川勝知事の辞意表明に思うこと:県内と県外の温度の差が大きい静岡県

静岡県の川勝平太知事といえばある意味、全国の都道府県知事の中でも5本の指に入る知名度ではないでしょうか?その氏の知名度アップはもちろん、リニア新幹線の静岡県部分のトンネル工事に許可を出さず、抵抗し続けた点で、県内と県外の温度の差が最も大きい県の一つだと思います。

静岡県 川勝平太知事 NHKより

その川勝氏は現在知事4期目の3/4程度を消化したところですが、4月1日の新入職員を前にした訓示の内容で躓きました。「県庁はシンクタンク(政策研究機関)だ。毎日毎日、野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノを作ったりとかと違い、基本的に皆さま方は頭脳、知性の高い方たち。それを磨く必要がある」と読売新聞が報じたことで火が付きます。

これを受けて県庁で行われた記者会見で記者が「発言を聞いた県民からは、県の広聴広報課に対して『農業・畜産に携わる人の知性が低いということですか? おごった考えですね』」と質問したのに対して「それは(発言を報じた)読売新聞の報道のせいだと思っています」と読売を名指しで批判、更に「いや、(発言を)切り取られたんだと思いますね」に対して切り取っていないと記者は反論。「いや、文章全体の流れ、脈絡からは外れているんじゃないんですか」「…知性というのは、静岡県の公務員の仕事にそれが必要だからという、そういう流れの中で言っているはずです」と丁々発止を繰り返します。

そして記者会見の最後に「ここまでこういう風潮が充満しているということに対しましては、憂いを持っています。そして、どうしたらいいかなと思っていまして、よく考えたんですけれども、準備もありますからね。6月の議会をもって、この職を辞そうと思っております。以上です」

とまぁ、電撃辞任というか、ブチ切れ辞任とも取れる流れになっています。

川勝氏についてはJR東海の問題を見るとよくもここまで突っ張れるな、と思うのですが、過去4回の知事選の得票数は2009年が728千票、13年が1080千票、17年が833千票、21年が957千票と全然下がっていないのです。しかも09年の1度目の選挙では2位との差がわずか15千票だったものがその後3回の選挙では25万から70万票の差をつけて圧勝しているのです。つまり、なんだかんだ言いながらも川勝氏は支持されており、静岡県を守ってくれたという意識を県民は持っているのだろうということになります。

今回の発言を含め、川勝氏は差別とみなされてもやむを得ない発言を確かにしているのですが、マスコミが悪意を持ってそれを書きたてるため、川勝知事の防戦一方になっていたのもこれまた実情であります。つまり、県政の責任者としてぶれない考えを貫いたが、マスコミのバイアスには抵抗できなかったということであります。今回の記者会見ではマスコミの姿勢についても知事自身が苦言を呈していますが、その点はごもっともな部分もあり、個人的には一連の発言問題についてそこまで責められないとは思っています。

ただ、JR東海との問題については知事自身がトンネルではなく、自らの信念を貫通させ、民間事業だとはいえ、国家全体のインフラ整備とも捉えれるこの事業でJR側が対応しうる限りの対策を打ち出しているにもかかわらず、落としどころを造らず、反対一筋だった点については県政のリーダーとして正しい姿勢ではなかったと考えています。

北米においてアメリカやカナダの各州はかなりの自治権をもっており、様々な問題について連邦政府と州政府が対峙するケースは数多くあります。それらの問題を間近で見てきた中で州知事が自らの支持地盤を守るために考えを変えないというケースが多く、結局選挙で票を入れてくれた人への忠誠と反対票を入れた人への仕返し的な政策が多くみられます。

日本では県の自治権は北米ほどではないですが、一定程度あり、特に工事は沖縄の例のように、もめるわけです。あるいは新潟の原発再稼働問題でも折衝して国益や県としてのベネフィットよりも知事の保身に走る点で県政が偏ってしまい、県民は最終的に損をすることもある点を改めて考えるべきでしょう。

知事が在任中に公約から考えを変えてはいけないことはないのです。なぜなら選挙公約とは選挙時の条件、予見のもとにそのような発言をしていたわけであり、折衝により諸条件が変わってきた場合、それを了とすることは当然あるべきであり、知事の器量と度量の大きさであるとも言えます。川勝知事はその点において自分の殻から抜け出せなくなったかわいそうな方だったとも言えます。

それ以上に日本は政党政治の背景が強く、すべての判断が政党の思想に基づかなくてはいけないという感じが日本を面倒くさいものにしていると思います。個人的には地方自治体ぐらいになれば政党ではなく、案件ごとに議員が判断する無政党議会の運営に変えていくべきでしょう。カナダの地方自治体はそのようになっており、結果としてすべての市政の案件は色がない状態で市長以下が議論して判断をするようになっています。

考えてみれば日本の政治は政党間の主義主張のぶつかり合いが主体で本当の意味での政治をしてきたのか、といえば否であると思います。政策を真剣に考え、議員が政党色に染まらないピュアな政治家を輩出できるような時代になればよいのですが、さて、100年ぐらいたてばそうなるのでしょうか?

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年4月3日の記事より転載させていただきました。