自分の国のことを思うなら、ミーゼスの『自由への決断』を読もう

先週4月14日、とある動画がX(旧ツイッター)で拡散され話題になっていました。

アメリカのUFC(総合格闘技)ファイターのレナト・モイカノ選手が、試合後の勝利スピーチの中で次のように話したのです。

「私はアメリカを愛し、憲法を愛し……銃を持ちたい。私は私有財産を愛している。言わせてくれ。自分の国のことを思うなら、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスとオーストリア経済学派の6つの教えを読め」。

https://twitter.com/the_posts/status/1779301277668925527

格闘技の選手が、自由主義のオーストリア学派経済学者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスの名前を試合後のリングの上で出す、ということは、極めて異例です。よほど自由主義への思いがないと出ない言葉でしょう。
ちなみにUFCの多くのファンは共和党員で、トランプもよく見に行くそうです。

ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス

モイカノ選手が言う「6つの教え」とは、ミーゼスの著書『経済政策』のことで、これはミーゼスが1959年にアルゼンチンで学生に向けて行った講義を書き起こしたものです。

この本はブラジルでは”As Seis Lições”(「6つの教え」)というタイトルで出版されています。講義のタイトルが、資本主義、社会主義、介入主義、インフレ、外国投資、政治と思想の6つだったからです。モイカノ選手はブラジル出身ですので、このブラジル出版版を読んでいたのでしょう。

この本は日本では「自由への決断」というタイトルになっており、オンラインで無料PDFを読むことができます。

この本に出会って、私は初めて自由主義を知り自由主義者になりました。

「自由への決断」については、note記事でも過去に紹介していますので、ぜひご覧ください。

日本語訳にするにあたって、訳者の村田稔雄先生が、自由主義の経済学者・山本勝市博士に相談したところ、山本勝市博士からタイトルを「自由への決断」にしたら良いと言われたそうです。

山本勝市博士は本の冒頭に「推薦のことば」も書かれているので、こちらもぜひ読んでみてください。

「自由への決断」無料PDFです。

https://note.com/jfujimaru/n/nc33c71e76914
https://note.com/jfujimaru/n/n049232152ebd

ところで、現アルゼンチン大統領のハビエル・ミレイ氏については、このnoteでも何度も紹介しています。

ミレイ大統領が就任演説で名を出して褒め称えたアルゼンチンの自由主義運動の英雄に、アルベルト・ベネガス・リンチ氏がいます。

彼の父親(アルベルト・ベネガス・リンチという同じ名前)こそが、1959年にミーゼスをアルゼンチンに招き、学生への講義を依頼した人物なのです。

その意味で、ハビエル・ミレイというリバタリアンの大統領を生んだアルゼンチンの自由主義運動は、ミーゼス「自由への決断」の影響が大きいといえます。

そこで、当時のアルゼンチンの背景がわかる記事を一部補足・抜粋して紹介します。

2024年4月18日にミーゼス研究所のHPの記載の「Argentina: Mises and Milei, 65 Years Apart(アルゼンチン:ミーゼスとミレイ、65年ぶりの再会)」というStephen Anderson氏の記事です。全文は以下から読めます。

Argentina: Mises and Milei, 65 Years Apart | Mises Institute

Argentina: Mises and Milei, 65 Years Apart | Mises Institute
Ludwig Von Mises gave six lectures in 1959 in Buenos Aires, Argentina where, “he spoke in nontechnical terms suitable for his audience of business

Argentina: Mises and Milei, 65 Years Apart(アルゼンチン:ミーゼスとミレイ、65年ぶりの再会)

ブエノスアイレスの聴衆に対するミーゼスの講演は、1959年のアルゼンチンの社会主義経済とは正反対のものでした。彼らは経済社会主義のスモッグの中で、新鮮な空気を吹き込むような経済的真実を耳にしたのです。

ミーゼスによる「インフレ」のテーマの回の講義では、1933年のドイツ帝国の政策について次のように述べています。

「政府は中央銀行から間接的に金を借りただけなのです。政府は、中央銀行がどのように資金を調達し、供給するのかを尋ねる必要はありませんでした。中央銀行は単にそれを印刷したのです」
ミーゼスは、中央銀行が経済の味方ではないことをはっきりと理解していました。

当時のアルゼンチンの大統領:フアン・ペロン大統領(1895年~1974年)は、英国所有の鉄道やその他の財産を国有化しました。そのため、ビジネス界のリーダーたちの反感を買い、1950年代には投資が消滅しました。

インフレ率は40%にまで高騰し、実質賃金は急落しました。1952年に「エビータ」の愛称で知られる人気ファーストレディ・エヴァが死去したことで、ペロン大統領はさらに弱体化しました。

労働争議は国を麻痺させ、アルゼンチン軍は再び介入し、1955年にペロンを亡命させたのです。1950年から1959年にかけての年平均インフレ率は30.3%でした。

アルゼンチンは1989年、2001年、2014年、2020年に国債のデフォルトを宣言しました。

2023年には人口の約40%が貧困に喘ぎ、年間インフレ率は100%近いです。政府は常に税収を上回る支出をしていました。

政府は航空会社から原油生産まで多くの企業を所有し、それぞれが国庫を圧迫していました。

そんな中、ハビエル・ミレイはアルゼンチン大統領に選出され、2023年12月10日にブエノスアイレスで就任の宣誓を行いました。

ミレイは、ハイパーインフレ、社会主義、そして1930年代のペロン政権に始まる中央政府による社会悪からアルゼンチンを救うために、オーストリア経済原則を適用しなければならないと主張し、大統領職を追求したのです。

選挙公約のひとつは、中央銀行の貨幣印刷が現在のインフレの原因であるとして、中央銀行を廃止することでした。

今日、ミレイ大統領の就任から100日以上経過し、彼はいくつかの政策を成功させています。

ミレイは1970年生まれなので、ミーゼスに直接会ったわけではありません。ミレイはミーゼスやマレー・ロスバードの著作を読み始め、やがてオーストリア学派の経済原則を理解し、社会主義が大失敗であることを歴史が示している以上、オーストリア学派の経済原則は理にかなっていると考えるようになりました。

ミレイはいくつかの本や記事を出版しており、アルゼンチンのテレビ局のインタビューではハイエク、ミーゼス、ロスバードの本のタイトルを挙げています。

一人は20世紀初頭から半ばにかけてオーストリア経済学の旗手として活躍し(※ミーゼスのこと)、もう一人は21世紀初頭のある国の大統領として、破綻しつつある自国の社会主義経済にオーストリアの経済政策を適用しようとしています(※ミレイのこと)。

ミーゼスがミレイに実行させるための基礎を築いたことは興味深いことです。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

ミーゼスの自由の灯火が、アルゼンチンの聴衆に受け継がれ、65年後に国民は自由主義者を大統領に選びました。当時の社会主義に染まったアルゼンチンから自由主義の大統領が誕生するとは誰も予想できなかったことでしょう。

日本も現在はゆっくりと社会主義・統制への道を進んでいるようにみえます。しかし、自由主義運動が大きく発展することで、未来の日本を希望のある自由の社会へ向かわせてくれると思います。


編集部より:この記事は自由主義研究所のnote 2024年4月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は自由主義研究所のnoteをご覧ください。