特攻隊員の遺書が繋ぐ現代日本への対話:岩田温『後に続くを信ず』

「いよいよ知覧を離陸する なつかしの祖国よ さらば 使いなれた万年筆をかたみに送ります」

特別攻撃隊として、空に散った多くの前途有望な若者たち。自らの命と引き換えに敵陣に打撃を与える特攻隊の戦法は、敵国を恐れさせると共に常人の理解を超える「狂人」として国内外で描かれてもきた。

しかし、「自爆攻撃」を仕掛ける兵士たちにも大事な人はおり、多くの遺書を読み込むと彼らが死の間際に実に様々なことを考え、苦悶し、最愛の人に想いを巡らしていたことが良く分かるのである。

本書は、志半ばで逝った若い兵士たちの心情に想いを巡らせ、その土台の上に彼らが残した想いを如何に受け止めて現代を私たちが生きていくべきかを問う力作である。

「君はなお父母に孝養を尽くしたいと思っているかもしれないが、吾々夫婦は今日までの24年間の間に、凡そ人の親として享け得る限りの幸福は既に享けた。親に対し、妹に対し、なお仕残したことがあると思ってはならぬ」

日本を代表する知識人で慶應義塾大学の塾長を務めた小泉信三は、「君の出征に臨んで言って置く」との書き出しで、後に戦死した息子に宛てて手紙を書いている。残された家族の世話は父が責任を持つとして、息子にエールを送る小泉。余計な心配をさせず職務に集中出来るよう懸命に平静を装う父を想像する時、その家族愛を涙なしには読めない。

「【死んだら蛍になって帰ってくると言った宮川隊員を念頭に】富屋食堂の裏に小川が流れていたんですが、そこに一匹の大きなホタルがやってきて白い花にとまったんです。本当に大きなホタルでした。思わず、みんなに、『このホタルは宮川サブちゃんですよ』と言ったんです」

鹿児島の知覧にある特攻記念館。私も佐藤正久参議院議員の秘書時代にこの記念館を訪れたが、想像を絶する環境下でも努めて明るく振る舞う兵士たちの笑顔を見ながら、人目を憚らず号泣した。ここで食堂を営み、敵陣に向かって離陸する兵士たちと交流のあった鳥濱トメさんも生前にこんな言葉を残していた。

かように兵士の数だけ物語があり、兵士の周辺にも家族から知人まで様々な想いをもって、死ぬことを定められた兵士たちを温かく見守っていた人たちがいた。そういった中で戦前に戦闘機に乗り込んでいく兵士の背中を押していた知識人が、戦後には変節して戦死した特攻隊員を罵倒する側に回った様々な非情が存在する。

著者は特攻隊員が戦後に侮辱されたことを二度目の戦死と位置づけ、国会図書館の資料などを読み漁りながら、一つ一つ論拠を確認した上で、特攻隊員を政治利用した戦後左派知識人の嘘や偽善性を糾弾するのである。

「人間は生まれながら国民となるのではありません。国家の歴史を引き受けた時に国民となるのです」

私たち国民にとって歴史とは、「我が国を我が国たらしめるために生きて死んでいった方々への共感と共鳴を礎としなければならない」と著者は言う。私たちは過去、現在、将来を貫く垂直の歴史軸に生きており、特攻隊として散っていった兵士たちの死と直前の心情に共感し、また共鳴することで、歴史を我が事として消化出来るのである。

それは先人から引き継いだ日本国の大切な物語であり、特攻隊の残した数々の遺書は私たちの情緒に訴えかけるものである。そして、この共感と共鳴は、後に続くを信じて後世の人々に想いを託した兵士たちと、現代を生きる私たちとの無言の対話でもある。