あの「君が代」がもしパリを彩ったならば

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日本選手が金メダルを授かるたびに「君が代」が流れ、感極まって合唱する選手たちもいる。前回の東京大会は、コロナ禍もあって表彰台ではマスク着用が言い渡されていた。日本に限らずどの国の選手も、マスクごしではそもそも歌いようがなかったことを思うと、感慨深い。

思い出深い「君が代」といえば、2016年のリオ大会閉会式だ。4年後の東京大会への引継ぎ式として、日本の童女を思わせる小柄なロボットたちが、会場の白地を次第に赤丸に追い込んでいく様とともに、不思議なアレンジの「君が代」が会場に響き渡った。

「君が代ってこんなにかっこいい曲だったのか!」と称賛の声がツイッターに溢れた。編曲者への後日のインタビューによると、こんな風に始まった企画だったという。

パリでのライブで彼がブルガリアン・ヴォイス(ブルガリア地方の伝統的な女声合唱。以後BVと略称)を取り入れていたのを、とある日本人女性が聴いて、後に羽田空港のロビーで、彼女に声をかけられ「名刺をいただいたらそこに椎名林檎と書かれていまして」。

その2年後、BV歌唱の「君が代」を、リオ五輪閉会式のために作ってほしいと、彼女から依頼された。この歌は、過去にいろいろ政治的悶着を招いてきたこともあってか、大胆な編曲をするとなると、事前の調整(根回しというべきか)が欠かせなかった。椎名による一か月の努力の末に、グリーンライトが点った点った。

もっともこの編曲者自身は、BV歌唱以外の方向も考えていたという。「君が代」の歴史を追い、過去の編曲を聴いてみたが「タブー度の高さゆえかバリエーションがほとんどないんですよ。唯一面白かったのは雅楽で演奏しているもの」。

もっとも、声の力を椎名が強く希望したことで、リオ五輪「君が代」はBV歌唱、かつ競技場内での残響も計算に入れたものが模索された。

今の「君が代」は二代目

生徒全員起立、斉唱!

♪ き~み~が~あ~よ~お~わ~ ♪

「君が代」誕生のいきさつは、すでにウィキペディアに記述があるので、ここでは補完的な説明をしておこう。初代の「君が代」は、イギリス人公使館の軍楽隊長によって作曲された。

ただ作曲者が、あの歌詞をそもそも理解していなかったのか、音節の区切りが不自然で、歌うのも奏でるのも難儀ということで、今度は旧・朝廷の雅楽員で、西洋音楽の基礎を学んだ人物が新たに旋律を作った。これは雅楽における「壱越調」(いちこつりょう)という音律に拠るものだった。

上行:レ ↗ ミ ↗ ソ ↗ ラ ↗ ド ↗ レ

下行:レ ↘ シ ↘ ラ ↘ ソ ↘ ミ ↘ レ

試しに「君が代」をドレミで口ずさんでみてほしい。

♪レ↘ド↗レ↗ミ↗ソ↘ミ↘レ

(き~み~が~あ~よ~お~わ~)

上で紹介した音律の動きに(ほぼ)そって作られているのが体感できる。

そしてドイツ音楽に編曲された

これに伴奏を付けたのが、ドイツからの音楽教師だった。

彼はこの旋律を「ペンタトニック」音階と解したようだ。別称・五音音階。発展途上な民族が共有する音階と、西洋音楽では理論化されていた音階だ。(そのせいか「東洋音階」と呼ばれることが今でも少なくない)

それから上行するときと下行のときで「壱越調」は音の並びが一部変わるのを、「ラ・ド・レ・ミ・ソ」と「ミ・ソ・ラ・シ・レ」の二つの東洋音階の混交、つまり同一音階が異なる調で奏でられる「転調」と理解した。

この点については、著名学者も含めてどの音楽家も見落としているようなので、これより少し解説しておく。

これは「君が代」をコードネーム(楽譜の上側にCとかConFとか並んでいる和音記号)付記したもの。

『楕円とガイコツ 「小室哲哉の自意識」×「坂本龍一の無意識」』(著・山下邦彦/太田出版 1999年)p177より引用

「君が代」はハ長調、すなわち白い鍵盤で弾く曲だ。しかし四つ目の小節を見ると、「D7」と「B7」とある。これは黒鍵もいっしょに使わないと鳴らせない和音だ。

ドイツ和声の理論では「ドッペルドミナント」とか「破調」とかの名づけによって、いちおうハ長調の枠内とされる。

しかしこの「D7」と「B7」は、ハ長調の和音ではない。「D7」はむしろ、ト長調における属和音であり、「B7」もその双子の妹・ホ短調の属和音である。

ドイツ人編曲者の本当の狙いは、ハ長調と思わせて、実はト長調、そしてその双子の妹・ホ短調という三重性をもってして、この二代目「君が代」に受け継がれた雅楽のDNAを、なんとか巧くベートーベンやブラームスなどのドイツ的正統派音楽の枠に収めてみせることだった… と、後世からの後付け解釈ではあるが、思えてならない。

