西野智彦『ドキュメント 通貨失政 戦後最悪のインフレはなぜ起きたか』

最近になって1ドルが150円という「円安」に突入しました。

1ドル150円で思い出すのは、大学二年生の夏、1986年7月と8月の40日間の香港、中国へのバックパック旅行です。それは僕の初めての海外旅行で、それまでに(今はなくなってしまった)平和台球場でのビール売りのバイトで貯めたお金で、香港→広州→少林寺→西安→ウルムチ→カシュガル→上海→香港を旅してきたのです。

それが実現できた大きな理由は、ずばり1ドルが150円という「円高」でした。1986年以前は1ドルが200円台で、1986年になって急激に「円高」となったのです。

それは、1971年のニクソン・ショック(ドル・ショック)から続く「円高」のトレンドが一気に進んだためだと理解していました。「円高ということは、日本の国力が高くなって日本は本当の先進国なんだなあ。バイトで貯めたお金で海外旅行できるなんて、ラッキー」というお気軽な気持ちでいたことを思い出します。

ウィキペディアによると、ニクソン・ショック(ドル・ショック)とは以下のように説明されています。

1971年8月15日にアメリカ合衆国連邦政府が、それまでの固定比率(1オンス=35ドル)による米ドル紙幣と金の兌換を一時停止したことによる、世界経済の枠組みの大幅な変化を指す。当時のリチャード・ニクソン大統領がこの政策転換を発表したことにより、ニクソンの名を冠する。

それまでは、金と交換できる唯一の通貨がアメリカ合衆国ドルであり、それ故にドルが基軸通貨としてIMF(国際通貨基金)を支えてきたのがブレトン・ウッズ体制であった。ところが、ドルの金交換に応じられないほど米国の金保有量が減ったことにより、戦後の金とドルを中心とした通貨体制を維持することが困難になったこと、そしてこの兌換一時停止は諸外国にも事前に知らされておらず、突然の発表であったことなどから、ショックと呼ばれ、極めて大きな驚きとともに、その後の世界経済に大きな影響を与えたことによる。

そして、その後日本は1ドル75円の超円高の後、2024年の現在、1ドルが150円となる「円安」に突入しています。為替に関しても危機の「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」、ということで、ニクソン・ショック(ドル・ショック)時の史実を当時の大蔵省や日本銀行の総裁の発した言葉、オーラルヒストリー(史談録)を繋ぎ直した本を読んでみることにしました。その歴史から、現在の「円安」の危機(?)を理解しようと思ったのです。

西野智彦(著)「ドキュメント 通貨失政 戦後最悪のインフレはなぜ起きたか」

本書は、全四章で構成されていて、各章の冒頭にその年に起こった社会のニュースが一ページ列挙されています。例えば第一章の「運命が変わった日」は1971年。マクドナルド第一号店が銀座で開店し、阪神の背番号28の江夏投手が大活躍した年です。僕は当時5歳なので、若松天使園(アフガニスタンの支援で貢献された故中村哲医師も通われた幼稚園)の年長組でした。

1971年当時は国際金本位制で為替は固定相場制で1ドルは360円でした。ニクソン・ショック後にそのレートが1ドルが308円となりましたが、それでも為替レートが固定されていたものが、1973年には変動相場制へと移行し、日々刻々と為替レートが変わっていくことになるのです。

その当時の政治家(特に田中角栄と福田赳夫)、日本銀行総裁(佐々木直)がどういった議論をして、アメリカと交渉し、変動相場制へと変わっていくのかの様子が、ハラハラドキドキ、緊張感をもって読むことができました。そして、「通貨失政」はニクソン・ショック直後に市場を閉めなかった決断の遅さにあるとしています。その点に関しては僕は経済素人なため、それが「失政」かどうかは判断できませんでした。

著者の言う「振り返れば、日銀はこの50年間、インフレリスクを過剰警戒しながらも、知らず知らずのうちに「円高恐怖症と過剰緩和のスパイラル」に入っていった。すべての原点は、ニクソン・ショックにある。」というのが印象的でした。

ところで、変動相場制に関しては、ミルトン・フリードマンが著作「資本主義と自由」で1962年に、第四章「国際金融政策と貿易」の中の「自由市場と変動相場制」で見事に変動相場制への移行を予測していました。

ミルトン・フリードマン(著),村井章子(翻訳)「資本主義と自由」

それによると、「自由市場、自由貿易と矛盾しない国際収支の調整メカニズムは、二つしかない」ということで、ひとつは国際金本位制で、もうひとつは変動相場制で、前者は実現不可能としています。つまり「肝心なのは、あるときある国で発生した国際収支の不均衡を解決することはできない。不均衡が発生すること自体を解決することである。」と言うことらしいです。

ちなみに邦訳はキンドル版がなく、紙の本ははづきルーペで読む僕は、キンドルで読めるオリジナルの英語版「Capitalism and Freedom」を読んでみました。

Milton Friedman (著)「Capitalism and Freedom」

フリードマンの「変動相場制」の予言から10年後の1973年、日銀の抵抗(?)虚しく、為替は「変動相場制」となり1ドルが308円からどんどん円高となり、1986年には遂に150円の「円高」となったと言うわけです。

さて、1970年代当時と2024年今の決定的な違いですが、僕が経済素人なりに考えると、それは1970年代は高度成長期で国民の年齢構成も若く、しかも明日に希望を持って前向きに成長していたことだと思います。だから、「失政」をカバーできるだけの体力が日本にはあったのだと。その点、現在の日本が心配になってしまいます。

最後に、現在なぜ最近1ドルが150円を突破した「円安」になっているのかの詳しい解説は、言論プラットフォームアゴラの池田信夫さんの記事「円安の原因は日本企業のグローバル化である」が最も分かりやすかったので、そのリンクを貼っておきます。

円安の原因は日本企業のグローバル化である 池田信夫

円安の原因は日本企業のグローバル化である
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