社会人になると人が変わる?

嘗て日本経済新聞に掲載された記事、『「億ゲー」マイクラで学ぶ必修IT 子供の立場で創る価値』(23年7月13日)は、冒頭次の言葉で始められます――日本屈指のものづくりの町、大阪府東大阪市にまつわるニュース番組を1年以上前に見て、頭に残っていた言葉がある。同市にある企業が経営会議に大学生を定期的に招いて、参加させる内容の報道。その理由の言葉が「社会人になると、つい世間の手あかが付いてしまう。あえて世間を知らない大学生の意見を参考にする」だった。

私に言わせれば、社会人になると人が変わる、といったことはないと思います。言うまでもなく大学生の本分はあくまでも、朋友と切磋琢磨し、人格の陶冶と学識の錬磨に努めることです。また同じ大学生でも例えば、アルバイトで自分の学費を全額賄うような人や、起業したという人もいるでしょう。各人夫々に自分の立場というものがあるわけで、大学生と雖も世間を知らずして生きては行けません。

『中庸』に「君子は其の位(くらい)に素して行い、其の外(ほか)を願わず」とあります。いわゆる「素行自得(そこうじとく)」ですが、どのような環境であってもそれに応じ、自らを得るということです。之は自分の問題であり、社会人であろうが大学生であろうが、失う人は失っているし持ち続ける人は持ち続けています。君子というのは「貧賤のときは貧賤に素し、富貴には富貴に素し、夷狄には夷狄の境地に素し、患難に対処してもその境地にあって自得する」(安岡正篤)ものなのです。

そもそもが精神的支柱とは基本、物心が付くと大体出来上がって行くもので、親子関係というのが非常に大事であります。「天地人三歳」という古い言葉があります。その意味は人間は天と地の間に存在しており、一年目で天から気を受け天の神の意志を得、二年目には地の気を受け地の神の意志が備わるとし、そして三年目に人から気を受け、人間界の一員になるとされているということです。子供の成長を祝う「七五三」の儀式でも、三歳になった時に人間界に仲間入り出来たということで祝い、天地の創造主(神)に感謝するのもその為で、「三つ子の魂百まで」という言葉が出来たのも之に由来しています。

だからこそ、その間子の健全な成育に必要不可欠な愛情を如何なる形で注ぎ大事に育てて行くかが大変重要なのです。そしてまたそれから後も、人間としての躾(しつけ…心とその心が表れた立ち振る舞いを美しくすること)を施して行かねばなりません。三歳で人間としての確立の第一歩を迎え、七歳になるまでに人間の骨格というのは、大体出来上がっているわけです。

「つい世間の手あかが付いてしまう」ような社会人は一言で、修養が足りておらず根本が出来ていないのだと思います。中学であれ高校であれ大学であれ夫々の年代で、また勿論社会人になってからも、精神の糧になる沢山の書物を通じて、時空を超え様々な人の考え方や世の中の出来事に主体的に触れることです。常に「自分ならどうするか」と考え主体性を持って生きていれば、人間確立されることでしょう。


編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2024年7月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。