ウクライナ戦争において、ロシアが核兵器を使用するリスクは高まっています。
われわれは核戦争という最悪の結末を避けるための努力を惜しむべきではありません。なぜならば、ロシアがウクライナを戦術核で本格的に攻撃をしたら、ウクライナの無辜の大勢の市民が犠牲になるからです。さらに、それが全面核戦争にエスカレートしたら、ヨーロッパだけでなく、その域外に住む人々のおびただしい命も奪われるからです。
そのような大惨事を防ぐためには、アメリカはウクライナが西側の兵器でロシア領内を攻撃することを抑制させるだけでなく、ロシアとの停戦に向けた交渉を直ちに始めるべきです。
リアリストが集まる「ディフェンス・プライオリティ」の上席研究員である米退役軍人のダニエル・デーヴィス氏は、プーチン大統領が核兵器の使用に言及したことの重大さをふまえて、以下のように最大限の警告を発しています。
「これは非常に大きな出来事だ。私たちは、上向く可能性がない代わりに、ロシアの報復による(核使用の)リスクを増大させ続けている。リスクばかりで得るものがない!ウクライナ戦争の政策を大転換するときだ。まだ時間があり、ロシアから攻撃を受けていないうちに、最善の条件で交渉による解決を模索するのだ」。
彼は、ウクライナによる昨年の「反転攻勢」が失敗に終わることを的確に予測していた一人なので、その発言には耳を傾けるべきでしょう。
それにもかかわらず、このような主張は、「ロシアがウクライナから撤退すれば済むことだ」とか、「国際法に違反してウクライナを侵略した、邪悪な指導者プーチンを擁護するものである」とか、「ウクライナの占領地を確保したいプーチンの思うつぼにはまっている」とか、「これまでロシアは核恫喝を行うだけで実際には使用しなかったのだから、これはブラフ(こけおどし)だ」とか、「ウクライナは西側の兵器を使用することにより戦況を好転させられる」といった論拠で必ず反論されます。
しかしながら、これらの批判は、どれも根拠に乏しく、検証を少し進めるだけで説得力に欠けることがわかります。
とりわけ、ロシアがウクライナから進んで撤退することは、まず考えられません。スティーブン・ヴァン・エヴェラ氏(MIT)が言うように、「正義の世界ならば、ロシアはウクライナとの戦争から何も得られません。その代わり、ロシア軍はウクライナから撤退させられ、ロシアの指導者はウクライナ国民に対する侵略罪と野蛮な戦争犯罪で裁かれ、処罰されるでしょう。残念ながら、ロシアにはそのような結果を拒否する力がある」ということです。
このような権力政治の現実から目を逸らしても、戦争の結末は変わらないのです。
リアリストは「親露派」ではない
ロシアの戦術核の使用を防ぐためにロシア領内への攻撃を控え、停戦交渉を始めるように主張するリアリストは、ロシアのプロパガンダを拡散する者でもなければ、親露派でもありません。
わたしたちは、ロシア政府の主張とリアリストの分析や政策提言が重なるので、それらは因果関係にあると勘違いしがちですが、そうではありません。リアリストがロシアのプロパガンダや偽情報に騙されて、その言説をモスクワの意向に沿うように変えて発信している根拠は何一つありません。
リアリストの代表格であるジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)は、ウクライナ戦争におけるロシアの核使用のリスクとウクライナが「機能不全の残存国家」になることに警鐘を鳴らし続けました。
その彼は、ウクライナ政府から「ロシアのプロパガンダ拡散者」に指名されてしまいました。これに対して、アメリカのクインシー研究所はウクライナ政府に対して、「これは言論の自由を侵害する行為である」と抗議しました。ミアシャイマー氏が核戦争にエスカレートする危険を訴えるのは、国際政治や戦略のロジックを理解している研究者ならば当然なのです。
