偏向報道だらけの理由
Worlds of Journalismによるジャーナリストの問題意識調査
Worlds of Journalismという団体によるジャーナリストの問題意識調査の結果。
本稿では「WJS 2012–2016 調査」における「C12」の質問について触れます。
内容は「これらの項目はあなたの仕事でどれくらい重要ですか」というものであり、数字毎に「最も重要 とても重要 やや重要 あまり重要ではない まったく重要ではない」という意味が割り振られています。
質問項目は調査時期によって2,3追加されている国もあります。
日本のジャーナリスト「事実をありのまま伝える」より「政治監視」が重要
https://epub.ub.uni-muenchen.de/36330/1/Country_report_Japan.pdf
サンプルサイズと特徴について。本調査では日本のジャーナリストは25,200人と推定されており、この中で回答したのは747人で、51.1%が新聞社、46.7%がテレビ局、1.7%がそれ以外で働いている者らでした。
「とても重要・重要」を選んだ割合についての主な結果は以下です。
- 「政治リーダーを監視する」⇒90.8%
- 「時事問題の分析を提供する」⇒84.7%
- 「人々の政治的意思決定に必要な情報を提供する」⇒83.0%
- 「事実をありのまま伝える」⇒65.1%
この結果について、米英仏独中との比較をした人が居り、それにより知るところとなった人も多いです。
主な国のジャーナリストの回答(自分の仕事の中での各項目の重要性を"extremely important" "very important" と答えたジャーナリストの比率)を並べて色つけしてみた。
それぞれのお国柄はあるけど、それにしても日本のジャーナリズムの異様さがいくつか際立ってる https://t.co/nY1TxT20Yw pic.twitter.com/oPf7dD4VbC— 水島六郎 (@mizloq) November 21, 2022
日本と同様に「政治監視」が重要な国々でも「事実をありのまま伝える」が重視
他の国を見渡してみても、日本は「政治監視」が最も重視されている項目になっている数少ない国で、しかも90.8%という驚異的な数字となっています。
他の国のほとんどは「事実をありのままに伝えること」が最も上位に来ています。
他方で、日本のように「政治監視」が「事実をありのまま伝える」よりも重要な国々はいくつかありましたが、両者の数値は拮抗しています。
- シンガポール:「政治監視」50.6 %でトップ、「事実をありのまま伝える」49.5%
- 香港:「政治監視」80.0% でトップ、「事実をありのまま伝える」79.8%
「事実をありのまま伝える」が最上位に来ていない国として他にエチオピア、オマーン、カタール、UAE、などがあります。
ただ、例えばエチオピアでは「国の発展を支援する」が最も上位の86.7%で、「政治監視」66.4%ですが、その上に「事実をありのまま伝える」が来ているなど、それでも政治監視が圧倒的上位というわけではありません。
これらの国と比較してみても、やはり日本のジャーナリストの回答状況は特異なものとなっていると言えます。
なお、毎年公表されている国境なき記者団の報道の自由度ランキングを重視して報じる日本のメディアの問題点を以下で論じています。
だから日本のジャーナリストは事実を軽視しているのだろうか?
もちろんこの調査結果をもって「だから日本のジャーナリストは事実を軽視している」という結論を導けるかというと留保が必要なのは言うまでもありません。
【「当然のこと」なのでいまさら重要視はしない、それ以外の要素について特に意識を割くべきで、仕事をする上ではそうした意識配分の方が現在の状況では大切だ。】
【事実をありのまま伝えることのみでは逆に読者にとっては異なる事実認識となることが避けられないことが多々あるので適宜解説と背景説明が必要だ】
などといった考え方が広まっている、という可能性はあるのでしょうか?
或いは事実報道を担当している記者の割合と、分析記事を担当している記者の割合が、日本の場合は(特に、当該調査の対象者となった者は)後者の方が多い、という背景があるのでしょうか?
