令和に甦る昭和の反体制テロの記憶:門田隆将『狼の牙を折れ』

小林 武史

今年1月25日、末期の胃癌治療のために「ウチダヒロシ」として鎌倉市の病院で入院していた男が、突如全国指名手配されている桐島聡と名乗り出た。

1975年5月19日の連続企業爆破事件に関与したとして、東アジア反日武装戦線の主要メンバー7人が逮捕されてから49年。逮捕を機に逃亡した桐島聡が発見された事実は、すっかり風化していた昭和の反体制テロの記憶を一瞬の間に令和の日本に呼び起こした。

主要な容疑者と見なされていなかった桐島聡にこそ言及していないものの、三菱重工爆破事件を中心に、本書はテロリスト、それを追う警察、そしてスクープを報じるために必死に食らいつく産経新聞の三者を中心に描かれる。

「親の脛をかじって、ゲバ棒を振るっているような甘ったれた学生が、五十嵐は大嫌いだった」

前代未聞の凄惨なテロ事件に驚愕する日本社会において、容疑者を見つけ逮捕までこぎつけられるか否かは警察そのものの存在意義を問われる重大事だったと言ってよい。

トップの警視総監から現場でテロ犯を追い詰める若手捜査官までが一丸となって警察は動くが、それぞれの捜査官は時代背景を背負った者ばかりであった。

容疑者を追いかけ上野駅から仙台市内の集合住宅まで容疑者を尾行する古川原と五十嵐は、どちらも大学での勉学を諦めた苦労人である。同じ世代の極左活動家たちへの複雑な感情を抱えた彼らの心境と執念が、容疑者を追う力の源泉になっている。

「『産経っ!事件を追っかけてる。頼む!』。駅員に向かってそう叫ぶと、返事を聞く前にそこを“突破”していた」

そして、容疑者逮捕の瞬間を撮影した産経新聞の小野カメラマン。彼もまた最前線で働く若手であり、身長が3センチ足りずに志望していた警官を断念した過去を持つ。

逮捕当日未明から動き出す警官とカーチェイスを繰り広げ、捜査官を追いかけるために咄嗟に電車を降りた時には閉じるドアに傘を挟まれ、捜査官に取材を懇願しても「駄目だ。冗談じゃない。こっちがクビになる」と拒絶される。

それでも捜査官に追いすがる小野は、切符を買う時間がないと判断すると、警察手帳ならぬ報道腕章を駅員に示して有無を言わさずに改札を走り抜けた。警察も必死だが伝える側のメディアの執念も凄まじく、読み応えある大迫力の追走劇である。

桐島聡の顔は指名手配のポスターで千回も二千回も眺めていたはずなのに、関わっていた事件について評者は何も知らなかった。恥ずかしながら、本書を通して三菱重工爆破事件の経緯や実態を初めて知った。

評者の勉強不足と言えばそれまでなのだが、事件以降に生まれた世代として、学校教育で戦後の極左テロ事件を習った記憶はない。何度も何度も憲法前文や9条については習ったのにも関わらず、憲法の精神を踏みにじるような数々の非道な行為については全く言及がないのが日本の歴史教育の実態でもある。

風化させるべきではないのは戦争の記憶だけではなく、平和主義を高らかに謳った者たちによる平和主義への重大な挑戦と忘れ去られた被害者への哀悼なのである。

※3月21日、東京地方検察庁は容疑者死亡のため、桐島を不起訴処分とした。