ロシアが西側とのバーゲニングで核威嚇を最大限に利用しようとするのは、クレムリンの合理的な政策決定の結果に過ぎません。また、戦争の行方や結果が交戦国に配分されたパワーを反映するのも必然的であり、「消耗戦」が続くウクライナ戦争で兵士を供給する能力や火力で優位性を持つロシアが、それらに劣るウクライナを弱体化させていくことも、残念ながら避けがたいことなのです。
ですから、ミアシャイマー氏を代表とするリアリストの主張は、ウクライナ戦争の現実から導かれた客観的な分析であるに過ぎません。これはロシア擁護とは何の関係もないのです。
ロシアの核恫喝は「思うつぼ論」に矮小化できない
核時代における外交の特徴は、それが核兵器という究極の「相手を痛めつける力」と連動していることです。すなわち、核武装国は核恫喝により、自らの政治的意思を敵対国に受け入れさせようと、懸命に押してくるということです。
ハーバード大学の名誉教授であるジョセフ・ナイ氏が的確に指摘したように、現在、ロシアとアメリカは「核威嚇に信ぴょう性をもたせて、相手を賭けから降ろそうとするチキンゲーム」に従事しています。
こうした見方は、標準的な戦略理論にもとづいています。核時代における国家間の駆け引きの特徴は、核戦略論の先駆者であるノーベル経済学賞受賞者のトーマス・シェリング氏により、半世紀以上前に明らかにされました。このことについて、彼は以下のように説明しています。
「大規模戦争がどうやって生起するのか—失敗、発端、あるいは誤認がどこで起こるのか—は予測できない…より重要なことは、われわれはいかにして全面戦争という感知される危険が突然増大するのを制御…するかということである…リスクの高まりの大部分は核兵器の帰趨が占めている…いったん核兵器が持ち込まれた戦争は、もはやそれまでの戦争と同じではありえない。そもそも戦争を律していた戦術上の目的や考慮事項はもはや支配的ではない…核が持ち込まれたなら、戦争は決して本来の経過を辿らない可能性がある…大敗北を喫するのを防ぐために何としても核使用が必要となるときには…核の使用を慎重に行う機会をおそらく逸している。一方、近い将来における核使用の軍事的な必要性が生じる可能性が高いことを戦術的な状況が示唆しているときには…外交と適切に連携した無差別ではない慎重な核の持ち出しの機会が残っている。その段階を越えて機会を待てば、おそらく単に戦術的核使用の可能性を高めるだけであ(る)」(『軍備と影響力』107-115頁、強調は引用者、引用文は一部修正)。
ウクライナ戦争でのロシアの核威嚇は、現時点において外交と連携しているので、この機会を逃すべきではありません。それを逸してしまうと、ウクライナ戦争は、われわれには予想さえできなかった要因が作用することで、坂道を転げるように、核兵器の応酬へとエスカレートするかもしれないのです。
実際、ウクライナによるロシアのアルマビルにある早期警戒レーダーサイトへの攻撃は、一歩間違えれば、核の大惨事になっていたかもしれません。
核問題の専門家であるセオドア・ポストル氏(MIT)は、これにより「アメリカの核攻撃に対する防御の一つが崩れたと感じたロシア側が、報復のために激しく反撃するという危機を、ウクライナ側が無用に引き起こしていたかもしれなかった」と、その危険性を指摘しています。
さらに驚くことに、「アルマビルのレーダーは、ウクライナの航空機、巡航ミサイル、ドローン、ATACMミサイルにとって監視上の脅威にはならない」のですから、ウクライナにとって、この攻撃には軍事的合理性がほとんどなかったのです。
残念ながら、このチキンゲームには、ロシアはアメリカやNATO加盟国より固い決意で臨んでいるようです。これはウクライナ支援国が「プーチンの思うつぼ」にはまっているからではありません。ロシアは国家の存亡とプーチン政権の生き残りを賭ける一方で、アメリカはウクライナ戦争に死活的国益を見ていません。米ロの利害は非対称なのです。
