アメリカ大統領選2024に向けての、ある多言語翻訳者のつぶやき
今から4年前といえば、コロナ禍が世界を呑み込んでいく、あの2020年のことだ。夏の東京五輪&パラリンピックは一年延期となり、同年10月頭にはトランプ米国大統領がコロナを発症し緊急入院。ちょうど大統領選でジョー・バイデン(民主党候補)と激戦中のころだった。
その翌月(2020年11月)、投票の本番を見据えてか、トランプの前任者にしてバイデンの盟友そして唯一の上司でもあったバラク・オバマの回顧録がアメリカで刊行された。
日本に関する記述もあって、2009年11月にオバマが大統領として東京・皇居を訪問したときの天皇皇后ご夫妻の心遣いについては敬意に満ちている一方で、当時の首相・ハトヤマについては、実に微妙な書き方をしている。
その解釈を巡って、NHKや朝日新聞などがそれぞれ見解を述べてちょっとした論争になったのを覚えている向きも少なくないだろう。
以下は朝日のものから。
NHKのニュースが17日、オバマ前米大統領が回顧録で、鳩山由紀夫元首相を「迷走した日本政治の象徴」などと評したと報じた。これについてネットなどで「誤訳だ」との指摘が上がっている。
ニュースは17日午前10時放送で、同日に出版されたオバマ前大統領の回顧録を紹介。「当時の鳩山総理大臣について、『硬直化し、迷走した日本政治の象徴だ』と記すなど、当時の日本政治に厳しい評価を下しています」と報じた。
だが、原文の該当箇所では、「鳩山は3年足らずの間に4人目、私が就任してから2人目となる日本の首相だった。(首相が短期間で代わるのは)この10年間、日本政治が硬直化し、迷走したことの表れであり、彼も7カ月後にはいなくなっていた」と記されている。
他いろいろな識者による当時の論評に目を通してみても、NHKが間違って訳したとするもののほうが多いようだ。当の鳩山も「『不器用だが陽気な』との表現はあるが痛烈な批判はなかった。メディアはなぜ今も私を叩くのか」と、自身のツイッターで不満を表明した。
NHKの勇み足だったという論調とともに、日本の世論はやがてこの事件について、忘れていった。
以下は私が訳してみたものだ。このほうがオバマの真意に近いと思う。
この頃の日本は、政道の方向性を出せないまますっかり硬直化していて、三年足らずの間に首相が三回も交代していた。自分が東京で会談したときの首相はその四人目で、まさに日本の政治的混迷の表れであった。私が大統領に就任したときの日本の首相は、すでに彼にバトンを渡して失脚していた。ハトヤマは、言われているよりは好人物だったが、私と会談してより七か月後には彼もまた失脚という有様だった。
ここで一度、2009年当時の日米関係について、手短に振り返ってみよう。
あの年の大事件といえば、なんといってもオバマが、1月よりホワイトハウスの主となったことだろうが、日本国内では、同年8月に政権が自民党から民主党に移ったことが、やはり最大の事件だろう。
オバマはこの半年前に、日本からの来客・アソー首相をホワイトハウスに迎え入れてはいるが、アソーの政権ひいてはジミン党の天下がもう長くないと見越してだろう、共同記者会見は行われなかった。
そしてホワイトハウスが予見したように、麻生政権は総選挙で大敗し、アメリカとの付き合いが長い自民党は下野を余儀なくされた。
取って代わった民主党は、旧・野党の連合的な組織だ。夏の総選挙で議席の四分の三を占めるという、圧倒的支持を国民から受けたとはいえ、公約も人材もあまり現実的とはいえないものが混じっていた。
オバマにすれば、日米同盟それに東アジア秩序の頼もしい fellow(同僚)とは呼びがたい、そんな相手ではあった。
同2009年11月、オバマは一泊二日の日程で、東京にやって来た。そして日本の新首相、すなわち彼の新しいfellow(同僚)であるハトヤマと会談し、晩餐を共にした。
そこまではよかったのだが、翌日ハトヤマは、オバマが未だ日本にいるのに、シンガポールでのAPEC会合を優先して日本を後にするという、常識はずれな行動をとって、日本国内外から失笑を買ってしまった。
彼の失態は続いた。もともとハトヤマは、オキナワ島の在日米軍飛行場を、沖縄県外に移す案を首相就任より前から公言していた。中国の軍事力拡張に対抗するためにはアメリカにとってオキナワは極めて重要な軍事拠点である。それを揶揄するような人物が、日本の首相となったことに、オバマ政権は神経質になっていた。
首相就任後も、ハトヤマは飛行場移転問題について失言を繰り返した。オバマを日本に迎えた、この2009年11月以後にも、だ。
翌2010年4月に首都ワシントンでサミットが開かれた。日本より参加したハトヤマは、夕食会でオバマと非公式会談のとき「Can you follow through?」(ちゃんとやってくれ!)と叱責されたといわれている。
オバマとハトヤマが(それぞれ首脳として)直接会って話をしたのは、公式記録を信じるならばこのときが二回目で、そして最後のものだ。以下は当時の「日本経済新聞」(同年4月23日付)から。
米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)の移設を巡る日米の対立は修復不能な域に入った。米オバマ政権はたびたび前言を翻す鳩山由紀夫首相の理解不能な発言にさじを投げており、もはや交渉相手とは見ていない。表立っては言わないが、日本の政権交代を前提にした物言いをする人もいる。
そしてサミットより一か月半後、鳩山は辞意を表明。首相退陣の記者会見も、本人の意思で行われなかった。
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回想録を綴りながら、オバマはどんな風に2009年11月の日本(というか東京)来訪を思い起こしていたのか。
以下は私の空想であるが、そう的外れでもないと考える。
Hatoyama, who was Japan’s fourth prime minister in less than three years and the second since I’d taken office, was a symptom of the sclerotic, aimless politics that had plagued Japan for much of the decade.
