高次な使命としての「戦争」はあり得るか

世界宗教と呼ばれている宗教は基本的には平和をアピールし、戦争、紛争の停止を呼び掛けるものだ。ウクライナ戦争でもイスラエルとパレスチナ自治区ガザのイスラム過激テロ組織ハマスとの戦闘でもそうだろう。宗教指導者が戦争を鼓舞するような発言を繰り返すならば、人々は首を傾げて「なぜ」と問いかけるだろう。このコラム欄でロシア正教会最高指導者キリル1世がソ連国家保安委員会(KGB)出身者だと指摘したが、ここでは宗教指導者としてキリル1世の「戦争の論理」を振り返ってみる。

プーチン大統領とキリル1世 Wikipediaより

ドイツのミュンスター大学東方教会研究・エキュメニクス学部長のレジーナ・エルスナー氏は6日、カトリック教会系ラジオとのインタビューで、「宗教界がどのようにして戦争を承認できるのか」と問いかけている。エルスナー氏によれば、ロシア正教会、特に、モスクワ総主教キリル1世は何度も平和について語り、2014年のクリミア併合以来、10年間続いているロシアのウクライナに対する侵略戦争を平和の使命と受け取り、ロシアがこの地域に平和をもたらすと考え、これを達成するためには犠牲が払われる必要があると説いているのだ。

キリル1世はウクライナ戦争勃発後、プーチン大統領のウクライナ戦争を「形而上学的な闘争」と位置づけ、ロシア側を「善」として退廃文化の欧米側を「悪」とし、「善の悪への戦い」と解説するなど、同1世は2009年にモスクワ総主教に就任して以来、一貫してプーチン氏を支持してきた。キリル1世はウクライナとロシアが教会法に基づいて連携していると主張し、キーウは“エルサレム”だという。「ロシア正教会はそこから誕生したのだから、その歴史的、精神的繋がりを捨て去ることはできない」と強調、ロシアの敵対者を「悪の勢力」と呼び、ロシア兵士に闘うように呼び掛けてきた。

そしてキリル1世はプーチン大統領に「戦争の意義」を与えている。なぜ戦争が理にかなっているのか、なぜロシアが正しい側にいるのかという根拠を提示しているのだ。ロシア国民を戦争に動員するために、人々の心をプーチン大統領のナラティブ(物語)に向けさせ、戦争をより高次の使命と定義する。そのためキリスト教神学界からも厳しい批判が飛び出し、神学者ウルリッヒ・ケルトナー氏は「福音を裏切っている」とキリル1世を非難しているほどだ。

一方、プーチン大統領は2022年2月24日、ウクライナ侵攻への戦争宣言の中で、「ウクライナでのロシア系正教徒への宗教迫害を終わらせ、西側の世俗的価値観から守る」と述べ、聖戦の騎士のような高揚した使命感を漂わせた。

モスクワの赤の広場前には聖ウラジミール像が建立されている。モスクワ生まれの映画監督、イリヤ・フルジャノフスキー氏はオーストリアの日刊紙スタンダードとのインタビューの中で、「プーチン氏はクレムリン前にキエフ大公の聖ウラジミールの記念碑を建てた。聖ウラジーミルはロシアをキリスト教化した人物だ。クレムリンの前に聖ウラジミール像を建立するということは、ウクライナもロシアに属していることを意味するのだ。プーチン氏は自身を聖ウラジーミルの転生(生まれ変わり)と信じている。この論理は西洋では理解できないだろうが、ロシアでは普通だ」と説明している。モスクワ総主教は説教の中で、「プーチン大統領によって解き放たれた戦争は西側の同性愛者のパレードからロシアのクリスチャンたちを守る」と述べている。

プーチン氏は、西側の退廃文化に対する防波堤の役割を演じ、近年、正教会の忠実な息子としての地位を誇示してきた。同時に、莫大な国の資金が教会や修道院の建設に投資され、ソビエト連邦の終焉後はほとんど不可能と考えられていたロシア正教会のルネッサンスに貢献している。

プーチン氏とキリル1世を結ぶ点は、西側文化への拒絶とキーウ大公国の歴史的重要性だ。プーチン氏とキリル1世の同盟は、ロシアのキリスト教が西暦988年にキーウ大公国の洗礼によって誕生したという教会の歴史的物語に基づいている。ベラルーシ、ウクライナ、そしてロシアは、教会法の正規の領土を形成する兄弟民族だ、というわけだ。これはプーチン氏のネオ帝国主義的関心とほぼ一致している。

ロシア正教会の宗教的神話と政治イデオロギーが結合することで「宗教ナショナリズム」が生まれてくる。それがロシアのアイデンティティとなり、西欧文化、グローバリゼーションと闘うという論理が生まれてくるわけだ。エルスナー氏は「戦争を擁護する理由の一つが、ロシアにも蔓延し、教会が啓蒙している反自由主義イデオロギーの影響が考えられる」と説明しているほどだ。

旧約聖書に登場する神は単なる平和至上主義者ではなく、時には、多くの犠牲を払ってもその教えを貫徹してきた戦う神でもあった。歴史では宗教指導者が戦争を使命と受け取り、自身が正しい側にあると信じて戦いを始めるケースが少なからずあった。その結果、宗教の名(神の名)で最悪の蛮行、非情な戦争が行われてきたこともまた事実だ。

エルスナー氏によると、キリル1世やプーチン大統領は戦争を“より高次の使命”と受け取り、善の側に立つロシアが行う戦争は理にかなったものと考えているのだ。エルスナー氏は彼らの論理を「超越的な正当化」と呼んでいる。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年3月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。