「福澤心訓」についての雑感

本ブログでは下記「福澤諭吉心訓七則」に関し、私見を申し上げておきたいと思います。

一、世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事を持つという事です。
一、世の中で一番みじめな事は、人間として教養のない事です。
一、世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事です。
一、世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です。
一、世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決して恩にきせない事です。
一、世の中で一番美しい事は、全ての物に愛情を持つ事です。
一、世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です。

此の「福澤心訓」ということでは、『[慶應義塾豆百科] No.98』に次の指摘が載っています――残念ながらこの心訓は福澤先生の言葉ではない。どこかの智恵者が勝手に、それもどうやら戦後になってしばらくしてから作り上げ、それをさも先生の発言であるかのように「福澤心訓」などと勿体らしく銘打ったにすぎない真赤な偽作である。そう思って読むと、この心訓にはなかなか味な表現がある。

末尾の一項「一、世の中で一番悲しいことは嘘をつくことである」と。この心訓の作者は、最後に「嘘」をつくことは「世の中で一番悲しいこと」だと、自ら記したのは、皮肉といえば皮肉である。

「一番さびしい事は、する仕事のない事」とありますが、世の中には仕事があっても寂しい人は数多います。また「一番美しい事は、全ての物に愛情を持つ事」とありますが、悪人全てに対しても愛情を持つとは如何なものかと思います。あるいは「一番みじめな事は、人間として教養のない事」とありますが、所謂アカデミズムの中の一定のカリキュラムを経たら教養あり、としているのであれば大間違いです。大学の学歴は無くても実社会の中「人のふり見て我がふり直せ」で色々身に付けて行くことは沢山あります。

例えば、素晴らしい人との出会いが人を急成長させる切っ掛けになり得ます。自分より優れた人間を見た時その人を敬する心を持つのと同時に自分がその人間より劣っていることを恥ずる心を持つということ、此の「敬と恥」が人を変える一つの原動力になるのです。之については敬があるから恥があるというふうに言えるもので、人間誰しもが持っている一つの良心と言っても良いかもしれません。

上記の、尤もらしい言葉の羅列一つ一つを見て行くと、「そういう見方もあるけど、それは真理かなぁ…」といった具合に、全項で疑問の余地が出てきます。私自身「福澤心訓」なるものを何かの書物で読んだ時、「先生の言葉ではないな」というのが直感でした。それは遡ること55年、大学に入る前のことでした。


編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2024年2月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。