ハトヤマはすでに引退しているとはいえ、表立って罵倒するようなことは、元アメリカ大統領としては控えるだろう。それで、
この頃の日本は、政道の方向性を出せないまますっかり硬直化していて、三年足らずの間に首相が三回も交代していた。自分が東京で会談したときの首相はその四人目で、まさに日本の政治的混迷の表れであった。私が大統領に就任したときの首相は、すでに彼にバトンを渡して失脚していた。
と、同情的とも読めるような文を、一度は綴(つづ)った。
しかしオバマはもともと、ハトヤマの非現実な言動を、彼が首相になる前から聞き知っていて、そして実際に日米同盟の相棒(fellow)としてパートナーを組んでみて、噂以上の人物であると思い知った。
回想録でも、そのあたりのことをもっと踏み込んで述べたかったのだろうが、慎み深い著者としては、ストレートにそう綴るわけにもいかない。そこで…
A pleasant if awkward fellow, Hatoyama was Japan’s fourth prime minister in less than three years and the second since I’d taken office a symptom of the sclerotic, aimless politics that had plagued Japan for much of the decade. He’d be gone seven months later.
そう。
この頃の日本は、政道の方向性を出せないまますっかり硬直化していて、三年足らずの間に首相が三回も交代していた。自分が東京で会談したときの首相はその四人目で、まさに日本の政治的混迷の表れであった。私が大統領に就任したときの日本の首相は、すでに彼にバトンを渡して失脚していた。ハトヤマは、言われているよりは好人物だったが、私と会談してより七か月後には彼もまた失脚という有様だった。
繰り返す。ここでオバマが使っている「fellow」(同僚)は、①ハトヤマという人物、②首相ハトヤマ、そしてさりげなく ③同盟国・日本、の三つを意識したものだ。
私たち読者がこの三つのどれを強く意識して読むかで、ニュアンスが変わるよう、そしてハトヤマを腐(くさ)しているわけではないとはぐらかせるよう、工夫されているのがわかる。
そこで私の訳では、くだんの「A pleasant if awkward fellow」について、ハトヤマを直接に腐したものとは断定できないよう、「言われているよりは好人物だったが」と訳出して、文の頭ではなく真ん中に移動させることにした。
ネット検索していくと、ここの和訳にいろいろな方が挑戦していて、私も大変刺激を受けた。しかしこのフレーズを文の頭から後ろに移して、ハトヤマ酷評のニュアンスを薄めるという技を思いついた方は(集英社より翌2021年2月に刊行された邦訳本の翻訳チームも含めて)私の管見ではゼロであった。
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オバマのこの回顧録は、2011年5月2日に彼の決断で実行されたビンラディン暗殺と、その成功の余韻をひとり噛みしめる様で締めくくられる。逮捕ではなく殺害、そしてイスラム教では土葬が基本であるところを、アメリカ空母より遺体を詰めた袋を海に投下(つまり水葬)して作戦終了となった。
4歳のとき9.11で父親を亡くしたという、このとき14歳の女の子から「この国は父のことを忘れていなかった」と感謝のメールを受け取ったことを、彼は誇らしげにこの回顧録の最終章で紹介している。だが、世界最強帝国の王オバマを決断させたのは、もっと冷徹なものだ。
生きて裁きの場に立たせては、帝国に屈しないカリスマとして、世界の反米世論から崇拝されてしまう。墓すらないテロリストとして、物理的に消滅させよ。
これでもし我が帝国に非難が集中しても、力の政治で世界を抑え、時間をかけて正当化する…
オバマは、古代ローマ帝国期より変わることなく生息してきた、まさに政治家だった。
ちなみに本書の原題は「A Promised Land」(約束の地)。すぐれた著述家で文才に恵まれたバラク・オバマが、どこか線の細げな冠詞「A」をあえてタイトル冒頭に選び、自信に満ちた「The Promised Land」を選ばなかったのか、これはいつか別の機会にじっくり論じてみたいと考えている。
ああ、それから、日本の政界からすでに身を引いた今も奇妙な対外活動を続けているというハトヤマにも、この回顧録における彼の本当の位置付けについて、次のアメリカ大統領選が近づく今、少しばかり説いてあげたいと夢想しないでもない。
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久美 薫
翻訳者・文筆家。『ミッキーマウスのストライキ!アメリカアニメ労働運動100年史』(トム・シート著)ほか訳書多数。最新訳書は『中学英語を、コロナ禍の日本で教えてみたら』(キャサリン・M・エルフバーグ著)。