わたしはなぜ被災地を旅するのか

先日「ホープツーリズム」について勉強する機会がありました。「ホープツーリズム」とは、福島県が提唱する新しい形のツアープログラム。

世界でもまれな複合災害(地震・津波・原子力災害)を経験した福島県がその教訓を未来の人たちに伝えて災害を自分ごととしてとらえてもらい、今後の日常生活や街づくりに生かしてもらうために学びの場を提供するツアープログラムで、これまでに企業研修や社会科見学などで活用されているそうです。

個人旅行での利用はまだ少ないようですが問い合わせすればツアーを企画・提案いただけるそうで、通常の旅行ではなかなか聞けない被災者の方や復興後移住してきた方、原発関連にお勤めの方などの話も聞けるのが特徴です。

福島県ホープツーリズム
ホープツーリズムとはふくしまの各分野で復興に正面から取り組んでいる「人」との出会いと共に「福島のありのままの姿」を実際に見て、聴いて、学んで、希望を感じてもらうツアーです。

個人旅行で被災地に行くことについては、物見遊山で行っていいものなのか、心が重くならないか、せっかく旅をするならもっと楽しい場所に行きたいなど抵抗を感じる方もいるようです。もちろんそういった意見も理解できますが、わたしは東日本大震災以後何度も被災地に足を運び個人旅行をしてきました。

東日本大震災・原子力災害伝承館

その目的はやはり「被災地のいま」を知ること。東日本大震災が起きた3月11日が近づくころは被災地や被災者の今を伝える報道が増えてきますが、それ以外の時期に復興の状況を知ることはなかなかできません。

双葉町にオープンした「東日本大震災・原子力災害伝承館」では津波や原子力発電所の事故の当時の状況や被害の状況を生々しく伝えています。いま、こういった情報は現地に行かないとなかなか知ることができません。

津波で流されたあと漂着したランドセル。津波被害をリアルに伝えます。

福島県初の震災遺構となった浪江町の請戸小学校は津波被害の凄まじさを生々しく残しており、わたしたちに津波対策の必要性を伝えてます。

羽田美智子さんが未来へ進む福島県浪江町へ[月刊旅色]2024年3月号
巻頭に羽田美智子さんを迎え、福島県浪江町を特集。ほか、岩手県の盛岡・八幡平エリアをピックアップ。レトロな町並みとユニークなグルメがたくさんある盛岡、雄大な自然が広がる八幡平の魅力を深掘りします。

「旅色」でも今回、福島県浪江町が取り上げられ震災遺構への旅を紹介しています。こういった写真や映像でも津波災害の悲惨さは伝わりますが、その場で被害に遭った建物を見なければそのスケールはわかりませんし、においや空気は感じてみないとわかりません。

かつては漁で暮らす人々が暮らした請戸地区は荒涼とした空き地となっています。ここ、浪江町を含む福島県浜通り一帯は一時全町が避難して立ち入り禁止となったため、岩手県や宮城県などの被災地と比べて復興が遅れています。また、車を走らせれば至る場所で帰宅困難区域があり通行止めの看板が見られます。こういった状況も実際行くことで初めてわかります。

人々が多く集まる道の駅「なみえ」に置かれる線量計。この地域が今も原子力災害禍の中にいることを静かに伝えます。

赴かければ知ることができない被災地のリアルないま。それを知るためにわたしは被災地への旅をしていますが、それだけでは自分の知識がアップデートされるだけで終わってしまいます。旅先で知ったことを友人たちに伝えるのはもちろんですが、わたしはこういったブログを書いていますので、被災地のいまをより多くの方に伝えて自然災害対策や復興支援に向けて何かしらの行動の変化につながればその役割は果たせたかなと思っています。

能登半島・見附島

わたしは平成3年、雲仙普賢岳が噴火した年の夏休みに雲仙温泉に旅をしています。雲仙温泉は普賢岳のすぐそこにありますが、実は溶岩の被害が出たのは島原半島東部であり温泉地に被害は殆どありませんでした。ですが夏の観光シーズンにもかかわらず宿泊者は私と素泊まりのライダー1人だけ。温泉旅館の女将さんから涙を流しながら感謝されたことは今も忘れられません。

今年の正月、能登半島を大地震と津波が襲いました。能登地方の被害は甚大でさすがにまだ旅に行ける状況ではありませんが、被害のなかった、または小さかった石川県南部や富山県でも旅行者数が落ち込んでいるようです。正しく恐れ、過度に旅行を控えない。復興支援のためにも旅先として選んで出かけてその地域に貢献をすることも大事だと思います。

2017年 陸前高田市「奇跡の一本松」。

3月11日。東日本大震災で被災した方のご冥福をお祈りするとともに、改めて自らの果たすべき役割を感じながら今日を生きていきたいと思います。


編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2024年3月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。