蓮舫氏の問題でデイリー新潮に、『蓮舫氏 二重国籍問題の「第一発見者」が指摘する、まだ残る“疑惑” 「積極的に情報公開を」』という記事を書いた。夕刊フジの記事はもっとも簡略版。こちらは、時系列をきちんと書いて、いい加減な反論を絶対に許さないためのものだ。
ぜひ記事を全文、お読みいただきたい。それとともに、ここでは二重国籍自体は悪いものでないという議論に対して、基本的には好ましくないものであることを簡潔に説明した。「二人分の権利と一人分の義務」に事実上なっている。
LGBTは性自認を尊重して、たとえば男風呂に入るか女風呂に入るかは、どっちを選ぶのは本人だとか、第三の風呂を作れということだが、二重国籍はどっちでもその時の気分で好きな方には入れることだ。それを認めるのが多様性の尊重ではない。
以下は、それについての部分である。
国籍が大事なものだという認識が希薄な日本人の中には、「二重国籍がなぜ悪い? 海外ではたいてい認めているし、どんどん広がっているのでないか?」という誤解を持つ人もいるので、それを簡単に解説しておきたい。
国籍の意味は、その国のルールに沿って権利と義務が生じ、外国にいても自国の政府に守ってもらえることだ。それが複数の国籍を持つと法的関係が複雑になるので、二重国籍を認めている米国政府も推奨はできないと明言しているし、中国はまったく禁止、フランスはテロ組織に絡んだ場合など国籍剥奪までしている。
本来は、国際条約で国籍は単一としつつ、特殊事情がある場合には、部分的に国民に準じる権利や義務を与えるようになるのが理想だが、過去の歴史を背負って出生地主義の国もあるなど、各国の制度がばらばらで実現していない。
また、二重国籍だと権利も義務も二か国分になるはずだが、普通は権利が二人分、義務は一人分であって、両国の選挙で投票できるし、二枚の旅券も使いわけられる一方、二重課税されたり両方の国で兵役を求められたりすることは皆無でないが少ない。
LGBT問題は、従来の男性・女性で割り切れない人がいるから、本人の意識を重視しようということだが、二重国籍は好きなように男性になったり女性になったり使い分けられるのに近いわけで、多様性を認めるために必要なわけでない。
日本人が米国籍も持っているとビジネスや留学などで得であるが、制度の隙間で生じた特権に過ぎない。
二重国籍を認めている国は、韓国のように金持ちやスポーツ選手など、自国にとって好ましい移民を奨励する手段として、選別的に二重国籍を認めているケースが多い。だがこれが好ましいとは思わない。
あるいは、中国とか北朝鮮は二重国籍を認めないし、韓国も限定的だが、将来的にそういった日本にともすれば敵対的で、しかも、国民に対する統制が厳しい国との二重国籍を認めることになれば、安全保障上の危惧も大きい。
そして、政治家が二重国籍者であることは、多くの国で禁止されたり、好ましくないとみなされたりするおり、それについて嘘をついたら非難囂々であるのは当たり前のことなのである。