バングラデシュ、アジア最貧国の一つとされますが、人口1.7億人で近年は高い経済成長率で最貧国の汚名から脱却する過程にあります。その国を率いたシェイク ハシナ氏はパキスタンとの独立運動後、初代大統領となったラーマン氏の娘であり、「建国の英雄」を父に持つ血筋という意味では半独裁的なイメージがなかったわけではありません。
事実、ハシナ氏は96年から01年まで首相に就任、その後、一度下野するも09年に再度首相となり、現在まで国を率いてきました。が、強権的、独裁的な行為も見られ一部国民感情に不満の声が高まる中、公務員採用に関し、建国に携わった人に優先的な採用枠を6月の高裁の判断で認められたことで学生の間で火が付きました。学生と治安部隊との衝突では300名以上が亡くなる事態となり、比較的大きな報道になっていました。
そのハシナ氏は今回の事態は収拾がつかないと見たのか、議会を解散し、本人はインドに脱出しました。ハシナ政権ではインドと友好関係を強く維持していたこともあり、緊急逃避先として選んだのでしょう。この後は英国に亡命すると見られています。英国とバングラデシュの歴史的関係もありますし、共に国外脱出をしたハシナ氏の妹、レハナ氏の娘が英国労働党の議員であることも影響しているのでしょう。ただ、ハシナ氏の政策は各国好意的には受け止めておらず、紆余曲折しそうです。
個人的には一種のクーデターで国民による半独裁政権の転覆に近いとみています。暫定的に軍部が政権を握り、速やかに選挙が行われるものと思われますが、先行きの予想は難しいとみています。有力野党とされるバングラデシュ民族主義党は一時期は政権を取っていたこともありますが、09年にハシナ政権となって以降、何度かの選挙では大敗、直近の24年1月の選挙ではボイコットという姿勢を見せましたが、ハシナ氏が率いたアワミ連盟に対して勝負にならなかったというのが実態かもしれません。
与党だったアワミ連盟は中道左派、民族主義党は中道右派ですが、国家そのものがイスラム教ベースで右派が票を伸ばすような土壌がないように感じられます。アラブの春を思い出していただければと思いますが、政権をひっくり返すのは簡単なのですが、国民は不満こそ口にすれど新たな国家を自分たちで築くのは極めて難しく、スクラッチからリーダーシップを取れる国民を主導できる人材はそういるわけではないのです。
そんな中、今回学生らが推挙した主導者はノーベル平和賞受賞者で経済学者のムハマド ユヌス氏。「グラミン銀行」を創設した人と言えば思い出す方もいらっしゃると思いますが、貧困を救うための少額融資の銀行を設立した方です。ユヌス氏は滞在先のフランスからダッカに戻るところで、最高顧問に就任することになっています。ただ、氏も84才と高齢であり、氏の政治的方針でより民主的になったとしても氏は社会ベネフィットを重視する経済学者であり、今般の学生の暴動の背景も職にありつけない若者の不満が爆発したものです。よって国家としてはアワミ連盟と同じ、中道左派を維持と予想しています。
何故私がバングラデシュをテーマで取り上げたかといえばいくつか理由があります。1つは日本企業が割と多く進出しており、アジアで残された最後の有望国の一つであること、もう一つは国民感情が日本に対して良好であることがあります。
中国がバングラデシュに対して触手を伸ばそうとしているもののハシナ政権下はインド寄りで中国とは比較的冷たい関係でした。事実、ハシナ氏が中国に訪問した際もバングラデシュにとってメリットが少ない交渉に終わったことを憤慨して予定より早めてさっさと帰国したこともありました。この辺りを含め、今後はインドや中国の外交的接触も増えてくるはずです。本来であれば日本もここで関与する方が良いのですが、日本の現政権にそこまで期待できる状態にはなく、総裁選も控えていることから様子見になると思います。
個人的なことをいうと実はハシナ氏の妹、レハナ氏にご挨拶したことがあります。ダッカを訪れた際に現地でいろいろ取り持ちをしてくれた方が政治的に顔が効く方で保健省の幹部との会合やダッカ市役所幹部とのミーティングなど精力的にアレンジをしてくれたのですが、その一環で突然「レハナ氏と会えそうだ」と連絡が入り、ほんの10分ほどご挨拶をしました。正直、予定外だったのでお互いよくわからないまま終わったというのが本音です。
バングラデシュ、特にダッカという街は正直ぐちゃぐちゃで人と車が多すぎるので24時間を二つに割った時間帯で人が稼働しているような国です。夜中でも街の喧騒は酷く交通渋滞で仕事のアポイントなど取れたものではないです。それこそ午前中1つ、午後1つアポイントがこなせればよいといった感じで経済効率など果てしなく縁遠い国ですが、国民が若いのでパワーを感じます。かつての日本もこんな感じだったのでしょう。
個人的には民主化を推し進め、若者に夢と希望があるような国家構築を進めてもらいたいと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年8月8日の記事より転載させていただきました。