黒坂岳央です。
誰しも「失敗したくない」と考えがちだ。確かに好き好んで失敗したいと思っている人は皆無である。しかし、「絶対に失敗したくない」と考える人と「できるだけ回避を試みるが、いざ失敗したならその結果を受け止めて改善を図りたい」という人とでは失敗からの学びに大きな差がつくだろう。
それ以上に大きな差となるのは、「失敗は質こそ重要」という価値観である。そう、世の中にはただただ無益で資源を浪費させる悪い失敗もある一方で、むしろ失敗が大きな学びやチャンスになる有益な失敗がある。その差は一体なにか?
いい失敗、悪い失敗を分ける差、それは「仮説の有無」である。
仮説の有無が失敗の質を決める
仮説とは挑戦する前に「おそらくこういう結果になるだろう。その根拠はこうだ」とあらかじめシミュレーションを想定した上でするということだ。たとえば旅行に行く場合、よいホテルやレストランを予約する。だが、非日常体験を味わいに行ったのに期待外れだったとしよう。
悪い失敗とは「レビューサイトで評価が高い順番にソートして、何も考えずに一番いいものをホテルやレストランを予約する」といったケースだ。たとえ施設側に問題はなくとも、自分自身の価値観とアンマッチするということは十分あり得る。「こんなはずじゃなかったのに」と思っても、そこから得られる次善策は極めて限定的だ。
その一方で、良い失敗とはあらかじめあれこれシミュレーションした上でうまくいかなかったケースだ。筆者は時々、セミナーを開催して人前で話すということをしているが、今のように慣れるまで失敗の連続だった。話す内容は問題なくても、照明や音響、後方からの視野性やスライドなど、来てくれる人から見て粗が残っていた。「プレゼン前の準備」みたいな記事を熱心に見て準備をしていったのに、どうしても想定と違う点が出てしまい、当惑するということをしていた。
だが「想定シミュレーション通りにいかない」という失敗は今後に活かせる。今はチェックリストを作成して過去にした失敗を繰り返さないように注意している。当日までに運営会社にもしっかり状況の確認も入れるようにしている。今は大きなトラブルなく対応できるようになった。これらはすべて、過去に仮説のある失敗を教訓として学んできたからである。
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しっかり仮説を持ち、スモールスタートの結果としての失敗ならいくらしてもいいと思っている。むしろ人は痛みからしか本質的な学びを得ない生き物なので、手痛い失敗は時々するべきとすら思っている。問題は思考停止で何も考えず、軽い気持ちで手を出してやけどをした場合である。「もう失敗なんて二度としたくない」という負の経験を積むと挑戦することそのものが怖くなってしまう。そうならないためにも、挑戦する前はしっかり仮説を持ってしたいものである。
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