チキンゲームの結末を左右する「決意のバランス」や「利益のバランス」は、ロシア有利に大きく傾いています。
ロシアはアメリカより固い決意で戦争に臨んでいる
ウクライナ戦争において、もちろんウクライナは必死でロシアの侵略に抵抗して国家を守ろうとしている一方で、ロシアも大きな利益を賭けています。このことはクレムリンの指導者が、相次いで、自らの核恫喝に信ぴょう性を持たせようと繰り返し発言していることから裏づけられます。
プーチン大統領は、ロシアが核使用を準備していることを以下のように明言しています。
「何らかの理由で、西側諸国はロシアが核兵器を使用することはないと信じている。我々には核ドクトリンがある。ロシアの主権と領土の一体性が脅かされれば、あらゆる手段を行使することが可能と考えている。これを軽々しく、表面的に受け止めるべきではない」。
ロシアの国家安全保障会議副議長のドミトリー・メドベージェフ元大統領は、NATOとの全面戦争も辞さない姿勢を示すことで、より直接的に威嚇しています。
「今日、誰も紛争の最終段階への移行を否定できない。ロシアは、ウクライナが使用する全ての長距離兵器をNATO諸国の軍人により直接管理されていると既に見ている。 これは軍事援助ではなく、我々への戦争の参加であり、こうした行動は開戦事由となる可能性が十分にある」。
ロシアのセルゲイ・リャブコフ外務次官も、ウクライナとその支援国に以下のメッセージを発信しています。
「私はアメリカの指導者たちに、致命的な結果を招きかねない誤算を犯さないよう警告したい。彼らはなぜか、自分たちが受けるかもしれない反撃の深刻さを過小評価している。これは非常に重要な警告であり、最大の深刻さをもって、深刻に受け止めなければならない」。
このようなロシアの強硬な姿勢とは対照的に、アメリカはかなり腰が引けているように見えます。
第1に、アメリカのウクライナ戦争に対する基本政策は、ロシアとの直接戦争を回避することです。これはロシアのウクライナ侵攻直後から現在まで全く変わっていません。そのために、バイデン政権はロシアとの交戦に至る事態を恐れて、ウクライナに「飛行禁止区域」を設けることに反対しました。
第2に、ワシントンはモスクワに、戦争のエスカレーションを本心では望んでいないというシグナルを送っています。
バイデン政権は、攻勢を続けるロシア軍が戦線を拡大することを恐れて、ウクライナ軍にアメリカの兵器によるハルキウ近辺のロシア領内の拠点を攻撃することを許可しました。ただし、アメリカ政府のこの決定は、ロシアに対して強い決意を示すものではなく、むしろ、なし崩し的な政治的妥協の産物でした。
5月末の時点で、国防省のサブリナ・シン副報道官は、ワシントンの政策に変更はなく、キーウに提供している安全保障支援はウクライナ国内で使われるべきだと述べていました。ところが、次の日に、ブリンケン国務長官は、バイデン大統領がウクライナ側の要請を受けて、アメリカが供与した兵器でロシア領内の国境沿いに集結するロシア軍部隊などを攻撃することを許可したと訪問先のチェコで言明したのです。
こうして、ワシントンはロシア領内の一部の地域への攻撃をウクライナに認める方針に転換したのですが、バイデン政権内では、これに消極的な国防省と積極的な国務省が対立しており、国家としての一貫した戦略が欠如しているようです。
その後、アメリカは戦争のエスカレーションを恐れて、ロシアを刺激しないよう懸命にシグナルを送っています。ジョン・カービー報道官は、アメリカがロシア縦深への攻撃を禁止する方針を数週間以内に再考することはなく、バイデン政権は、ウクライナがより射程の長い強力なATACMSをロシアに向けて発射することも禁止したと明らかにしました。
このようなアメリカ政府の発信は、ロシアの攻勢には、より強力な軍事的行動で応じるというものではありません。このことはアメリカのエスカレーションへの覚悟が、ロシアより劣っていることを示しています。
