中国の負債額は誰も知らない
昨年12月、中国に投資している外国企業にとって、背筋が凍るようなニュースがダイヤモンド・オンラインに書かれた。
中国国内の債務総額は一体総額でいくらになるかは誰も見当がつかないのだが、中国の外からの観測による数字だけでも、想像を絶する金額になる。
こちらの記事によれば、地方政府が中心になって不動産開発の原資となっている融資平台の負債総額を含めると、中国政府の債務残高は分かっているだけで1,500兆円はあると言われ、実際にどれだけの額に上るか、誰も分からない状況だ。
ただしこの金額には、シャドーバンクと言われる民間の金融機関の負債額は含まれていない。
世界2位の中国のGDP総額は円換算で2,600兆円規模と言われているが、そもそもGDP総額にはこれら負債による不動産や地方インフラの建設が含まれる。つまり、実際には建設や着工されていない工事代金も含まれる。
中国の地方政府が発行した社債の直近の支払いだけで軽く100兆円はあると言われ、地方政府は借り換え債で乗り切る構えだが、その保証を中央政府が全て行うとなると、中央政府の債務は鰻登りになることは避けられない。
香港市場に上場している3,000社は、外資を得る目的として、各社の財務諸表を開示しているが、仮にその数字が本当であったとしても、利払いすら行えない財務状況であることが顕になっており、中国国内企業で同様、もしくはもっと酷い状況の企業がどれほどの数に上るかは、これも誰にも分からない状況だ。特に不動産関連企業は、既にかなりの数が賃金の未払い、工事着工の中断に陥っていると言われている。
むしろ怖いのは、中国経済がそのような苦境にあることに、中国国民は一種の諦めの感情があることなのだ。不動産価格の高騰を背景に資産形成を目論み複数の不動産を所有していたに関わらず、一向に進まないマンションや別荘地の建設に対して、一部の個人投資家はデモを行ったり銀行に取り付け騒ぎを起こしたりもしたが、それらの騒ぎはSNSの情報を遮断し、公権力で抑え込むなどして無かったことにされている。また、それらデモに参加すると個人を特定され、中国共産党から圧力をかけられる。
とどのつまり、投資による資産形成を目論んでいた中国国民は、再び、三度、毛沢東時代の中国を体験していることになる。
中国国民の「諦め」の本質とは何か?
中国も日本と同じ官僚国家であるが、というか日本の官僚支配制度の源泉は中国にあるのだが、そこには日本以上の無謬性が存在している。つまり中国共産党は、「官僚は間違えない」という不文律が存在していて、そこに絶対の統治権がある。
共産党が一党独裁であるが故に、国民には政治的選択肢が存在せず、だからこそ共産党は国家資本主義によって現代の中国国民を黙らせている。この点は、繰り返し拙稿で触れてきたことだ。今までよりいい生活をさせてやるから、文句を言うな、と言う態度だ。
国民に主権は存在しない中国らしい態度だと言える。
国家資本主義とは中国が考えついた浅はかな考え方だが、主権は中国共産党にあることは既に明らかで、事実、中国国内には資産1億円以上の富裕層が1億人いると言われているが、多くが中国共産党と強く結びついている。
以前に比べて中国は著しく賄賂の文化が減ったとは言いながら、それは形を変えて存在しているに過ぎない。公に賄賂なりが無くなったと言ったところで、国営企業の多くは決定権を中国共産党が有し、国家事業に関わる企業の多くは中国共産党員が経営している。国家予算と国家事業の多くが中国共産党員の経営する企業に富が流れる仕組みになっているのだから、ズブズブどころかただの特権階級に他ならない。
その上で、中国国民が中国共産党に対して反旗を翻さない理由は、「諦め」以外にあるだろうか?元々、鄧小平の改革開放以前の中国は、自分たちが豊かな国に住むことなど夢のまた夢だったろう。それが、30年かけて「豊かさ」の尊さを体験したことで、一見、上手くいっている国家運営を中国共産党に任せていたとして、仮にそれが失敗に終わったと国民が感じたとしても、既に中国国民に政治体制を変えるほどの気力が残されているようには見られない。
中国共産党が国家運営で反体制派を封じ込めることに成功したのが、この若者の無気力化ではないだろうか?ANNが取り上げた「漂流族」がまさにそれで、古くは人口爆発を懸念した「一人っ子政策」や、優秀な学生を生み出すことをやめた「宿題、学習塾禁止令」と国会資本主義によりかりそめの豊かさを経験させることで、特段努力を積み重ねなくとも、食べていくだけならそれほど難しい中国では無いと言う意識を植え付けることが出来て、より一層、若い世代の無気力化を進めることができた。
私が以前から言うように、一国の政変を抑え込む手法はそれほど多くはない。例えば、中国共産党が国民の政治的改革を望まなくさせる手法は、国民を豊かにすれば政治的な改革をしようと思う若い世代はいなくなる。日本でこれほど自称リベラルが政権奪取を画策しても支持率が低下する一方である原因は、少し考えれば分かる。
今の日本社会はデフレ脱却出来てないとか、実質賃金が上がらないと言ったところで、社会の安定感は他の先進国の比ではない。そんな安定した社会を壊してまで政権政党を変えようと、誰が思うだろう?また、日本国民は今の安定した日本社会は良くも悪くも自民党が作り上げてきたことを知っているし、無意識のうちに自民党が真のリベラル政党であることを知っている。だから、最大政党の無党派層が動かないのだ。
今の中国は、高度成長期直後の安定期からバブル崩壊前夜の日本に極めて酷似している。ただ、経済政策があまりに陳腐なので、弾けるバブルの大きさが日本とは桁違いに大きい。それはきっと中国国内の民衆も気づいている。気づいているが、どうにも出来ない。
日本のように自由で平等で民主主義が存在する国なら、主権者の国民が立ち上がることが可能だが、そもそも中国には自由も平等も民主主義も存在しない。それは毛沢東という独裁者が出て以後、中国社会に存在しない言葉になった。
古くは戦国時代でも同じことが言える。秦の始皇帝は民衆を解放したのではなく、殺しまくって当時の民衆を疲れ果てさせて抵抗する術を無くして、秦を樹立した。それが中国の歴史だ。
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以後、
・中国全人代は中国共産党の今を見通す指針
・「漂流」する中国
続きはnoteにて(倉沢良弦の「ニュースの裏側」)。