自民党が揺れています。16日に開催した全国都道府県連幹部との会議ではこの手の会議として珍しく執行部への不満が爆発したとされます。そして翌17日の党大会では首相は謝罪から入るという下手下手の戦法で議員処分を茂木幹事長に指示しています。更に注目されるのが18日の政倫審で下村博文氏が出席する点です。下村氏は森元首相と因縁の関係があり、下村氏はこのところ冷や飯を食わされてきた立場です。そこでもってきてもっとことを複雑にしているのが岸田首相の発言です。15日の予算委員会で共産党の小池書記局長からの質問に対し、「来週の政治倫理審査会の弁明も踏まえた上で、党として関係者のさらなる聴取を行うかを判断する。関係者に森氏も含まれる」と述べている点です。
これらの切り口をみると今、自民党で起きていることは極めて大きな核分裂の前兆のように見えるのです。つい2年くらい前までは安倍派が自民党を実質牛耳る中で岸田首相は中継ぎ的な立場といっても過言ではなかったはずです。当時から次の首相候補の名前は5人衆の誰か、と取りざたされていたのですが、私は申し訳ないですが、5人衆は小物だと思っていたので絶対にないとみていたし、今でも変わりありません。また、徐々にその存在感が薄れつつある自民党のドン、二階俊博元幹事長の声が聞こえてこないこと、さらに二階氏の政倫審聴取の話も全然聞こえてこない点も不気味であります。
個人的に個別の動きとは別に自民党がどうなるか、大局でみると私は割れる可能性がわずかながら出てきたと思います。以前から「自民党は割ればいい」と理想を振りかざしてきましたが、今、それが現実になる可能性が10%ぐらいある気がします。理由は安倍派、それに二階氏が今の執行部に極めて不満を持っており、一枚岩の自民党とは到底思えない点です。仮に割りたいなら割ったらよいでしょう。安倍派を中心とした勢力として政党を立ち上げたらよろしい。そこでどれだけの支持が得らえるか、国民に判断してもらったらよいでしょう。コアな支持者はいるはずですが、しばらくは相当厳しいと思います。
日本の政党を語るとき、自民党中心の戦後が長すぎました。とはいえ、一時的に自民党が下野した際、政権担当政党のちぐはぐさと国民の不満も記憶にある人が多いでしょう。今の野党には政権をつかさどる能力も人材も経験もバランス感覚もありません。これは断言します。とすれば同じ中道からやや右と中道右派の相互が刺激を与えあって双方が切磋琢磨し競争した方が良いのではないでしょうか?
では岸田氏の立ち位置である中道ど真ん中ないしやや右に対して旧安倍派の中道右派ではどちらが時代のニーズに適っているかといえば外交を別にすれば中道のど真ん中が日本には心地よいとみています。これは「人の上に人を造らず」のポリシーが日本人の根本であり、日本の平等主義はイスラム教にも匹敵するほどのバランス感覚を持っていると感じています。
日本で憲法9条の問題が異様に盛り上がるのは戦後の平和ボケという話ではなく、日本人の平和主義は信念なのです。理由は日本は戦争のドンパチよりも突然襲ってくる自然災害との戦いに振り回されており、常にそのリスクと背中合わせなのです。災害と安定を繰り返してきている歴史観がすべての日本人に宿っているのです。よって更なるドンパチは勘弁願いたい、というのが多くの日本人の気持ちであると私は推測しています。
下村博文氏がぶっちゃけるか、これはわかりません。ただ、森元首相が仮に政倫審に出てきても何もしゃべらないでしょう。私は今回の政倫審は茶番に近いと思っています。そして真実を知っている人達は墓場まで持っていくつもりでしょう。一番、興味深いのは茂木幹事長の責任です。茂木氏の幹事長としての振る舞いは最低でした。茂木氏は自意識が非常に高く、プライドの塊なのでアンチ岸田の姿勢を明白にしていくと思います。それでも岸田氏は全然困らないはずです。それぐらい自民党には人材が豊富だということです。そして「へぇ、こんな方もいらっしゃったのか?」という人材を発掘するチャンスでもあると思っています。
政治評論家は私のような切り口ではモノを論じることは100%ありません。ですが、政治評論家は当たらない、これもまた事実なのです。ましてや今、自民党がおかれている状況は誰もが想像したことのない未経験ゾーンに入りつつあります。
ところで最後に一言、17日の日経に上川陽子氏への長いインタビュー記事が掲載されています。これは良い内容です。上川氏のバランス感覚とプロ意識が見て取れます。将来の首相の話は大げさだと思いますが、外相としてその手腕に期待できると思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年3月18日の記事より転載させていただきました。