リオ五輪のためのシン・君が代

シン・君が代に話を戻そう。編曲者はどういうことを心掛けたか。

念頭に置いたのは、まずはメロディ本来の美しさを引き出す事、東欧的なハーモニーを基調としながらも、雅楽の要素や近代クラシックなど西洋音楽の影響、さらにジャズの影響をハイブリット化させることでした

公式の楽譜は発売されていないようなので、いくつかの再現動画に耳を傾けてみて、ヴォーカロイドによる四声のこれを選んでみた。

出だしの二小節で耳を奪われたという方も、当時多かったのではないか。なにしろ原曲の合唱では伴奏はなくて、オーケストラ演奏のときも、すべての楽器で同じ音符が奏でられるのが常だった。

(指揮・小澤征爾/新日本フィルハーモニー 編曲・池辺晋一郎)

そこをリオ五輪版は、独自のハーモニーで幕あけしたのだった。

♪き~み~が~あ~よ~お~わ~

「ラ・レ・ソ」の和音がここには聞き取れる。もしお手元に鍵盤楽器があるならば、ラ・レ・ソの鍵盤を、いっしょに鳴らしてみてほしい。

どこかふわっとした響きだ。シドミファ の音列より、①④⑦つまり四度の間隔の音を鳴らすと、こんな風通しのいい和声が生ずる。

♪ち~よ~に~いいや~ち~よ~に

ここは「シ・ミ・ラ・レ」の和音だ。ドレファソシド つまり①④⑦⑩の音でできた、四度堆積和音である。

ここは「レ・ソ・ド」の和音。ミファラシの①④⑦。やはり四度堆積和音である。

こんな感じに、縦の音の並びが、この後も①④⑦や①④⑦⑩を基本にした、風通しのいい和音になっている様が、分析するとよくわかる。

「♪や~ち~よ~に~」

この後、ある大胆な技を編曲者は仕掛けてくる。原曲では「♪や~ち~よ~に~」の小節が、C長調の体裁を保ちながら実はG長調だ(前述の分析を参照)。ところがこのリオ五輪用「君が代」では、G長調で収まるどころか、さらにA♭長調にまで針が大振れするのである。

ファ♯」の音がここでは鳴っている。「ドレミファソラシド」の音列が「ドレミファ♯ソラシド」=「ファソラドレミフ」に調性が切り替わってG長調。ここまでは原曲と同じだが…

や~ち~よ~に~」

♪や~ち~よ~に~ の「に~」で、音列が「ドレ♭ミ♭ファソラ♭シ♭」=「ミファソラシドレ」でA♭長調に(いつのまにか)入れ替わる。

C長調(すべて白鍵で弾ける)→G長調(黒鍵がひとつ混じる)は近親調だとして、そこからさらにA♭長調(黒鍵がひとつどころか四つ!)に跳ぶのは、ずいぶんエキセントリックだ。

実際に弾いてみよう

しかし鍵盤に指を置いて鳴らしてみると、G長調→A♭長調へのジャンプは、それほどエキセントリックでもない。

何か気づかないだろうか?1オクターヴのなかに鍵盤は五つあって、前者はそのうち「F♯」の黒鍵(青)を使い、後者は残る四つの「A♭、B♭、D♭、E♭」黒鍵(緑)を使っている。

昔の写真でいう、ポジとネガのような関係である。エキセントリックでありつつも、スマートなバトンタッチが果たされる。

♪ち~よ~に~いいや~ち~よ~に

野心的な技がほかにもいろいろ使われている。そういえばこの「君が代」は、サイバーパンクSFアニメ映画のモダンクラシック「攻殻機動隊」(1995年)の主題歌のようだという反応が相次いだ。実際、2020年の東京大会に向けて、日本製アニメ、まんが、ゲームの有名キャラクターがオールスターキャストで祭典を盛り上げる計画が進んでいたという。

祭りの後で

その顛末は私たちの記憶にあるとおりだ。1兆6989億円の経費(うちパラリンピックが1514億円)の割には、歴代大会で最も記憶の薄いオリンピックとして、「貧乏くじを引かされた」「開催前から消化試合」と、今後もジョークの種にされていくのだろう。

無観客のスタジアムに、各国代表が「ドラゴンクエスト」のテーマ曲とともに行進していく様は、かえって清々しかった。国際五輪委員会のバッハ会長の、少々長すぎる前説に、選手たちがだんだん地面に座り込んでいく映像中継も、それはそれでいい味だった。

無観客ではなく、満席のスタジアムにあの曲が鳴り響く、そんな入場行進を拝みたかった。2024年パリ夏季五輪の開会式についてはいろいろ言いたいことがあるが、あの中継に見入りながら、私はもっと違うことを考えていた。

中国・武漢で変種ウィルスが発生しなかった世界線で、聖火とともにアベノミクスは日本を再生させ、そして私の父はコロナ禍の重苦しい空気に呑み込まれず、今も生きていたのだろうか、と。