と、SNSではセンセーショナルな取り上げ方がされているとしても、こういう分析の仕方は可能です。
ただ、その可能性は低いんじゃないか?と思わざるを得ない報道や、現実には事実を伝えるだけで読者を騙そうとしている=一定の認識に向かわせる報道が行われているのが実態です。
「適切な事実認識」から読者・視聴者を遠ざける日本の報道の現実の例
事実を伝えるだけで読者をだますことは、可能です。
例えば「群馬の森朝鮮人追悼碑撤去代執行」の事案では、朝日新聞は「司法は撤去まで求めてはいない」などと書いていました。しかし、これは当たり前で、訴訟で争われたのは撤去=代執行するかしないかではなく、団体側に県立公園内の使用権原があるかないかだったからです。
大前提として、沖縄県に対する国の代執行の判決が昨年12月にありましたが、これは代執行のために訴訟提起と判決が必要な地方自治法の手続によるものでした。対して、群馬県の代執行は、行政代執行法に基づく県の私的団体に対するもので、根拠法令が異なるために手続も異なっています。
朝日新聞の記事は、これらの事案の違いを勘案できない読者の誤解を生じさせるような記述になっていました。それを狙ったと断定できる根拠はないですが、SNS上の著名人や実名アカウントの反応に照らしても現実にそうなっています。
次に、共同通信が「海水からトリチウム検出」とだけタイトルに記述していたという事件がありました。これは純粋に海水中の濃度の話として論じるなら「海水から塩が検出」と同じレベルの話です。
他方で、福島第一原発事故に由来する原発排水をろ過したALPS処理水を海洋放出することが決定されて以降、周辺海域の数地点の放射性物質の数値をモニタリングすることが方針として決まっています。
なので、検出限界値未満の地点が多い中、検出された地点があることを書く分にはモニタリングの報道として意義はありますが、その際に重要なのは「放水中止や何らかの対応が必要となる指標を遥かに下回る」という点です。
この指標はWHOの飲料水基準よりも非常に厳しい基準なのですが、それは記事本文にありませんでした。モニタリング結果の報道という意味を持たせているのであれば首をかしげざるを得ない内容です。
しかも、なぜか「共同通信ヘイト問題取材班」が検出した時だけシェアしている…
これは「結果を出す」という言葉の多くが「良い結果を出す」という限定的な意味で使われるように、「検出した」という言葉の多くが「悪いものを検出した」という限定的な意味で使われることを悪用した騙しです。このような暗黙の限定的な比喩を【シネクドキ―】と言いますhttps://t.co/93zjK22EOw
— 藤原かずえ (@kazue_fgeewara) May 8, 2024
「シネクドキ―」という手法が用いられている、という藤原かずえ氏の指摘は、同様の事案を捉えクリティカルに評価するために有用で、覚えておいて損はないでしょう。
「虚偽情報」に限定されない「意図的に誤解を生じさせる情報」へのリテラシー
関連して気になるのは、外務省が4月に「偽情報の拡散を含む情報操作への対応」として公開したものの中に、G7即応メカニズム(外国の脅威からの民主主義擁護に関するシャルルボワ・コミットメント)があること。
ここには、「意図的に誤解を生じさせる情報」に関する批判的思考のスキルとメディア・リテラシーの促進も謳われており(つまり、虚偽情報に限っていない)、事実のみを書いてはいるが背景事情が足りないために誤解が生じるような記事等は、この延長線上で捉えるべき事案なのかもしれません。
何のために事実を伝えるのか?
なぜ表現の自由や報道の自由が認められているのか?
「適切な事実認識」を読者・視聴者に持ってもらうこと、それにより政治に対する正しい評価をして政治参加し、もって社会を維持発展させるため、という側面が重要だからでしょう。
そうした問題意識の下に「事実をありのまま伝える」の優先度が相対的に低くなっているという関係にあるのならば、問題視することもないでしょう。しかし、その認識の大前提には「事実をありのまま伝える」ことは必要条件である、というものです。
現在の日本の報道機関やジャーナリストらの記事や番組やSNSでの言動は、むしろ「適切な事実認識」から読者・視聴者を遠ざけるものになっているケースが散見されます。
Worlds of Journalismの調査結果は、その実態を表しただけなのではないでしょうか?
編集部より:この記事は、Nathan(ねーさん)氏のブログ「事実を整える」 2024年5月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「事実を整える」をご覧ください。