トランス問題を解決する鍵は「ノンバイナリー」か

仏書『トランスマニア』(マグヌス2024年)をめぐっては、著者ドーラ・ムートーとマルゲリート・スターンに対する殺害予告騒ぎにまで至っている。

しかしその前に、小児精神科医カロリーヌ・エリアチェフと精神分析医で大学教授セリーヌ・マッソンによる『トランスジェンダーの子供の製造』(天文台2022年)出版と、「性別違和」を自認する未成年者への医的介入に反対し監視する「リトルマーメイド天文台」創設があり、同趣旨の欧州宣言を求めるマニフェストを公表した。

今年2月9日に死去したロベール・バダンテール元法相(フランスの死刑制度廃止を実現した)を亡くしたばかりのエリザベト・バダンテール(仏フェミニズムの権威)も加わっている。

これに対して、昨年のノーベル文学賞受賞者アニー・エルノーは、『トランスマニア』出版と、未成年者への医的介入を控える上院報告書の提出に反対する5月5日デモの呼びかけを行った。ムートーとスターンは、フェミニズム運動を離れ、反トランスの「フェメリスト」を名乗っている。

イギリスの脱移行者「キーラ・ベル」訴訟では、16歳の時、思春期阻害薬の使用につき、ロンドンのタヴィストック病院の性同一性クリニック医師から十分な説明を受けられなかったという主張が争われた。

2021年9月17日、高裁は16歳の未成年者に説明の理解力があるかは、医学上の判断によるべきで、裁判にそぐわないとした。逆転敗訴にもかかわらず、有名な「キャス報告書」に従ってタヴィストック病院の当該部は廃止となり、イギリスにおける未成年者に対する医的介入を大きく抑制する方向転換が見られた。

こうした流れを受け、性別違和の未成年者の治療に思春期抑制剤を用い、世界的な基準となった「オランダのプロトコル(実施手順)」につき、このプロトコルを実践して世界一とされたスウェーデンのカロリンスカ病院も、これを実験的治療に限るとした。

ドイツの「民事登録における自己決定法」は今年4月12日可決成立し、11月1日に施行されるが、14歳以上は「性自認」による自己申告だけで性別変更を認める(14歳未満は法定後見人による)。未成年の場合は、法定後見人の同意が必要。申請後3か月の待機期間を置いて変更登録がなされるため、申請は7月1日からだ。

従来は、成年・未成年にかかわらず、ほぼ2年間の時間と費用をかけて2人の精神科医のカウンセリングを受け、その証明書をもって「性適合手術」を受け、それから性別変更登録ができた。「適合手術」以降の処置には、健康保険給付が得られる。スウェーデン法も4月12日改正され、2025年7月1日施行される。

デンマークは、既に2014年に「自己決定法」を制定。同国の「プロヴォ(挑発)アーティスト」イビ=ピッピ・オルプ・ヘデゴール(イビは、デンマークの有名女性司会者から、ピッピはもちろん「長靴下のピッピ」)は、3人の元妻に6人の子供を持つが、2015年に変更登録。

性別はプライベートなものだからと、女装もしないし適合手術も受けない。外見も服装も男性のまま市民プールに出かけ、女子更衣室に入ろうとして騒動になった。現在も男性姿だが、美術館で絵画を損壊したことで1年の実刑判決を受け、最高裁の判断を待っている。執行猶予がつかなければ、女子刑務所で服役したいという。

フランス上院は、今年5月28日、18歳未満の未成年者への医的介入を控える法案を可決した。下院(国民議会)による審議日程は未定のまま、6月30日・7月7日の総選挙を迎えるだろう。緑の党の上院議員らが、ドイツの自己決定法と同様の法制定を提案しているが、こちらの審議も未定だ。

そもそも、ムートーらの『トランスマニア』が、ここまで注目されたきっかけは、パリ市役所のエマニュエル・グレゴワール第1副市長が、デジタル・サイネージ(電子看板)の出版広告を見て激怒し、広告業者のJ・C・ドゥコーに取り止めを指示。同社が直ちに謝罪の上これに従った経緯による(リヨン市も同調)。

副市長の「広告を見ただけで、本は読んでいないが、『トランスフォビア(嫌悪・恐怖症)』な犯罪広告だ」というのは、「書籍の検閲でない」趣旨だろう。大手書店等でも販売を控える動きがあったが、逆に仏アマゾンではベストセラー(私もそうして購入)になった。

