貧富の差は開くのか?日本で貧富の差が宿命的であるとは思えない理由

スコット フィッツジェラルドが書いた世界的名著と言われる「ギャツビー(The Great Gatsby)」は1920年代のニューヨーク近くの恵まれた家庭の家に生まれたギャツビー氏の話です。その一節に「世間のすべての人が、おまえのように恵まれた条件を与えられたわけではないのだ」というギャツビーの父の声が出てきます。これは当時においても「良家の地位」は歴然としたものである一方、家庭の貧富は、生まれ持った宿命がそこにあるのだとも言っているように聞こえます。

これを2012年頃、アメリカの経済諮問委員会のアランクルーガー委員長(当時)が経済学的展開を行い、下記のグラフを示し、グレートギャツビーカーブ (Great Gatsby Curve)と称しました。

これはOECDの2011年のグラフですが、縦軸に世代間収入の連動性、横軸にジニ係数(貧富の格差)を取っています。縦軸の意味は親が貧乏なら子供も貧乏である関係性を示し、高ければ上になります。横軸は貧富の格差で、高ければ右に行きます。

このグラフから見えるのはアメリカ、英国、イタリアは家柄がその人の人生を決める要素が高く、北欧諸国はその関連性が低くなります。日本は中位ですが、思った以上に家柄と貧富の関係は強い気がします。

もう一つ言えることは家が恵まれないと努力するだけはなかなか上にあがれないことを示しています。貧しい家に育ち、苦学しながらも栄光を勝ち取る、という成功物語を時々耳にしますが、それはこのグラフでは右下にプロットがいかねばならないのですが、国家を基準にするとそのケースは見受けられません。つまり確率的に見てかなり低いともいえます。

努力は報われないのでしょうか?

個人的には昔のような無茶をしてよじ登るチャンスは減ったと思います。フレンチの巨匠、三國清三氏の名前を聞いたことがある人は多いかと思います。最近、氏の半生をつづった1時間弱のビデオ番組を見つけ、私は思わず、3度立て続けに見てしまいました。

貧しくて食えず、学校にすらまともに行けず、中卒で鍋洗いからスタートしますが、ハチャメチャな度胸とチャレンジ精神、数々の失敗も繰り返しながら巨匠としての地位を得る話です。典型的なサクセスストーリーですが、今の若い人にこのビデオを見せて「あなたならどうする?」と聞いてみたいと思うのです。

理由は世の中のルール、常識、道徳といった見える枠組みや見えない枠組みが明白となり、その情報がSNSでシェアされるため、人々は破天荒な行動をしにくくなったし、受け入れ側も「よし、お前、来い!」という時代ではなくなってしまったのです。

グレートギャツビーカーブは国ごとの区分ですが、個人ベースでこのグラフを作った場合、三國氏は間違いなく右下にプロットされます。ですが、氏は御年69歳で、その時代だったから許された部分はあります。

ある方が私に15年ぶりぐらいに電話をかけてきました。何かと思えば自分の子供がフィギュアスケートをやっているが、思いのほか成績が良く、本人もやる気を出してくれたのだが、金が続かないので貸してくれないかというものでした。

私の周りにフィギュアスケートをやった子女をもつ方が複数いるので聞いてみたところ、「あれは金食い虫」と。中には金の切れ目が縁の切れ目で離婚した方もいます。ましてや日本代表になるぐらいならばお金を湯水のごとく使わないとだめだということです。それは家庭にそれなりの余裕がなければその世界には行きにくいとも言えます。

このグレートギャツビーカーブが当地の国営放送の番組でてきました。確か若者の労働意欲の報道だったと思いますが、その中で不動産価格が上がり過ぎて一般の人には手が届かず、家が買えないためライフスタイルへの失望感が重いと報じていました。

なるほど、我々の世代なら会社に入り、それなりにまじめに勤めればローンは長めでもそれなりに自分たちの城をゲットすることが出来ました。今、北米はその夢は遠いのです。そして東京など日本の一部のエリアでもその夢は遠ざかっていきます。

貧富の差は何処から出るのでしょうか?これだけでも相当量書かねばならないので思いつくことを2つだけ。1つは貯める余裕がある収入があるか? もう一つは貯める、ないし増やす行為をしているのか?であります。

日本の一般にお勤めの方でも20代後半でマンションを買う方もいれば40代になっても「金がない」と呟く人もいます。収入にさほどの差があるとは思えず、消費のコントロールでその差がつくのだろうと思います。私が見る貧富とは家庭環境もありますが、まずは自分が賢くなること、それとお金に対する理解力を深めること、この2点だけでも強化すればずいぶん、貧富の差は縮まると思っています。

海外ならともかく、日本において貧富の差が宿命的であるとは思えず、それは親の浪費癖を見てそだったといった後天的理由だろうと感じています。そして決して勘違いしてほしくないのは目的をもってお金は貯めるものだという点です。やみくもに消費できないほどお金を持っていてもしょうがないと私は思っています。

では今日はこのぐらいで。

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編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年4月1日の記事より転載させていただきました。