呉座勇一さんとYouTubeで配信します(6/15)

今週末の6/15(土)20:00~、新刊『教養としての文明論』をめぐって、共著者の呉座勇一さんのYouTubeに出演します。リンクはこちらから。

番組タイトルは、ずばり「歴史学はオワコンか? 文明論は復権する!」。前半の1時間強は無料で誰でも視聴可、後半はチャンネル購読者のみの有料配信となるそうです。

同チャンネルの契約者は、普通に考えて歴史学ファンが多そうなので、以下のとおり、告知文でもご配慮くださり恐縮です(汗)。

『翻訳の政治学:近代東アジア世界の形成と日琉関係の変容』(岩波書店、2009年)、『中国化する日本:日中「文明の衝突」一千年史』(文藝春秋、2011年)などで気鋭の歴史学者として注目を浴びた與那覇潤氏は、2018年4月に「歴史学者廃業記:歴史喪失の時代」(『歴史がおわるまえに』亜紀書房、2019年、に収録)を発表し、 クロノロジカル(年代記的)な歴史観が現代日本において失効しているのではないか、という問題提起を行いました。

さらに與那覇氏は、新型コロナウイルス禍への歴史学者の対応に絶望し、『歴史なき時代に』(朝日新書、2021年6月)で「時間軸」を捉える意識を失っていると激しく批判、2021年8月に刊行された『平成史』(文藝春秋)を最後に「歴史学者」という肩書を放棄し、元歴史学者・評論家として活動しています。

しかし私〔=呉座氏〕が見るところ、與那覇氏は、「正しさ」に盲従し、枝葉末節のファクトチェックにのみ終始する日本のアカデミズムにおける歴史学に愛想を尽かしただけで、「歴史感覚」の必要性そのものを否定しているわけではありません。そこで私は與那覇氏に文明論の名著を一緒に読み直すことを提案し、ふたりで『教養としての文明論』(ビジネス社)を発表しました。

與那覇氏の言葉を借りれば、今や歴史学は私たちの生きる現実と切り離され、オタクの趣味としての「ガンダム学」と大差ない。そんな現状を打破する上で、 文明論・文明史はどのような有効性を持つのか。『教養としての文明論』に込めた問題意識について、大いに語っていただきます。

視聴者の皆様からの批判・異論、大歓迎です。「いま」の連続を生きるしかないという 「冷笑系」を克服し、本当の意味で「役に立つ」歴史を共有するために、ぜひ一緒に議論しましょう。

強調は引用者(與那覇)

アカデミズムへの「愛想尽かし」といえば、近日も国立大学協会が「物価高で苦しいからもっと運営費くれ」なる声明を出すニュースがあり、誰からも共感されず(苦笑)、むしろバカにされる事態になっていました。

Twitterでも歴史意識が残っている!
なお正確には、磯野真穂さんは文化人類学、筒井清忠先生は歴史社会学がご専門です

現状では「今のままだと学費は値上げ」な雰囲気があり、メディア上では「見て見て私は値上げに反対ですアピール」をする教員(偽善者)が長蛇の列を作っていますが、コストを切れば大学の運営費なんてさくっと出ます。むしろ学費の値下げもできます。ぼく勤めてたから知ってるもん。

たとえば人文系に関するかぎり、大学が各教員に配る研究費って要らないんですよね。使途の制限ほかで、使い勝手が悪すぎるから。むしろ給与と統合して「使い道自由」(=各教員のポケットマネー)にするかわりに、支給総額としては下がるような形で削れば運営費も捻出され、教員と納税者の双方がハッピーになると思うのですが。

それで足りないなら、コロナの最中にあれだけSNSで「俺のリモート講義テクどうよ自慢(ドヤァ」をしていた大学の先生は、もう研究費は自前の動画チャンネルで稼いでいただけばいいんじゃないでしょうか。「在野の歴史家」の多くは現にそうしてるんだし、なにが悲しくて未知の感染リスクを増やす史料調査をコロナ以降に税金でやらなあかんのでしょうか(笑)。

究極的には、リモート講義大好きな意識の高い教員どうしを互いに競争させ、選りすぐりの配信者の授業だけを残して全大学の共通視聴科目とし、不要になる人を (2文字伏字) にすれば運営費はうなるほど余ります。増税なしでも「無償化」まで行けちゃうかも。うおおおおおコロナもインフレも「ピンチはチャンス! これが大学のニューノーマル!!」

……な話が出るかはともかく、タブーなく歴史学の現状と未来を議論する番組になればと思っております。歴史学者に縁があるか否かを問わず、多くの方にご視聴いただければ幸いです。


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年6月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。