エリアチェフらの本が、医療専門家による100頁足らずの小冊子であったのに対して、こちらは400頁近い大著で、ピンクとブルーと白のトランスジェンダーを思わせる表紙。ロベールという中年の元男性を配して、物語風も加味し論陣を張っている。

マグヌスは、このたびの欧州議会選挙で票を伸ばした極右人脈と近いジャーナリストのロラン・オベルトーネが経営に関わる出版社。オベルトーネは、移民排斥で、『フランス 時計仕掛けのオレンジ』(2012年初版だが、手元にあるのは2022年マグヌス版で、内容も改められている)を著し、雑誌「フリア」も刊行。「フリア」最近号では、自ら「忠臣蔵(47名の浪人)」を取り上げ、たとえ不利な結果が予測されようとも目的を遂げる精神を称賛。これだけでも、「トランスフォビア」騒動の引き金として十分だろう。

7月4日のイギリス総選挙で労働党が勝利すれば、次期首相候補として有力なキール・スターマー党首は、昨年、公約に掲げていたドイツ並み「自己決定法」制定は取下げたものの、「トランス包摂政策」は維持する。対する保守党のリシ・スナク首相は、保守党が勝てば「2010年平等法」を改正し、「生物学上の性別」によるものとすると約束。

2022年夏、ベルリンのフンボルト大学(教育・言語学者フンボルト兄の名にちなみ)の夏期講座で、女性の若手生物学者マリー=ルイーゼ・フォルブレヒトが「生物学上の性は、2つしかない」旨の講演を予定していたところ、学内外からの強い抗議で、大学当局は「本学の理念に合わない内容」として、講演を延期。彼女が訴訟を提起し、大学側には人格権侵害ありとされた。

これより前の2022年6月1日、彼女は公共放送ARD(ドイツテレビ)とZDF(第2ドイツテレビ)が、子供番組で「性適合手術遊び」などを放送していると抗議する有識者らに名を連ねていた。

この騒動を受けてか、ブンデスリーガ(ドイツ・プロサッカーリーグ)優勝チームのバイエル・レバークーゼンのファンが、ブレーメンとの試合中、「レモンマン(同チームのマスコット)いわく、男女の性は2つだけ、愚かなドイツ・サッカー連盟は1つだけ!」と大書した横断幕を掲げ、チーム自体が罰金を課せられた。

北ドイツのリューベック大学共同研究センター(SFB)1665のプロジェクトM08「遺伝研究におけるジェンダー二元論の克服」は、ジェンダーをスペクトルとして見る科学的考え方を探求している。これが、「ノンバイナリー」の生物学的根拠付けとなるだろうか。

イギリスでは、ドラグ・クイーンによる子供向けの本の読み聞かせイベントで、「ジェンダーは72ある」といい、また、BBCの学童向け教育番組は、「ジェンダーは100以上」と解説。

スイスのノンバイナリー作家キム・ド・ロリゾンは、著作『血の本』(デュモン2022年)で、2022年ドイツ図書賞・スイス図書賞(ジェンダー用語と、ベルン方言のドイツ語)を受賞。同じスイスのノンバイナリーのラッパー、ニモは、2024年5月、ユーロビジョン・ソングコンテストで、「ザ・コード」を歌い優勝した。

2024年5月、カンヌ映画祭では、映画『エミリア・ペレス』に出演したスペインのトランス女優カーラ=ソフィア・ガスコンが女優賞。フランスの女性政治家マリオン・マレシャル(再征服)が、「母性と女性の軽視」と批判し物議をかもした。

ドイツ出身で渡米し成功したトランス女性歌手キム・ペトラスは、2023年グラミー賞。彼女は、世界最年少16歳で性適合手術を受けた(今夏の休養が気がかり)。先のパリ市は、市長のアン・イダルゴ(社会党)の肝いりでトランス運動を手厚く支援。市議会も全会一致で、LGBTQIA+アートセンターを建設することになった。

ムートーらは、結果、「人類がいなくなる」という。エリザベト・バダンテールも、新著『紳士諸君、いっそうの努力を』(フラマリオン2024年)で、フランスにおける出生率の低下を懸念している。

キャット・ボハノン『イブ: 女性の身体がいかにして2億年の人類進化を牽引したか』(ハッチンソン2023年)によれば、歴史発展を主導したのは女性であって男性ではない。「言葉は、授乳時の母親と乳児の間で発明された」。その一方で、「ジェンダーでなく生物学について語っているのであり、トランス女性も女性」と注記するのだが。エリアチェフらは、「肉体がなくなり、性別がなくなり、女性がいなくなり、子供がいなくなったら、人類には何が残るでしょうか」という。