要するに、ウクライナ戦争における相手を先に降ろすチキンゲームでは、ロシアはアメリカより優位に立っているのです。
ロシアの核威嚇は「ブラフ」と扱うべきでない
ロシアは先日、戦術核の使用を想定した軍事演習を実施しました。これはロシアが核使用への「エスカレーション・ラダー(核のはしご)」を一歩、上ったことを意味します。この事態の深刻さをランド研究所のマイケル・メイザー氏は、こう分析しています。
「2022年2月時点でアメリカの利益では(ロシアとの)戦争に突入することが正当化されなかったのなら、今日でも正当化されない。あらゆるエスカレーションのステップには、その原則に反する『ある程度の』リスクがあるのだ。『プーチンは我々を恐れており、エスカレートしない』と主張するのは単純すぎるし、行動と反応のサイクルの触媒的力学を無視している」。
こうした警告は、「ウクライナがクリミアの黒海艦隊司令部を攻撃しても、ロシアは核で反撃しなかったから、ロシア国内に対する攻撃を受けても核使用を自制し続ける」と批判されます。しかしながら、この反論は間違いです。
ロシアは外交的メッセージを一段階強い戦術核演習により、ウクライナと西側に伝えようとしているだけなのです。そして、ロシアの次の一歩が何になるのかは、もしかしたらプーチンを含めて、誰にも分からないかもしれません。
ヒロシマ・ナガサキの悲劇を除き、核武装国が戦争で核兵器を使用しなかったのは、国家の安全保障が深刻に脅かされなかったからに他なりません。このことはポール・エイヴィ氏(バージニア工科大学)が、力作『数奇な運命』で論証しています。
しかしながら、ウクライナ戦争は核武装国が関与した過去の戦争とは違い、核大国ロシアの国土がアメリカの武器により攻撃されているのです。これをロシアが国家安全保障上の危険だと思わない明確なエビデンスは、はたしてあるのでしょうか。さらに悪いことに、国家の指導者は敵の意図を受けた情報の「鮮明さ(vividness)」で推察することも、最新の政治学の研究で明らかにされています。
ウクライナ軍がロシア国内の拠点をアメリカ産のハイマース(HIMARS)で攻撃したことは、おそらく、クレムリンの指導者に強烈な印象を与えたでしょう。そして、プーチンたちが、このことをアメリカと同盟国のロシアを滅ぼうそうとする意図の表れだと判断したかもしれません。彼らがそう考えることは、我々には「パラノイア」にしか映りませんが、それはロシアの指導者がそう考えない論拠にはなりません。
万が一、クレムリンがそう判断したならば、「NATOとの戦争は今やった方が、後に敵国の軍事態勢が整った際の戦争よりマシ」という恐ろしいロジックが、プーチンたちの思考を支配するかもしれません。
つまり、ロシアは不利になる前に先にNATOの軍事拠点を叩く、あるいは、NATOのウクライナ戦争への参戦を抑止するために、戦術核を示威目的でウクライナに使用するインセンティブを高めかねないということです。
「ゲームチェンジャー」という幻
ウクライナがアメリカなどの支援国から供給された武器をロシアに使えば、戦況を好転させられることに期待できるので、核戦争のリスクを冒しても、ロシア領内を攻撃すべきであるという反論もあるでしょう。残念ながら、この主張にも、ほとんどエビデンスがありません。
クインシー研究所の最新の報告書は、過去に「ゲームチェンジャー」になると言われた兵器が、ことごとく期待を裏切った事実を明らかにしました。スイッチブレードドローン、 M-1エイブラムス戦車、M777榴弾砲、エクスカリバー誘導155mm砲弾、HIMARS精密ミサイル、GPS誘導爆弾など、次々と登場した「ゲーム・チェンジャー」といわれるシステムは、いずれも期待に応えられなかった、ということです。
