ローマの伝説「 真夏の雪と教会献堂」

「21世紀に入って神話や伝説は忘れ去られ、人工知能(AI)が主導する味気のない“神話のない時代”に入っていくのではないか」と感じていた時、バチカンニュースから「真夏のローマ」の心温まる伝説が報じられた。

フランシスコ教皇、「真夏の雪」に倣って花びらが降る大聖堂で語る(2024年8月5日、バチカンニュースから)

伝説によると、紀元358年8月5日の朝、ローマの暑い夏の最中、エスクイリーノの丘に雪が積もり、これは当時の教皇リベリウス(352~366年)が夢の中で聖母マリアから予告されたものだった。そして教皇リベリウスは雪が降った場所に聖母マリアに捧げる教会を建てるよう指示されたのだ。1983年以降、教会の献堂記念日にあたる8月5日の夕方の祈りの際、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の天井から白いバラの花びらを降らす演出が行われ、教会の建設につながった「雪の奇跡」を再現する。真夏のローマで行われる数少ないカトリック教会の祭典だ。フランシスコ教皇は5日、この祭典に初めて参加した(歴史的資料によれば、この教会は約100年後の紀元434年8月5日に献堂された)。

フランシスコ教皇は大聖堂内で無数の花びらが雪のように降り注がれるシーンを見て、「真夏の雪」の奇跡は単なるフォークロア(伝説、言い伝え)ではなく、象徴的な意味を持っていると強調、「自然現象である雪は、人間の心に畏敬の念と驚きを呼び起こす。このように雪は、恩寵の象徴として理解することができる、つまり美しさと無償性を兼ね備えた象徴だ」と話す。

87歳のフランシスコ教皇は続ける。「恩寵とは、自分の努力で手に入れることも、ましてや購入することもできないものだ。それはただ贈り物として受け取ることができるだけであり、贈り物であるがゆえに、それは全く予測不可能なものだ。ちょうど夏の真っ只中にローマで降る雪のように」と、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂での演説で述べている。

この短い話を読んで、真夏のローマで白い雪が降る風景を頭の中で想像してみた。連日30度を超える真夏の日々が続く「永遠の街」ローマを旅行者も市民も汗を流しながら歩いている。そのローマで紀元352年、雪が降ってきたというのだ。人々は当時、驚いただろうし、「真夏の雪」を神からの何らかのお告げと受け取っただろう。

現代人は「真夏の雪」に遭遇すれば、昔の人々と同様、暫くはビックリするが、直ぐ自然現象として解釈を始めるだろう。なぜならば、全ては説明可能であり、人間の英知で理解できると考えているからだ。最近では、数センチの大きさのあられが突然降り出し、家屋が壊れ、車のボンネットに多くの痕跡を残すといったことがあった。だから、8月5日の「真夏の雪」も異常気象のなせる業と納得し、「真夏の雪」の話は直ぐに忘れ去られていく。

いずれにしても、21世紀の今日、多くの人々はちょっとやそっとでは驚かず、ましてや神のお告げと受け取ることはない。その意味で、神は自身のメッセージを配信するのにも苦労がいるわけだ。

バチカンには多くの奇跡の話が伝えられているし、聖母マリアの再現は世界各地で報告されている。バチカンはそれらの奇跡をもはや即奇跡とは考えず、「聖母マリア再現調査委員会」などを設置して、奇跡の真偽を調査するようになった。神を信じるバチカンですら奇跡を安易には信じなくなってきているのだ(「聖母マリアはなぜ頻繁に出現するか」2023年8月19日参考)。

そのような時代、「真夏の雪」と大聖堂献堂の伝説は素朴だが、何か心を打つものがある。雪が余りにも白いからだろうか、それとも私たちは奇跡に飢えてきているのだろうか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年8月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。