マンションVS戸建てなんて個人の感性、どっちでもよい、というのが正解です。ただ、それでもなんとなく住宅といえばマンションという意識は特に若い世代では当たり前になりつつあります。いわゆるマンションをデベロッパーとして建て、事業として戸建てを東京でいくつか作り、マンションと戸建ての両面を知る者として呟いてみます。軽く読み流していただいて結構です。
私がバンクーバーでマンション(コンドミニアム)の開発をしたとき、最大のチャレンジの一つは「このコンクリートに囲まれた四角い箱に『生命』をどれだけ詰め込めるのか?」でありました。哲学的かもしれません。
当地のマンションの建設現場は一階以外はいわゆる仮囲いはしないので躯体がどんどん空に向かっていくのが見えます。むき出しの無機質なコンクリートが一週間に1フロアずつ上がっていき、その10階ぐらい下層あたりでは窓業者が窓がはめていく、そんな風景は当たり前に見ることができます。
私はデベロッパーとして単にコンクリートの四角い箱を作り、お客様に高い金額で買っていただくことがこのビジネスの本質なのかとずっと疑問でした。
若い時でしたので自分の自由度があるわけでもないのでせめてと思ったのが住民同士のつながりを増やす工夫でした。隣地のホテルとの提携やデベロッパーとして住民にBBQ大会を提供するといったことを行ったのですが、住民からは「あなた、珍しいよね、完成した物件の住民に食らいついてくるデベロッパーは普通いないからね」と。
そう、当時、多くのデベは建物完成後しばらくすると会社を解散し、その存在を消します。理由は訴訟対策。私は真逆で今でも管理組合やそれぞれの建物のヘッドコンシェルジュとはやり取りがあります。「どう?問題ない?」って。
マンション価格が東京では億を超えるという報道を耳にするたびに「そこまでしてマンションが欲しいのかな?」と思うのです。そもそもそれぐらいの金額になると一般の方はなかなか買えません。購入者は富裕者層といいますが、どんな仕事をすると富裕者になるのかという疑問はあります。お勤めの方ならパワーカップルが無理をして購入する、そんな感じでしょうか?それでも30年前後のローンを組むわけです。
折に触れて不毛の議論「賃貸VS購入」というのがあります。これぞ個人の価値観によるものなのですが、最近のマンション価格を見るとこの議論は不成立ではないか、という気もするのです。つまり結婚もしない男女が増える中で住宅購入に伴う借金を背負う価値が見いだせなくなっている気がするのです。
私の経営するシェアハウスは満室状態が続きますが、日本人の比率が増えています。理由はいったん入居すると動かないのでじわじわと日本人に占拠されている、そんな感じです。シェアハウスなのに皆さん、3-5年とか普通で住んでくださるのです。彼女らにとってとても居心地の良い生活基盤なのでしょう。
その背景の一つは安全ではないかと思うのです。私の経営するシェアハウスはビルなので構造的にも侵入者を防ぐ意味でも同居人がいる点でも安心です。一方、外国人向けのサービスアパートメントは木造2階建ての一般住宅をその用途に全面的に作り替えたものですが、外国人に圧倒的人気です。理由はシェアではできないプライバシーが保てるからです。
ただ、一部の1階の住民からは安全対策を非常に気にされて窓に鉄格子を付けてくれといわれ設置したこともありました。それでも木造造りが外国人受けがよいのは木のぬくもりなのだと思います。設計的にも日本の古家的なイメージを醸し出す造りにしてあるのでこちらは外国人の長期滞在者ばかりになっています。
住宅事業に携わる者として経済的観点から見た場合、どちらが良いのか、といえばこれははっきり戸建てになります。まず1億円のマンションの半分以上は自分が占有するコンクリート箱以外の部分のコストだということです。
想像してみてください。四角いコンクリートの箱に窓と扉を付けて床材を張り、壁を作り、仕上げをする、それだけならかかるお金は知れているのです。その箱を積み木のように積み上げる、生活するためにエレベーターと階段を付ける、立派なロビーを造り、共同生活としての仕組みや法令に沿った基準を満たす、これに多くの費用が掛かっているのです。
マンションの土地の持ち分は極めて小さいし、自分の所有分は比率表示なのでどれが自分の土地という特定はできません。ということはマンションはコンクリートの塊としての価値が主体であり、当然減価するのです。
またその価値を維持するために管理費と修繕積立金を払います。日本はまだそれでも3万円程度でしょうか?カナダは高くて私の小さな部屋でも管理費だけで月に12万円払っています。修繕積立金の概念はないので壊れた時にどんと大きな請求が来ますが、基本的には予防的管理をしているのでその頻度は少ないと思います。
人生のお付き合いという意味で住宅は大きな意味を持ちます。その中で生活習慣の変化に伴う住宅の改造改築の自由度があり、地べたに近い戸建ては味があると思います。また私は人口密度という考え方も取り込んでいます。巨大なマンション群があるところは避けたいのです。似たような生活をするお宅が窓の向こう側に見えるのは金太郎飴のようで嫌なのです。週末のレストランやスーパーは劇混みなのも生活パタンが皆似ているからでしょう。これは落ち着かないのです。
私は住宅選びはその方の哲学をまず考えるべきだと思います。不動産会社の「人気の街ランキング」などで選ぶのではなく、いろいろな街を歩き、人々に触れ、街のにおいを嗅ぐことです。池袋と吉祥寺は違う匂いです。銀座と新宿も全く違います。住宅街にも当然、匂いはあるのです。まずはその感性を感じることからスタートしたらよいかと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年3月27日の記事より転載させていただきました。