先日、イギリスの友人が来訪、二人して東京見物を楽しんだ。JR新宿駅の湘南新宿ラインのプラットホームで電車を待っていた時、友人が突如「セクシーすぎる!」と言った。一体何のことか訳がわからず尋ねると、英語によるアナウンスの女性の声だという。英語案内がセクシーだなんて初めて聞いたので、たじろいだ。
しかし、改めて耳をそばだててみると、確かにそうだ。よく響く美しくも甘い声、語尾が上方に抜ける感じが妙に色っぽい。友人はケンブリッジ大学の歴史学教授、女性史やジェンダー分析が専門のフェミニストである。私も及ばずながら見方、考え方は友人と同じだ。セクシーとの印象は、我われのバックグラウンドが影響しているかもしれない。
友人によると、彼女のもとにやって来る日本の女子留学生は総じて声のトーンが高く、やや上擦ったような喋り方をする傾向にある。他の学生の声が低く抑え気味のため、目立つらしい。しかし、日が経つにつれて、彼女たちの声も次第に低くなり、周囲に溶け込むという。
日本では、女性の声は高く、ソフトで甘めなほうが好まれる。敢えて教えられるわけではないが、そのほうが望ましいという風潮がある。しかし、少なくとも欧米では高く甘い声は公共空間では好まれない。とりわけ、政治やビジネスにおいて活躍しようという女性は、低く、抑制の効いた声を心がけると言われている。
たとえば、イギリスのマーガレット・サッチャー元首相は女性的な地声を矯正し、低い声を出すように努めた。また、最近では医療ベンチャー企業「セラノス」を立ち上げ、若き女性経営者として一時は飛ぶ鳥を落とす勢いであったものの、巨額の詐欺事件が発覚、実刑判決を受けたエリザベス・ホームズも女性らしからぬ低い声を使いこなした。ホームズがヘンリー・キッシンジャー、ルパート・マードックといった政財界の大物を社外取締役に就任させることができたのも、彼女の低音が彼らの信頼を高めたと指摘されている(Alex Peters “Unspoken Phenomenon,” 10th March 2022)。
欧米では元々リーダーシップと低音が結び付けられてきた。1960年から2000年までの8回の米国大統領選挙では、より低い声の候補者が一般投票を制している(“Study advises politicians to lower their voices,” 14 Nov. 2011)。同じく米国の大企業の最高経営責任者(CEO)792人の声の高低を調査した研究では、より低音の声の者のほうがより高い収入を得ていたことが明らかになった(“New Research Finds There May Be a ‘Million Dollar Voice’ for CEOs,” April 17. 2013)。
なぜ政財界のリーダーに低音が求められるのか。進化心理学者は、遠い昔人類が部族に分かれて暮らしていた時代、狩猟や部族間の争いにおいて必要とされたのが身体の大きい屈強な男性で、自ずと彼らがリーダーになった。大きな男性の声は一般的に低いバスなので、やがて低音がリーダーシップを表象するようになり、それが今日においても残っていると説明する(“New study finds a lower voice adds credibility to leadership, depending on gender,”08/25/22)。つまり、人びとは低音の人のほうがリーダーシップに長けていると認識するのである。
リーダーの声は低音であるべきという通念が女性にも適用され、政財界における女性の出世の必須アイテムになった。さらに、サッチャーやホームズのように低音を武器にする女性も現れた。
ところが、最近、女性リーダーには必ずしも低音が求められていないという研究結果が報告された。カンサス大学のMidam Kim博士は、CEOの声の高低とかれらへの信頼度の関係をクロスさせた実験を行い、男性CEOでは低音ほど信頼度が高い結果になったが、女性の場合相関性は明瞭ではなかったという結果を得た(“New study finds a lower voice adds credibility to leadership, depending on gender,”08/25/22)。
博士は、人びとは男性リーダーには自己主張が強く、他者をコントロールするような支配的なリーダーシップを求めるのに対し、女性では親切かつ同情的で、他者への助力を惜しまない協調的なそれを期待するのではないかと分析している(“Women don’t really need to lower their voices to be taken seriously, says University of Kansas study,” Oct 30 2022)。
もっとも、これはこれで、「男性は強く、女性は優しく」といった伝統的ジェンダー観に基づく期待のようで、釈然としないが、まあ女性がステレオタイプな男性リーダーの真似をする必要はないという点には賛成できる。要は、場所や時間をわきまえ、その場の雰囲気に相応しい声のトーンを心掛けることであろうか。
さて、件のJRのアナウンスの声、個人的には決して嫌いではないが、聞く度に気恥ずかしくなるような気がする。実際、外国人はどのように感じているのだろう。知りたいところだ。