みなさんは東京都豊島区にかつてあった「トキワ荘」という小さなアパートのことを知っているでしょうか。大都会東京の小さなアパートのことなど知るはずがない。そうおっしゃる方もいるでしょう。
ですがこの「トキワ荘」。実は日本のマンガの歴史を語るにあたって忘れることのできない原点ともいえる場所なのです。
場所は東京都豊島区南長崎。かつては椎名町と呼ばれていました。かつてトキワ荘があった場所には別の建物が建っていてモニュメントが残るのみとなっています。モニュメントが残っているということがこのアパートの歴史的価値を物語ります。
「トキワ荘」を模した建物が現在近くの公園敷地内に建てられています。そこには入場を待つ列が…人気のほどをうかがわせます。
昭和27年ごろから35年ごろにかけて「トキワ荘」には多くのマンガ家たちが入居していました。まずここに入ったのが日本のマンガの歴史の原点を築いたといっても過言ではない手塚治虫さん。携帯電話やネットなんてない世の中、編集部と打ち合わせをするために編集担当の家が近い西武池袋線沿線を選んで居を構えたのがきっかけでした。
手塚さんとほぼ同時期に入居した寺田ヒロオさんやその後入居した藤子不二雄さん、赤塚不二夫さん、石ノ森章太郎さん、水野英子さんなどのちに大ヒットを連発させた漫画家たちがここで日々研鑽しあっていたのです。
公園に再築された「トキワ荘」は「トキワ荘マンガミュージアム」となっていて、2階はかつての部屋の様子を再現しています。こちらは「天才バカボン」を生んだ赤塚不二夫さんの部屋。どこも四畳半でキッチン、トイレは共同でした。エアコンなんてあるはずもなく、こんな場所で漫画家になる夢を追い日々研鑽を積んでいました。
こちらが共同の炊事場。風呂は銭湯にいくしかなく奥のシンクに入って水浴びをしていたこともあったようです。
みなさんはこの方をご存じでしょうか?
そう「ラーメン大好き小池さん」ですね! 藤子不二雄さんによって生み出されたキャラクターですが、実は小池さんのモデルとなった鈴木伸一さんもこの「トキワ荘」出身者。漫画家ではなく当時はまだ黎明期にあったアニメーターへの道を歩んでいかれ、日本のアニメの礎を築いた方です。
ちなみに若い方は「ラーメン大好き」というと「ラーメン大好き小泉さん」というマンガを思い出すようです。内容は全く別物ですがタイトルはこちらの小池さんから引用したもの。昭和から平成へリレーされていきます。
外にはもしもボックス?にも似た公衆電話がありました。家に電話なんてなかった時代、編集部と連絡をするためにこの電話に行列を作っていたそうです。時代を感じさせますね。
トキワ荘マンガミュージアムの前を通る「トキワ荘通り」。かつては商店が数多くあり相当な賑わいを見せていたそうです。今は漫画家たち所縁の施設が並ぶちょっとした観光通りとなっています。
かつてトキワ荘に暮らしていた漫画家たちが通った店は少なくなりましたが、中華料理松葉さんは営業を続けています。残念ながら満席で入ることがかなわなかった…「小池さん」こと鈴木さんはこのラーメンの出前をよく撮っていたとか。「ラーメン大好き小池さん」の原点ここにあり、です。
「トキワ荘通りお休み処」では1階では関連グッズの販売、2階では寺田ヒロオ先生の当時の部屋の様子が再現されていました。
寺田さんはトキワ荘の古株でリーダー的存在でした。早くに雑司ヶ谷に転居してしまった手塚さんとトキワ荘で同居したことがあるのは寺田さんだけ。5年間トキワ荘に住み、後輩の面倒を見てきました。
昭和30年代ごろは悪書追放運動が盛んな時期で漫画は悪書というレッテルを貼られて校庭で焚書されることもあるなど冷遇されていた時代でした。寺田さんは漫画を追放せよという世の中から漫画家の卵をかくまうためにここに多くのマンガかを住まわせた。それがトキワ荘に有名マンガ家が集うこととなった理由の一つといわれています。
こちらのマンガステーションではトキワ荘に住んでいた漫画家たちの作品をはじめさまざまなマンガを読むことができます。トキワ荘ミュージアムを見学したあと彼らの作品に触れてみるのもいいと思います。
トキワ荘ミュージアムへは都営大江戸線「落合南長崎駅」からが近いですがトキワ荘があったころは西武池袋線「椎名町」駅が最寄り駅でした。リニューアルされた駅は天才バカボンなどトキワ荘で暮らした漫画家たちの名作が飾られています。
このゴールデンウイーク、みなさんも日本のマンガの歴史の原点となった「トキワ荘」を訪ねてみてはいかがでしょうか(混雑が予想されるので予約するのがおススメです)。
編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2024年4月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。