広島は普遍主義を維持できるか

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「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」

広島平和記念公園の中央に位置する慰霊碑に刻まれた有名な碑文である。誰が誓っているのか、「主語」が不明だということで、国粋主義者系の人々の間では評判が悪い。今まで何度か襲われたことがある。

広島市の英文説明では「We shall not repeat the evil」となっている。そのため「過ち」を犯したので、それを「繰り返さない」ことを誓っているのは、「われわれ(we)」全員だということになっている。アメリカ人だけではない。

この碑文については、1953年当時の広島大学教授・雑賀忠義氏が考案したものだとされている。ただしそもそも慰霊碑を含めて広島平和記念公園の全体が、広島を平和記念都市として再興するという浜井信三・広島市長の復興政策の一環で建設されたものだ。

町の中心部である爆心地に町の復興を象徴する施設を作るという考え方の中で、その公園の中心部に碑文を伴った慰霊碑が設置されることになった。雑賀教授に依頼を出したのも浜井市長なので、浜井市長が主導した広島の復興政策の理念を示すメッセージとして、碑文が作成されたことに疑いはない。

浜井が主導した「広島を平和都市として復興させる」というビジョンは、当初は評判が悪かった。浜井は、市長ら多数が亡くなった原爆の惨禍をかいくぐって生き残った広島市役所関係者の中で最も適任だということで推されて初代公選市長となり、四期16年にわたり市長を務めたが、途中一度は復興政策の不人気で落選している。ただ誰がやっても大変な仕事であることが明らかになったため、あらためて評価され直して、再選を果たした。

広島平和記念公園の設置は、市民が望んだ政策ではなかった。市民が欲しかったのは、食糧や住居や仕事などの生活に直結するサービスであり、文化施設などではなかった。そもそも「広島を平和都市にする」というビジョンは、多数の人々が死んだ焼け野原で苦闘していた住民たちにとっては、現実感覚のない話でしかなかった。

広島平和記念公園の目の前に建設された「平和大通り(百メートル道路)」も、あまりの不評から、「地元で生まれ育った浜井のことだ、将来アメリカに復讐を果たすため飛行機の滑走路を秘密裏に作っているのだろう、そんな意図でもなければ到底理解できない」といった噂が流れた、という逸話が残っているほどである。

しかし浜井市長には、戦前に「軍都」として発展した広島が、復興を果たすためには、アイデンティティの再構築から時間をかけて行う必要がある、という確信があった。そのために、時間がかかっても、原爆の歴史を未来に向けた政策に転換させる「平和都市」のアイデンティティの構築が必要だ、と洞察していた。

広島は、年間1,229万人(令和5年)以上の観光客を受け入れており、ほとんどの観光客が広島平和記念公園を訪れている。そのため、浜井市長の政策が実利も伴った妥当なものであったことは、今日ではあまりにも常識だと考えられすぎている。ひどい場合には、原爆を落とすと自動的に平和都市が生産される、といわんばかりに考えている日本人が多すぎる。残念ながら、普遍的な平和主義を標榜した浜井市長らが、どれだけの苦労をしたかが、忘れられてしまっている。

2016年にオバマ米国大統領が広島を訪問した際に、沿道には多くの市民が立ち並んだ。中には涙を流している高齢者もいた。彼らがなぜアメリカの大統領を歓迎するのか、不思議がる人々も多いが、生活感覚としては、当然である。

被爆者の一人と抱擁するオバマ大統領
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アメリカを憎み続ける恨みの町としてではなく、普遍主義に基づく平和の町として、広島は復興した。その広島の偉業は、市民の誇りである。その偉業は、国際的に広く知られ、遂に当事者であるアメリカの大統領も認めるに至った。復讐せずして、アメリカに広島の偉大さを認めさせたのだ。その感覚が、市民にオバマ大統領を歓迎させた。

私は、外国人(欧米人のみならず発展途上国の紛争後国の人々など)を相手にして、日本の復興あるいは広島の復興の話をする機会を、数多く持ってきた。彼らの関心対象は、落された原爆の情報や、核廃絶の現状ではない。類まれな復興の歴史を作り出してきた広島の人々の苦悩と努力に、強い関心を持っている。

岸田文雄首相は、広島1区を選挙区としている。だが、実際には東京で生まれ育った人物である。誰よりも広島を知っていると言えば、少なくとも永田町ではそうであろう。だが、いささか政治的スローガンにとらわれ過ぎているのではないかという印象を、私は持っている。

核兵器の廃絶へのこだわりは、その一例だ。確かに、広島の平和主義は、核廃絶への願いをその中核に持つ。だが広島を、ただ核廃絶を語るだけの町にしてしまうのは、その普遍主義的な性格に、制限を課すことだ。

オバマ大統領の広島訪問が実現したのは、普遍主義的な復興を成し遂げた広島の歴史によるところが大きく、核廃絶への願いの強さといったことは、必ずしも大きな要因ではない。その点を見間違えると、G7サミットをあえて広島で開催したことの意味も、消失する。形式論で、どれくらい核廃絶について話せたか、といった話に、過度に還元されすぎてしまう傾向が生まれる。

核廃絶の訴えという一点だけで平和とつながり、あとは全て日本政府の政策方針に従属する、という姿勢では、広く世界にアピールできる普遍主義的な平和を求める精神が見えなくなる。最悪の場合、世界情勢には目をつぶりながら、ただ呪文のように核廃絶だけを唱えるだけの町になってしまう。

平和記念式典へのイスラエルの招待(パレスチナの非招待)の問題は、広島が今後どのようなアイデンティティを持っていくか、という視点に大きく関わっている。そしそそれは、日本が国際的にどのようなアイデンティティを持っていくか、というビジョンにも、大きく関わっているはずである。