能力次第でもっともらえるジョブ型給与の功罪

日本の給与システムはメンバーシップ型と称し、ほぼ横並びの給与が提供されてきました。入社数年目ぐらいの同期でも差がついても数百円とか数千円程度。自分も感じたことがありますが、これだけ頑張ってやっても「あいつと給与は月300円の違い」となると自意識的には不満でありました。

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特に会社は頑張る人材には余計に仕事を回してきます。私も入社3年目の頃、工事現場の掛け持ち数が尋常ではない域に達していました。当時、辞令が社内通達で回ってくるのですが、私の場合多い時で8か所ぐらいありました。普通はせいぜい2-3か所でしょう。理由は当時クライアントだった某大手自動車メーカーの関東地区の主要工場を全部兼任させられたためで東は栃木から西は静岡県の吉原まで同社製のマイカーで工場内にある現場に行く献身ぶりでありました。(マイカーが肝で、同社製ではないとクライアントからにらまれるという特徴もありました。)

当時、私は千葉の成田で100億円のゴルフ場開発現場がメインでしたので自動車工場の現場へは夕食を終えて夜8時ぐらいから2時間ぐらいかけて移動して簡易宿舎に泊まることを繰り返していました。

バンクーバー勤務の際、社内である事情があり、シアトル事業全般を兼任させられた際は毎週水曜日と木曜日がアメリカでの業務となり、朝の5時には家を出てシアトルダウンタウンのラッシュアワーを避けながら更に1時間半ほど南に下った現場まで通っていました。モーテルに泊まり、木曜日の午後はシアトルの日本食レストラン事業の面倒を見て帰路に就くと家に戻るのは夜11時を超えるというのが毎週のプロセス。これだけやっても給与は同じでした。つまりジョブアサインメントが増えたところでいいように使われただけです。

我々の時代にもジョブ型給与はあるにはありました。事務屋ですから現場所員の給与は全員把握しています。詳しくは言えませんが、ある程度の年齢になれば2割程度の差がついているケースもありました。ただ、その差がどうしてついたのかについては自分の場合も含め、年に一度ある自己申告書以外何も思い当たる節がなく、上司との面接の記憶もなく、自分の給与が同期と比べ数百円多いのが査定としてよいのか悪いのかすら知る術はなかったと思います。

そういう意味での不透明感はクリアにすべきなのでしょう。

一方で日本は並列の関係を好む民族であり、数百円の差で「あいつは良い評価をもらっている」とやっかみが出る世界でもありました。その中でどうやってジョブ型給与にするのか、口で言うのと実際にやるのではまるで違う困難さがあります。

私の経験ではかつて現地採用だった経理担当者は7年ぐらい務めてくれたのですが、給与更改の面接はいつも苦労しました。彼女はいつも「もっと給与を上げろ」というのですが、私が返すのは「あなたの給与は今の業務内容からすると業界のトップ水準になるのであなたに新たなスキルが身につかない限り物理的に給与を上げる余地がない」と説明し続けました。

つまりジョブ型の場合、出だしは他人より数万円多いといったケースが存在するのですが、何年か経つとその枠組みから更に飛び出すには苦労するケースが生まれるのです。一種の業務専門化促進なので他人より2-3割給与が高い、けれど仕事のできる総合職にはいつか必ず抜かれる運命にあることも多いのです。もちろん、専門能力を生かし更に総合職としてのスキルを磨けば別ですが、今度はそこに人間のメンタル上のハードルがそびえやすいのです。

それは一定の高めの給与に満足する結果、向上心が伸びない問題です。これはご本人にも会社にも必ずしもプラスだとは思えません。日本でジョブ型給与の難しさはこのあたりにあるのでしょう。海外の場合は会社を転々とすることで一段ハードルを上げたジョブへのチャレンジと魅力ある報酬というアメと鞭の関係があるのですが、日本のように同一企業内でのジョブ型給与体系を保守的に維持させるのはある意味、自己矛盾すらはらむ困難なプランだとも言えます。

仕事では向上心を煽ること、そしてチャンスをつかむ機会を与えることで人が働くモチベーションを持つと考えています。私は何年も前にこのブログでこう述べてたことがあります。「大手企業に入社する新入社員はその子会社からスタートさせよ」と。初めから有名企業のおいしいところを味わうと子会社関連会社は流浪とか沖流しというイメージが強いのですが、新入社員がガッツをもち本当の実業を身に着けるには3年ぐらいそこからスタートする方がよいと思うのです。

パナソニックのIT部門が初任給にも差をつける制度にすると報じられていますが、私は長期的な人材教育という意味では間違っているように感じてなりません。「かわいい子には旅をさせよ」なら「できる新入社員は子会社に回せ」であります。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年6月26日の記事より転載させていただきました。