米共和党の副大統領候補者J・D・バンス上院議員は2021年のオハイオ州上院議員選の選挙中、テレビのインタビューに応じ、出産経験のない女性に対し、「子供がいない惨めな人生」と述べ、ハリス副大統領やブティジェッジ運輸長官らの名前を挙げ、「民主党の未来は子どものいないキャットレデイによってコントロールされる」と発言した。その過去の動画がSNSを通じて報じられると、大きな波紋を呼んだ。
ハリス副大統領(民主党の有力大統領候補者)は夫ダグラス・エムホフ氏(弁護士)とその連れ子と共に生活しているが、自身の子供を産んだことはない。バンス氏はそのハリス副大統領をキャットレデイと中傷したわけだ。伝統的家庭観を主張するバンス氏にとって、女性は子供を産み、家庭を守るといった考えが根底にある。それゆえに、ハリス氏はキャリアウーマンの道を選択し、女性としての神聖な義務、子供を産み、育てることを放棄した女性だ、といった批判が出てくるわけだ。
バンス氏の過去の発言が報じられると、民主党関係者やリベラルなメディアが一斉に批判し始めた。選挙集会では支持者に分かりやすく話すために、説明不足もあるだろうし、結論を急ぎ過ぎて誤解を招くこともある。バンス氏の発言内容は決して彼独自のものではなく、米共和党がこれまで主張してきた家庭観、女性観に基づくものだ。
しかし、問題はある。「子供を産まない女性は」論は子供を産みたくても産めない女性、何らかの事情で結婚できなかった女性が少なくないことだ。そのような女性がバンス氏の発言を聞いたならば、どれだけ傷つくだろうか。子供を産み、育児に没頭するより、自身の才能を伸ばして社会に貢献したいと考える女性もいる。育児と職場の両方をこなすことはどの女性にとっても大きな負担だ。だから、否応なく選択せざるを得ない女性が出てくる。
子供を産み、育てることは負担もあるが、大きな喜びがある。だから、女性は悩む。そして自身のキャリアを優先して子供を産まず、社会で活躍している女性は大きな十字架を背負っているような心持ちかもしれない。そのような女性に対し、「子供を産まないことは女性の役割の放棄だ」といった批判はやはり早計のそしりを免れない。
ドイツでは「キリスト教民主同盟」(CDU)の党首を務め、16年間政権を担当したアンゲラ・メルケル女史(首相在任2005~2021年)の事を思い出す。彼女も子供がない。現夫と2人暮らしだ。政権中も野党から「子供を産んだことがない首相がどうして家庭の問題を解決できるか」と度々呟かれた。その時、メルケル氏はその批判に直接答えたということは聞かない。短い時間で相手に理解してもらうことは難しいからだろう。
オーストリアでは野党のリベラル派政党「ネオス」のベアテ・マインル=ライジンガー党首が2019年、クローネTVでのインタビューの中で「子供のいない政治家に統治されたくはない。子供への責任を担うということを知っている政治家に政治を委ねたい」と述べたのだ。同党首は3人の娘さんをもつ。同党首の発言も批判に晒された。同党首は批判を受けた直後、「発言は間違っていた」と謝罪し、訂正した。
「子供を産んだことがない」というセンテンスは別に政治の世界だけではない。日常の生活の中にも聞かれる。「子供の話がでるので自分はそのコミュニティには参加したくない」と話していた中年女性を知っている。子供ができない夫婦への社会の目は決して常に暖かいというわけではないからだ。
米国社会の混乱、分裂は家庭の崩壊が大きな原因だ。過度の資本主義社会の中で生きている国民は物質的には恵まれているが、精神的には惨めな状況に生きている人が多い。それゆえに、米国社会には伝統的な家庭観、結婚観への需要はあるはずだ。
言葉は人を感動させるが、消すことが出来ない痛みを与える武器ともなる。米大統領選が中傷、誹謗で終始するのではなく、家庭とは、結婚とは、といった今最も考えるべきテーマを争点にホットな議論を展開してほしい。トランプ氏から副大統領候補者に選出されたバンス氏(39)は政治家になってまだ年月が浅いが、共和党の将来を担っていく政治家として期待されている。バンス氏の活躍を期待する。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年7月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。