ロシアの著名な反体制派活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏の追悼式とミサが1日、モスクワ南東部の教会で行われ、その後、近郊のボリソフ墓地で埋葬された。外電によると、ロシア当局はナワリヌイ氏の追悼式会場の教会や墓地周辺の広範囲を封鎖し、開始の数時間前には通行人をチェック、インターネットを遮断した。にもかかわらず、ドイツ民間ニュース専門局ntvによると、数千人の国民が追悼式と葬儀に参加し、教会まで2キロ余りの参加者のラインが出来たという。
ナワリヌイ氏の棺が運ばれた霊柩車が教会前に到着すると、待機していた人々から「ナワリヌイ、ナワリヌイ」という声が出、拍手が起きた。
それに先立ち、ロシア当局はナワリヌイ氏の遺体をシベリアの流刑地の安置場からモスクワに運ぶ際、葬儀業者に「遺体の運送に関わるな」と脅迫。葬儀、告別式に参加した国民はナワリヌイ氏と同様、「過激なグループのメンバー」と見なされ、拘束されるといわれてきたが、多くのモスクワ市民はナワリヌイ氏に最後の別れを告げるために集まった。
ナワリヌイ氏のチームは1日、教会での追悼式をユーチューブでライブ中継し、数十万人のロシア国民がその画像を追ったという。ただし、ユーチューブの動画が一時途絶えるなどの妨害工作を受けた。ナワリヌイ氏の報道官は、「出来るだけ多くの国民が葬儀に参加し、強権政治を続けるプーチン大統領への抗議の意思を表明すべきだ」と呼び掛けていた。なお、葬儀にはモスクワ駐在の欧米大使たちの姿も見られた。
ナワリヌイ氏は先月16日、収監先の刑務所で死去した。47歳だった。明確な死因については不明だ。同氏は昨年末、新たに禁錮19年を言い渡され、過酷な極北の刑務所に移され、厳しい環境の中、睡眠も十分与えられず、食事、医療品も不十分な中、独房生活を強いられてきた。刑務所管理局(FSIN)は同日、「ナワリヌイ氏は流刑地で散歩中、意識を失って倒れた。救急車が呼ばれ、緊急救命措置が取られたが無駄だった」と説明している。死亡診断書には「自然死」と記載されていたという。
ナワリヌイ氏の死後、収監先の刑務所は同氏の遺体を家族側に引き渡すことを拒否してきた。ナワリヌイ氏の母親リュドミラさんは先月22日ようやく息子の遺体に対面できた。リュドミラさんの説明によると、ロシア当局はナワリヌイ氏の密葬を要求したという。
一方、ナワリヌイ氏の葬儀の前日、プーチン大統領は29日、モスクワで年次教書演説をし、内外の政策について説明、ウクライナ戦争への国民の支持を呼び掛ける一方、ウクライナを武器支援する欧米諸国を厳しく批判したばかりだ。
ナワリヌイ氏の妻、ユリア夫人は2月22日、訪問先の米サンフランシスコでバイデン米大統領と面会し、28日にはフランス東部ストラスブールの欧州連合(EU)欧州議会本会議で演説し、プーチン大統領を名指しで「ロシアの現状と私の夫の死の責任はプーチンにある」と批判し、「彼は血が滴れるモンスターだ」と呼んだ。
ナワリヌイ氏は2020年8月、シベリア西部のトムスクを訪問し、そこで支持者たちにモスクワの政情や地方選挙の戦い方などについて会談。そして同月20日、モスクワに帰る途上、機内で突然気分が悪化し意識不明となった。飛行機はオムスクに緊急着陸後、同氏は地元の病院に運ばれた。症状からは毒を盛られた疑いがあったため、交渉の末、2020年8月22日、ベルリンのシャリティ大学病院に運ばれ、そこで治療を受けてきた。ベルリンのシャリティ病院はナワリヌイ氏の体内からノビチョク(ロシアが開発した神経剤の一種)を検出し、何者かが同氏を毒殺しようとしていたことを裏付けた。ナワリヌイ氏は2021年1月17日、ドイツのベルリンからモスクワ郊外の空港に帰国直後、拘束され、昨年末、新たに禁錮19年を言い渡された。
エリザベス英女王が亡くなった時、多くの国民が女王に最後の別れを告げるために長い列を作った。ウェストミンスター寺院まで7キロ余りの長い列ができた。英メディアは「エリザベス・ライン」と呼んだ。同じように、安倍晋三元首相が射殺された後に挙行された国葬では、同じように人々の長い列ができた。それは“アベ(安倍)ライン”と呼ばれた。そして今回、プーチン政権の強権の犠牲となったナワリヌイ氏の追悼式に2キロ余りの列ができた。これを“ナワリヌイ・ライン”と呼びたい。追悼式に参加した人々からは「ロシアに自由を」「愛は恐怖より強い」といった声が飛び出していた。ナワリヌイ・ラインを見て、クレムリンの主人プーチン大統領はどのように感じただろうか。
「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」(「ヨハネによる福音書第12章24節)というイエスの言葉を思い出す。ナワリヌイ氏の犠牲が近い将来、ロシアで豊かな実を結び、ロシア国民が独裁政権から解放されることを願う。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年3月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。