メガソーラーがもたらす凄まじい景観破壊
「人間による自然破壊から地球を守る」と称して太陽光発電などを推進している人たちが、じつはとんでもない規模で自然破壊をしている。
「将来もっとスペース効率のいい『再生可能エネルギー』が開発されたら、ソーラーパネルを撤去して景観修復をすればいい」との意見は、事態の深刻さをわかっていない。
ソーラーパネルによって太陽光が直接地表に届かない時期が10~20年続けば、生きていくのに陽光を必要とする動植物の大半が死に絶えて生態系が破壊されてしまう。景観は修復できたように見えても、生態系は「修復」できない。
太陽光発電は大量の労働時間をも奪う
景観破壊に比べてわかりにくいのは、太陽光発電のために動員された労働力は、異常に稼動率が低く、したがって自分の労働の成果が他の事業に投入されたときよりはるかに低い効率でしか経済全体に貢献できないことだ。これは労働時間の大半を盗み取られるに等しい。
この事実は、同じ1キロワット時の電力を生み出すのに必要なコストの差でわかる。
風力に比べて設置した場所によるコスト差も顕著だが、これはもちろん夜は絶対に発電できないし、雨が降っても曇ってもほとんど無理というきびしい気象条件に全面依存するからだ。
当然のことながら、発電が可能な気象条件がむずかしい分だけ太陽光発電の稼動率は風力発電よりさらに悪い。冬はめったに快晴の日がないドイツで太陽光発電をするのは、まさに木に登って魚を獲ろうとするような愚挙だ。
稼動率が4分の1ということは、そこに投入された資源も労働力も4分の1しか活用されていないということだ。そして、これほど労働力を利用する効率が低い発電法なので、天然ガス、石炭、原子力に比べて、同じ電力を生産するのに必要な労働者の人数がなんと46倍に達してしまう。
これは太陽光発電に投入された労働力を他の分野に使っていれば、その労働力は経済全体の維持発展のために50倍近い貢献ができたはずだということを意味する。景観を破壊するだけでなく、太陽光発電に従事する人間の労働時間の大半を盗み取ってしまうことも重大な欠陥だとおわかりいただけたのではないだろうか。
なお、ここで天然ガス、石炭、原子力に投入された1人分の労働が1330万キロワット時近辺でほとんど同じ電力を生み出す計算になっているのは、決して偶然ではない。
どれかひとつの発電法が労働力1人分で他の発電法よりはるかに多くの電力を生み出せたら、効率的な社会ではその発電のシェアが他の発電法を圧倒するはずだからだ。貴重な労働力を十分に活かすことができない太陽光や風力による発電は、そもそも競争の土俵に乗る資格がないのだ。
そもそもなぜ太陽光発電がもてはやされるのか
「再生可能エネルギー」による発電が奨励される最大の理由は、天然ガス、石炭、石油などの化石燃料を燃やして電力をつくる火力発電と違って、風力や太陽光を使った発電はエネルギー源を燃焼させないので、二酸化炭素が発生しないということにある。
しかし、水とともにあらゆる植物の主食となって植物の生育を助ける二酸化炭素が、なぜ地球を生物の生きていけない「死んだ惑星」としてしまう「悪役」とされたのかについては、案外ご存じない方が多い。
「世界政府による人類全体の統制」を目指す勢力は、ソ連東欧圏が崩壊した結果、社会主義諸国との冷戦という西側諸国全体を結束させる口実を失った。ちょうどその頃、1970年代初めから人類全体の人口の大幅な削減を唱え続けてきたローマクラブが、人類全体を統制する新しい口実として「人類の敵は人類が排出する二酸化炭素だ」と主張し始めた。
人間だれでも生きている限り犯し続ける罪悪として「二酸化炭素を吐く」ことが選ばれたからであって、二酸化炭素自体に人類や動植物や、地球に害を及ぼす要素など何もない。誰でもしていることだから「犯した罪を悔い改めよ」と脅すのに最適な事実だったというだけのことだ。
そして、二酸化炭素排出が罪悪だという主張を正当化するために後付けで持ち出されたのが、「地球温暖化=気候変動危機」説なのだ。
ただ、欧米諸国は世界中の他の地域の国々と比べて、人口1人当たりであまりにも大量のエネルギーを浪費し続けてきたのは紛れもない事実だった。だいたいにおいて60~90キロ程度の重さしかない人間ひとりかふたりが移動するために、ドンガラだけで1.5~2.0トンもある自動車を乗り回してきたことがその典型だ。
二酸化炭素に濡れ衣を着せるのは良くないし、人類全体の罪でもないが、エネルギー資源の浪費は、欧米諸国の豊かな人々が大いに悔い改めるべき習慣だ。どの程度の所得水準で暮らしてきたかによるエネルギー浪費度の差は次のグラフから明瞭に読み取れる。
二酸化炭素排出量ベースで見ると、1990~2015年の26年間で、人類全体のエネルギー使用量増加分のうち46%を所得水準でトップ10%の人が使っていたし、その次の40%の人たちが49%を使い、下から半分の人たちはたった6%しか使っていなかった。
悔い改めるべきは、所得が人類全体で上から半分の人たちだし、その中でも特に重罪を犯してきたのがトップ10%の人たちだったとわかる。
それだけではない。地球上のどの国で生きてきたかによっても、エネルギー資源の浪費度は大きく違っている。
ご覧のとおり、アメリカをはじめとしてアングロサクソン諸国の金持ちたちのエネルギー浪費度が突出している。大陸ヨーロッパ諸国でも金持ちのエネルギー消費量は大きい。
一方、東アジア諸国の生活水準は1970年代頃から急速に欧米諸国にキャッチアップしてきたが、あまりエネルギーを浪費するライフスタイルは真似ていない。その典型が日本で、日本で所得水準トップ10%の人たちのエネルギー消費量はアメリカ国民の平均値よりも低い。
これは日本が高度経済成長のまっただ中にあった時期からの特徴で、そのころからGDP1ドルを生み出すためのエネルギー消費量は、日本のほうが欧米諸国よりはるかに低かった。
二酸化炭素排出量削減という目標設定は間違っているが、エネルギー消費量の節減というかたちで資源浪費に歯止めをかけようという趣旨なら大賛成で、とくに欧米諸国の金持ち連中にはぜひともやっていただきたい。
ただ、日本国民が欧米諸国で生きている金持ちたちの贖罪意識にお付き合いしなければならない理由はまったくない。
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増田 悦佐(マスダ エツスケ)
経済アナリスト・歴史家・文明評論家。欧米諸国を疑い、日本の強さを信じながら、アジア近隣諸国を蔑視しません。最新著『アメリカ消滅――イスラエルとの心中を選んだ史上最強の腐敗国家』(ビジネス社、2024年5月)
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