創造は組織に属さない個人から生まれるほかないから、働き方改革においては、組織と個人との間に自由で弾力的な関係を構想して、組織から創造を生もうとされている。個人の創意が創造になるためには、協働する人の集団が必要だが、この集団は、価値を共有する人の緩やかな集まりにすぎず、自治的な共同組織と呼ばれるのが一番相応しいが、片仮名でいえばコミュニティーである。
コミュニティー内の活動は、自己目的化した純粋行為なのであって、成果を志向していないし、すべきでもない。それが成果として認知されるのは、気まぐれな社会的評価に基づく偶然である。しかし、評価を得れば、それは必然として説明される。
故に、組織において、コミュニティー活動を認めるとき、経営の課題は、第一に、偶然たらざるを得ない社会的評価の成功確率を引上げることであり、第二に、偶然の結果を必然の成果であるかのように説明するために、成功神話を創作することにあるのである。
どうすれば確率が高くなるのか。いうまでもなく、それが文化的多様性、片仮名でいうダイバーシティーの問題であり、文化的教養、これも片仮名でいえば、ヒューマニティーの問題であり、総合して文化、片仮名のカルチャーの問題である。ダイバーシティー度が大きいほど、ヒューマニティーに深みと厚みがあるほど、成功確率が高くなるのであって、要は、文化を醸成することに帰着する。
では、どうすれば上手な成功神話を創作できるか。成功神話の共有は、価値の共有に通じるものがあって、組織にコミュニティーの生命力を吹き込むものである。これからの経営者に求められる資質は神話を創作する能力だが、その資質は文化の醸成によって形成されてくるものである。要は、資本から人的資本へということである。
企業における資本の論理こそ、組織の論理の代表である。資本は創造せず、人の創造を略奪するものです。これが初期マルクスの問題領域である。もはや、仕事の名のもとで人間が資本に使役される資本主義、片仮名のキャピタリズムは死んで、人間が復活し、人間が解放されて遊ぶ価値のコミュニティー、即ちコミュニティー主義、あるいは新コミュニズムへ移行しなければならない。
マルクスの誤りは、共産主義、即ちコミュニズムを構想することで、人間の解放に失敗したことである。ESGやSDGsなどの問題領域も、修正キャピタリズムを超えて、新コミュニズムのもとで、本質的な解を得ることであろう。
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森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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