バラの美しさは「神の善意」の表れ?

当方は英国作家コナン・ドイル作の名探偵シャーロック・ホームズと同じく英国の推理作家アガサ・クリスティの名探偵小説の主人公エルキュール・ポワロのファンだが、ホームズのファンの読者から先日コメントを頂いた。ひょっとしたら、熱烈なホームズ・ファンかもしれない。嬉しくなった。

当方の部屋の窓に挨拶に来た若いハト(2024年4月10日、ウィーンで)

そこで当方が忘れることができないホームズの名言をここで一つ紹介したい。シャーロック・ホームズは「海軍条約文書」の事件の中で、「バラはなんと美しいのか」と驚嘆し、神の創造を賛美する場面がある。ホームズは「この花から神を感じることができるのではないか、力、欲望、食糧は人間が生きていく上で不可欠だが、花はそうではない。にもかかわらず、神はこのバラを美しく装っている。この余分なものこそが神の善意なのだ。この花の存在からわれわれは希望を見出すことができる」と語るのだ。ホームズから突然、宗教者の説教のような話を聞いたワトソンや周囲にいた者たちは驚くが、当方はホームズの話に感動した。

宇宙・森羅万象は神の手による創造だが、神は創造の最後に自身の似姿でアダムとエバを創造したという。旧約聖書の創世記によると、神はアダムのあばら骨からエバを創造したと書かれているが、最新の聖書解釈によると、神はアダムを粘土のような塊から創造したが、エバはアダムのあばら骨からではなく、脊髄付近から取ったものから精密な設計図に基づいて構築された。要するに、神はアダムを創造する以上に多くの時間と緻密な計画に基づいてエバを創ったというのだ。エバ誕生の名誉回復だ。

これはジェンダーフリー運動の圧力に屈した結果ではなく、ヘブライ語の言語学的な解釈というのだ。創世記の人類創造の話は2つの資料が重複的に記述されている。聖書学者の中には「神は最初の創造がうまくいかなかったので、もう一度最初から創造の業を始めた。その結果、創世記には同じような話が重複して記述されることになったというのだ。もう少し詳細に説明すると、エバの創造で何らかの不祥事が生じたために、神は創造を再度、初めから始めたというのだ。なお、ヘブライ語によると、宇宙創造を開始した神は複数形だ。すなわち、「神たちは・・」ということになる。神と創造の御業を助けた天使たちを含めて、複数形として書かれたという解釈が一般的だ。

ホームズの「神の善意」という表現に戻る。神が人間を自身の似姿に創造したということは、神と人間は親子関係ということになる。親は自分の子供を最高の環境で成長させたいと考えるだろう。だから神はバラ一つにも最高の美を備えた存在に創造したはずだ。だから、ホームズは「この花から希望を見出すことができる」と受け取ったのだろう。事実と論理に基づいて事件を解明するホームズは一流の神学者でもあるわけだ。

ところで、19世紀末に活躍した名探偵ホームズの信仰告白から神について云々したとしても、21世紀に生きる私たちの心に響くだろうか、という一抹の懸念が出てくる。ウクライナではロシア軍との戦争が続き、多数の兵士、民間人が犠牲となっている。パレスチナではイスラエル軍とテロ組織「ハマス」との戦闘が続いている。中国武漢から発生した新型コロナウイルスの大感染で数百万人が死去した。そのような時代に、「神の善意」といえば反発されるだけかもしれない。「神の善意」ではなく、「われわれが苦しんでいる時、あなたはどこにいたのか」「なぜ、親なら子供を苦痛から救わないのか」といった不満の声のほうが現実的なテーマではないか、といった声だ。600万人の同胞をナチス・ドイツ軍によって虐殺されたユダヤ民族ではアウシュヴィッツ以後、神を見失ったユダヤ教徒が少なくなかったといわれている(「アウシュヴィッツ以後の『神』」2016年7月20日参考)。

バラの花から「神の善意」をくみ取り、希望を感じるより、戦争や疫病から「神の沈黙」「神の不在」を感じ、憤りが飛び出す時代に生きている。神を見失ったとしても不思議ではないかもしれない。にもかかわらず、というべきか、それゆえに「神の善意」を感じる心を失いたくないものだ。これこそ19世紀末の名探偵ホームズの21世紀の私たちへの熱いメッセージではないか。

Thai Liang Lim/iStock


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年4月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。