えるサハロフ賞を授与し、ノーベル平和賞候補としても名前が挙がっていた。

今回のナワリヌイ氏の突然の死は、ロシア国内にとどまらず、全世界に大きな衝撃を与えた。

死後、世界各地で追悼の集会が開かれ、特にロシアの首都モスクワでは、ソビエト時代の圧政による犠牲者の追悼碑にナワリヌイ氏の写真が置かれて市民らが献花し、サンクトペテルブルクでも追悼集会が開かれて、参加者がナワリヌイ氏の名前を叫ぶなどして警察が出動した。19日の新聞報道では、「17日までに首都モスクワや第2の都市サンクトペテルブルクなど32都市で計400人以上が拘束された」とある。

ナワリヌイ氏の死は、あまりにも悲劇的だったが、ロシアに残っている自由と民主主義の火を身を以て守った。ナワリヌイ氏の勇気ある行動を忘れることなく、意志を継ぐ者たちの闘いを根強く支援していかなければならない。

藤谷 昌敏
1954(昭和29)年、北海道生まれ。学習院大学法学部法学科、北陸先端科学技術大学院大学先端科学技術研究科修士課程卒、知識科学修士、MOT。法務省公安調査庁入庁(北朝鮮、中国、ロシア、国際テロ、サイバーテロ部門歴任)。同庁金沢公安調査事務所長で退官。現在、JFSS政策提言委員、経済安全保障マネジメント支援機構上席研究員、合同会社OFFICE TOYA代表、TOYA未来情報研究所代表、金沢工業大学客員教授(危機管理論)。主要著書(共著)に『第3世代のサービスイノベーション』(社会評論社)、論文に「我が国に対するインテリジェンス活動にどう対応するのか」(本誌『季報』Vol.78-83に連載)がある。


編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2024年2月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。