2024年7月7日、第22期都知事選挙が行われた。
立候補者が56人にまで濫立する中、当選に至ったのは現職の小池百合子氏というのは大方の予想通りであったが、2位以下で注目すべき結果があった。
左派勢力の組織票を確保し、オールドメディアで担ぎ上げられた蓮舫氏が3位という結果に終わり、第4代広島県安芸高田市長を務めた石丸伸二氏が166万もの票を得て2位を勝ち取ったのだ。
勝因として有力視されたのが、同氏の安芸高田市長時代から進んでいた切り抜き動画によるアピールが、YouTubeやTikTokを好む無党派の「ネット地盤層」支持を獲得した点だ。
この支持を追い風に、「衆議院の広島1区」という発言が出るなど国政進出も視野に入る勢いかと思われたが、各局テレビ生中継による石丸氏への開票直前インタビューで、早々に風向きが変わり始めた。
質疑を行ったアナウンサーやコメンテーターに対する、石丸氏の侮ったような態度・応答が反感を買ったのだ。
ネットではかつて流行した「進次郎構文」をもじった「石丸構文」というミームで批判され、 『ReHacQ』では「ブチギレ」と表現される一方で、私がチェックしたタイムラインでは、異なる視点からの見解が複数みられた。
石丸氏の言動が、自閉スペクトラム症/ASDの特性に合致するのではないか、というものである。
彼は「アスペ」なのか?
ASDとは「神経発達症(一般では発達障害という2023年までの呼称が定着しているため、以降は「発達障害」と記載)」のうち、主に社会的コミュニケーションに困難を示すものを指す。
ネットミームでは、2019年までの名称「アスペルガー症候群」を短縮した「アスペ」が有名だろう。
私は数年前まで発達障害当事者と関わる職場に就いていたことから、有り体な表現をすれば「ASDの実例」を見知ってきた身であり、上記のノーカット動画2件を確認してみたところ、「これは予備知識があればピンと来る」と腹に落ちてしまった。
ただ上記アゴラまとめ記事の通り、挙がっているのは当事者によるシンパシーが主で、年配の方が感じたであろう「違和感」をより具体的に示した投稿・記事は少なく見受けられたため、本記事を認めるに至った次第である。
以下に特筆事項と考えた3点を挙げるが、「診察」「診断」ではなく上記経験に基づいた「見立て」であり、発達障害を専門に取り扱った専門家(精神科医でも、発達障害を専門にしてきたかで見解の精度は全く異なる)からの補足や反論を歓迎したい、という点を先に明記しておく。
過剰な「まばたき」
人間は通常3〜4秒に1回程度まばたきをするが、石丸氏の場合はざっと数えると平均で0.6〜0.7秒に1回、5倍超である。
質疑者でもまばたきがかなり多い古市憲寿氏でさえ「パチッ、パチッ」と1回ずつ繰り返している場面が多いが、石丸氏の場合「バチバチッ、バチバチバチッ」と反復したまばたきが基本であり、さらに口頭情報のインプット、処理、アウトプットといった特定状況でとりわけ高速・頻回になる周期性のなさが印象に残る。
ここから「発達障害的な特性」として思い浮かぶのが、発達障害の定義に含まれる疾患のうち「チック症」である。
これは首振りや咳払いといった「癖」にみえる行為(=チック)が断続・持続的に現れるもので、中でも、まばたきは最も多いとされる。
チックは大多数が成人するまでに改善・消失するのだが、ごく稀に成人まで持ち越し、ストレスや疲労などによって頻発するケースがある。
石丸氏のまばたきは、上記で述べた「頻発し、特定の状況で悪化する」特徴から、ドライアイや「癖」よりもチックが連想されるのだ。
「耳で聴いた情報」へのタイムラグ
以降は上記アゴラまとめ記事でも複数回挙がっている内容だが、ASD当事者含め予備知識を持つ人の大半が「ピンと来る」のは、石丸氏が質疑者の発言に回答や表情変化といった「反応」を返す際、ワンテンポの「間」があることだろう。
テレビのインタビューは衛星放送らしく、石丸氏側とTVスタジオ側の情報転送には0.1秒もかからないと聞いており、中継でタイムラグが出たとも考えにくい。
ではなぜ多くの人がこの「間」に注目するかというと、それはASD当事者では「聴覚ワーキングメモリ= 耳で聴いて理解する力」が低い例が大半を占める、という点が挙げられる。
聴力は低くない(むしろ高過ぎる例が多い)にもかかわらず、耳から入る「言葉」を脳に掬い取って理解することが難しく、穴の空いたバケツのようにこぼれてしまうのだ。
なおこのような例は聴覚ではなく視覚から、つまり目で見える「文字」を頭に入れることは人より得意で、書籍から情報をインプットして試験で高得点を叩き出すケースも多い。
「言葉の定義」へのこだわり
石丸氏の反応から多くの人が連想するASD的特性はもう1つ、それは「(言葉の)定義の固さ・狭さ」である。
本来は人間の会話において「言葉の定義」は大前提であり、たとえば会話の中で「タコ」という音声が出たら、その定義が互いの脳内で「蛸」か「凧」かが共通しなければ成り立たない。
多くの人はその「定義」を前後の文脈や丸山眞男のいう「古層」などにより、有り体に言えば相手に甘え合うことで意識せずスムーズに会話ができるのだが、ASD当事者はこれが極めて難しいのだ。
対談した古市氏やアゴラ池田信夫所長は、石丸氏の反応を「壊れた生成系AI」と喩えたが、これは的確な表現といえる(だいぶ辛辣とは思うが…)。
ダニエル・カーネマンの分類に当てはめれば、彼らは日頃の対話に至るまで「システム1(=速い思考)」で直感的に行えず、常時「システム2(=遅い思考)」で意識的に処理しなければならない、というのが私のイメージである。
事前に一定以上の関わりがある、あるいは価値観の近い相手なら経験則で対応できるが、初対面の相手にはそうはいかないので「定義」を情報として聞き出すことを繰り返すのだが、高負荷なシステム2を酷使することで脳が疲労し、独特な受け取り方になってしまう。
それが石丸氏や彼にシンパシーを感じるASD当事者間で起こり、「石丸構文」として揶揄される現象なのだろうと思う。
石丸氏独自の「特性」
以上が、私が石丸氏に「発達障害に当てはまる特性」を感じた部分であり、少しでも同氏の独特な言動への理解として広まれば幸いである。
一方で、実際のASD当事者に、石丸氏のようにインタビューの場で質問者に面と向かって「愚問」と辛辣な発言をしたり、相手によって態度を変える姿勢を露骨に示したりするという尊大な態度を取る例は少ない。
独特な受け取り方はしても悪意は向けず、単にトンチンカンな反応を返してしまうか、脳内での処理が追いつかず黙ってしまうか、といった例が大半だ。
これは「発達障害/ASDの特性」というより、「石丸氏個人の特性」とフォーカスを絞って捉えるのが妥当ではあり、機会を改めて述べたいと思う。