欧米諸国で中絶の是非論が活発化してきた。中絶論争に火を付けたのはフランスだ。国際女性デーの3月8日、フランスは女性が自由意志に基づいて人工妊娠中絶を決める権利があることを憲法の中に明記することになった。女性の中絶の権利を憲法の中に記述するのは世界で初めてのことだ。
マクロン大統領はイスラム教の教祖ムハンマドを「冒涜する権利」があると豪語し、世界のイスラム教国からブーイングが飛び出したことはまだ記憶に新しい。そのマクロン大統領が今度は「女性には中絶する権利がある」と主張しているわけだ。同大統領は女性の中絶の権利を欧州連合(EU)の憲法に当たる「基本権憲章」に明記することを目指している。同大統領は2022年1月、フランスEU理事会議長就任の冒頭で、中絶へのアクセスを憲章に明記する意向を発表して話題を呼んだ。
ちなみに、EU議会は8日、女性の中絶の権利を欧州基本権憲章に明記することに賛成の立場を表明した。具体的には、女性の中絶の権利を明記した決議案に対して、賛成336人、反対163人、棄権39人だった。同決議案では、欧州議会はEU加盟国に対し、身体的自己決定の権利と、安全で合法な中絶を含む性と生殖に関する健康への自由、十分な情報に基づいた完全かつ普遍的なアクセス等を基本的権利憲章に盛り込むよう求めている。
この提案は、社会民主党、自由党、緑の党、左翼の議員のほか、欧州人民党(EPP)の保守系キリスト教民主派に所属するスウェーデン国会議員の一部によって提案された。キリスト教民主党EPPの議員43人は中絶に対する基本的権利に賛成票を投じた。70人が反対、11人が棄権した。
一方、ローマ・カトリック教会の総本山、バチカン教皇庁は欧州基本権憲章に中絶の権利を盛り込むべきというEU議会の決定を「イデオロギー的」で「後ろ向きな決定だ」と批判している。
教皇庁生命アカデミー会長のヴィンチェンツォ・パリア大司教(Vincenzo Paglia)は「文化的、社会的観点から見ると、この決定が胎児の権利を考慮していないことは非常に憂慮すべきことだ。胎児はより弱く、話すことができず、何も要求することができない。胎児と女性の両方の当事者の中で、一方の当事者のみに権利を要求するのは間違った決定だ。中絶の権利は女性に必要な支援を損なうことにもなる。欧州議会の決定は女性の権利の前進ではなく後退を意味する」と述べている。
中絶問題における重要な問題は「生命の定義」だ。何の権利によって命を除外したり、排除したりできるかという点だ。生まれてくる人の権利を完全に無視して、他の人の権利を優先することは、明らかに文化の後退であるという主張はキリスト教関係者に多く聞かれる。
教皇庁生命アカデミーのバーリア大司教は「私たちは生まれてくる命に対する共同責任を再発見しなければならない。マザー・テレサは妊婦たちに『子供たちを産んでください、私が面倒を見ます』と言っていた。非常に多くの女性が、おそらく経済的、心理的、あるいは別の種類の問題を抱え、孤独で誰にも助けが得られないために中絶をしている。『私』を美化し続ける文化ではなく、『私たち』の文化を目指さなければならない。この『私たち』は人間性、連帯、友愛の本質であり、したがって正義でもある」と述べている。傾聴に値する見解だ。
ドイツでは12週間以内の中絶は違法であるが罰せられない。「生きる権利」と「女性の自己決定権」の賢明なバランスといわれている。ちなみに、米西部アリゾナ州最高裁は今月9日、1864年に制定された人工妊娠中絶を禁止する法の施行を認める判断を下している。同法では、母体の健康に危険がある場合以外は中絶が禁止されている。
なお、欧州諸国の大半で中絶は合法化されているが、一部のEU加盟国は中絶を制限している。カトリック教徒が多い東欧ポーランドでは、強姦などによる妊娠や母体の健康に危険が及ぶ場合などを除き中絶を法律で禁止してきた。ポーランドの憲法裁判所は2020年10月22日、胎児に障害があった場合の人工妊娠中絶を違憲とする判決を下した。同決定に反対する女性や人権擁護グループが抗議デモを行った。
ポーランドで昨年10月総選挙が実施され、同年12月、保守政党「法と正義」(PiS)からリベラルな市民連合のドナルド・トゥスク氏を主導する新政権が発足した。新政権は選挙公約で現行の中絶厳禁法の改正を表明してきた(リベラルな「市民連立」、中道右派「第3の道」、「新左派」の3政党から構成されたトゥスク政権内で中絶法改正問題でまだコンセンサスがない)。同国ではローマ・カトリック教会の影響が強く、中絶問題でも厳しい制限を施行してきたが、教会への影響が近年減少し、聖職者の性犯罪問題の影響もあって教会の権威は失墜している。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年4月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。