そもそも単一の武器や兵器が戦争の行方を変えることは、核兵器以外にはありえないでしょう。なぜ、通常兵器では戦況を大きく変えられないのでしょうか。確かに、「HIMARSの長距離ミサイルは、弾薬庫のようなロシアの高価値な標的に致命的な効果をもたらしましたが、ロシア軍はそのような弾薬庫や他の可能性の高い標的を分散させ、カモフラージュすることで適応した」からです。
要するに、ウクライナ軍が特定の兵器でロシア領内を攻撃しても、ロシア軍は対抗策を講じるので決定的な打撃につながりにくいのです。
こうした攻撃と防御の永続する関係は、戦略や軍事の専門家が何度も明らかにしてきました。スティーブン・ビドル氏(コロンビア大学)は、「攻撃側が成功するのは難しく、何世代でも変わらな(い)…これはドローン…の結果ではないし、変革でもない。テクノロジーと人間の適応の間の長年の傾向と関係が、わずかに延長しただけだ」と、ウクライナ軍の苦戦を正確に予測していました。
戦略家のコリン・グレイ氏は著書『兵器は戦争を形成しない』において、戦争や戦略を武器に還元することを戒めて、「個々の兵器や兵器システム…は、歴史の流れを方向づけるものではありません…兵器が戦争の勝敗を決めるわけではありません」(176頁)と主張していました。
要するに、あたかも専門性があるかのような「ゲームチェンジャー」なるバズワードは、われわれを間違った判断に導くということです。
危機管理の鉄則
核時代のおける危機を管理する際の原則は、核戦争について、それが起こる確率ではなく、それがもたらす損害で対応を決めることです。言い換えれば、これまで起こらなかった核戦争という「黒い白鳥」が突如として出現する可能性はどれだけ低くても、そうなる事態を何があろうとも避ける政策を最優先するということです。
こうした確率と危険の避けがたいジレンマについて、ナシーム・ニコラス・タレブ氏は、ベストセラー『ブラック・スワン』で、こう説明しています。
「現代のリスクには…安全保障などがある…将来を左右する大きなことで予測に頼るのは避ける…信じることの優先順位は、確からしさの順ではなく、それで降りかかるかもしれない損害の順につけるのだ…深刻な万が一のことには、全部備えておくのだ」(66-67頁)。
それでは万が一、ウクライナ戦争が不幸にして米ロの核戦争にエスカレートしたら、世界はどうなるのでしょうか。
ラトガース大学の研究によれば、そうなると約50億人が死亡することになります。だから、この研究に携わったアラン・ロボック氏は「データがわれわれに伝えようとしているのは、核戦争を絶対に起こさせてはならないという一点だ」と力説するのです。
われわれは今こそケネディ大統領が遺した教訓を思い出す時です。彼は「キューバ危機の究極的な教訓は…相手国の立場になってみることの重要さである…(ケネディ)大統領は…ソ連の安全保障をおびやかす…立場、屈辱をうける立場にソ連を追い込んだら、われわれは本当に戦争に突入するだろうとの事実を強調しつづけた」(ロバート・ケネディ『13日間』107, 109頁)のです。
バイデン大統領は、後世の歴史家にロシアの核使用を防げなかった「愚か者」と描かれないために、この危険な核の「チキンレース」から降りて、ウクライナ戦争の停戦に向けた交渉を開始すべきです。核戦争を防ぐための譲歩は「宥和」ではありません。そして、日本の岸田政権も、同盟国としてアメリカが外交により事態を打開することを積極的に支援しなければなりません。戦略の要諦は、国家に与えれらた選択肢の優先順位を間違えないことです。
誠に残念ですが、ウクライナがアメリカの兵器でロシア領内を限定的に攻撃しても、戦況を大きく好転させることを見込めないどころか、むしろ、核戦争の危険を高めてしまいます。したがって、アメリカの政策転換は二重に意味がありません。
今、私たちに求められることは、ウクライナ戦争の和平が不正義で不満足であろうとも、核戦争のリスクより優先する苦渋の選択ではないでしょうか。