バチカンの「人権」と国連人権宣言

「権利」の対義語、反対語は何か、と聞かれれば、「義務」という言葉が出てくるが、それでは「人権」の反対語は何かと聞かれれば、直ぐには飛び出さない。キリスト教の神を信じる人ならば、それは「神権だ」という余り聞きなれない言葉が飛び出すかもしれない。

回勅「パーチェム・イン・テリス」の起草者ヨハネ23世(バチカンニュース2024年4月8日から)

キリスト教会、特に世界に14億人近くの信者を有するローマ・カトリック教会は過去、「人権」は神の秩序、規律とは相反するものと受け取られてきた面がある。もう少し厳密にいえば、カトリック教会はこの世界の「人権」と対立、時には脅威と受け取ってきた歴史があるからだ。

バチカン教皇庁は8日、新しい人権に関する声明「Dignitas infinita」(無限の尊厳)を発表した。バチカンニュースは同日、「長い歴史、バチカンと人権」という見出しの記事を掲載している。その最初の書き出しで「『Dignitas infinita』は、明白に1948年の国連の『人権の普遍的宣言』を支持している。驚くことかもしれないが、教会は常に人権についてそうではなかった。これは主に、フランス革命(1789年)以降の人権の旗を掲げた運動が、当時の教会にとって脅威と受け取られてきたためだ。ピウス6世(在位1775年~99年)は当時、パリ国民議会が掲げた人権宣言に抗議し、その有名な前提『自由・平等・友愛』に反対していた」と、正直に告白している。

神の愛を説くキリスト教会がパリの人権宣言に反対していたということは不思議に感じるかもしれないが、人間の基本的権利より、神の教理、教えを重視する教会にとって、人権は時には障害となることがあるからだ。教会にとって過去、「神権」は常に「人権」より上位に置かれてきたのだ。

ただし、バチカンの歴史の中には、フランス革命や国連人権宣言の前、パウルス3世(在位1534年~49年)は1537年、「Pastorale officium」という使徒書簡で、アメリカ先住民の奴隷化を禁止し、それを破った者は破門すると警告している。同3世は「先住民は自由や財産の管理ができる理性を持つ存在であり、したがって信仰と救いに値する」と述べている。少数民族の人権、権利を認めていたわけだ。

時代が進むのにつれて、人権に対する教会のスタンスも変わっていった。レオ13世(在位1878年~1903年)は1885年の教令で「新しい、抑制されない自由の教義」を非難したが、1891年に社会教令を起草し、人権思想を受け入れる道を開いたことで知られている。

教会の人権問題でマイルストーンとなったのは、第2バチカン公会議の「Dignitatis humanae」(1965年)だ。それに先立ち、ヨハネ23世(在位1958年~63年)は1963年、有名な平和教令「Pacem in terris」(地上の平和)を発表した。冷戦時代、ソ連・東欧共産政権下で多くの国民が粛清され、キリスト信者の信仰の自由が蹂躙されていた。「パーチェム・イン・テリス」は地上の真の世界平和の樹立を訴えたもので、世界の平和は正義、真理、愛、自由に基づくべきものと謳っていた。教会の「人権への取り組みへの決定的な一歩を踏み出した」と受け取られた。

ちなみに、冷戦時代、聖職者の平和運動「パーチェム・イン・テリス」はソ連・東欧共産党政権に悪用された。共産諸国は宗教界の和平運動を利用し、偽装のデタント政策を進めていったことはまだ記憶に新しい。興味深い点は、共産政権は「宗教はアヘン」として弾圧する一方、その宗教を利用して国民を懐柔していったことだ。教会は「地上の平和」をアピールすることで、「労働者の天国」を標榜する共産主義国に利用される結果ともなったわけだ。

バチカンはナチス・ドイツが台頭した時、ナチス政権の正体を見誤ったが、ウラジミール・レーニンが主導したロシア革命(1917年)が起きた時、その無神論的世界観にもかかわらず、バチカンでは共感する声が聞かれた。聖職者の中にはロシア革命に“神の手”を感じ、それを支援するという動きも見られた。バチカンはレーニンのロシア革命を一時的とはいえ「神の地上天国建設」の槌音と受け止めたのだ(「バチカンが共産主義に甘い理由」2020年10月3日参考)。

バチカンが今回発表した「Dignitasin finita」(25頁)では、カトリック教会の観点から個人の尊厳を侵害する長期にわたる一連の行為を挙げている。貧困、搾取、死刑、戦争、環境破壊に始まり、移民の苦しみや人身売買、さらには性的虐待など、特に教会自体の問題としても取り上げられる一方、代理出産、中絶、安楽死などの問題では断固として拒否、ジェンダー理論を通じて生物学的性別の否定には反対の立場を取っている。バチカンはこれまで複数の国連人権条約に署名してきたが、中絶やLGBTQ問題については「人権の印を押し付けようとする試み」として警戒している。

なお、バチカンニュースは最後に、「カトリック教会が人権の理論的基礎を完全に受け入れることは決してできないだろう」と述べている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年4月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。