8月15日の挽歌:ルパンと悟空と金融と

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昔「小公女」のアニメ版を見ていて、不思議に思ったことがある。

「いったいセーラは、お釣りを数え間違えなかったぐらいでどうしてそんなに感心されるの?」

有名なストーリーなので詳細は省く。下僕仲間のベッキーは、市場に買い物に行かせると、必ずお釣りを間違える。セーラは間違えない。おかげで厨房のおかみに感心される。

おとなになってから、調べてみた。そして、彼女はこんな算数問題を正しく解ける子なのだと知った。

3シリングと7ペンスの買い物に4シリング出しました、お釣りはいくら?

皆さんどうか挑んでみてください。

「4シリング」は「4×12=48ペンス」で、一方「3シリングと7ペンス」は「3×12+7=43ペンス」のことだから、「48−43=」で5ペンス… と即答できるようなら、あなたも庭に咲くひまわりに称えられることだろう。

ちなみにこの頃のイギリスでは、ペンス銅貨が12枚あれば、シリング銀貨1枚と交換できた。

ちなみにシリング銅貨が20枚あれば、ポンド金貨1枚と交換できた。

当時は他にもいろいろイギリス硬貨があった。『小公女』と時代が重なる『シャーロック・ホームズの冒険』にあたると、ファージングとかギニーとかクラウンとかフローリンとかグロートとかの他に、半ギニー金貨とか4ペンス銅貨とか、いったいどれがどれと何枚で交換できるのやら、暗算が苦手な私は、きっと毎日間違えては雷を落とされてしまうだろう。

金本位制の始まり

高校で化学を習った方なら覚えているだろうが、銅銀金は周期表において三タテの元素である。歴史的いきさつは長くなるので省くが、希少金属として世界各地で、ものの価値の物差しとして使われてきた。

それはやがて今でいう貨幣となり、交易に欠かせないアイテムとなった。その仲介業として、今でいう銀行にあたるものが生まれた。さらには王権と民間の中間的なものとして中央銀行が設けられた。

ヨーロッパは、銀の鉱山がドイツとオーストリアにあったこともあって、もともと金貨より銀貨がよく流通していた。しかしアメリカ大陸より銀が持ち込まれるようになると、銀より金に重きが置かれるようになった。

とりわけイギリスは、アイザック・ニュートン(万有引力の法則で知られるあのニュートン!)が造幣局局長を務めていた頃、金貨と銀貨の交換比率について、実際の金と銀のそれと違うものを設定してしまったこともあって、銀貨は相対的に価値を下げ、金貨中心で回っていた。

そこに、いわゆる産業革命の時代が重なり、海運国イギリスは全世界に勢力圏と領土を広げていくなか、金を貨幣制度の基本に置く「金本位制」を19世紀にスタートさせた。ソヴリン金貨一枚で1ポンド、これがシリング銀貨20枚ぶんで、さらに同銀貨一枚でペンス銅貨12枚ぶん…

要するにポンドという貨幣単位は十進法で回っていても、実際に使われる貨幣は、二十進法と十二進法の両方で回っていたのだ。金・銀・銅の実際の流通比率に準じたものだというが、おかげで実に計算しにくい。

そこにさらに4ペンス銅貨とか6ペンス銅貨とかいろいろ入り乱れるのだから、これでお釣りを間違えない、セーラの地頭の良さには、おとなになった今だからこそ感嘆してしまう。

カリオストロ公国はいつから偽札を刷りだしたか

アニメつながりでもうひとつ、貨幣が裏テーマとしてあるものを見てみよう。

「ルパン三世カリオストロの城」は、繰り返しテレビ放映されているので、ご記憶の向きも多いだろう。スイスともリヒテンシュタインともつかぬ風光明媚な国・カリオストロ公国の城では、偽札が大量生産されている。

想像を広げてみよう。あの城の城主(そしてあの姫様)の指輪は、1517年と刻まれている。ヨーロッパ史を多少知っている方なら、マルティン・ルターがローマ・カトリックと決別した、いわゆる宗教改革の年だとピンとくるだろう。

これがきっかけになって、およそ百年後にドイツ30年戦争が勃発。戦争には金がかかるわけで、偽金貨を大量に製造できれば、動乱のなかでのし上がることができる。カリオストロ公国は、こうした時代のなかで生まれ、近世ヨーロッパにおける影の中央銀行として機能していたようだ。

1928年のアメリカ大恐慌の引き金にもなった、と劇中では語られる。おそらく偽の株券をこの国が大量に発行していたのだろう。第二次大戦のときには偽札をすでに大量生産していたことは、当時のイギリス軍用機(撃墜されたもの)を検分するドイツ兵たちが、機体から大量の札束(ドイツのライヒスマルク札だろうか)があふれている様に呆れているワンカットからうかがえる。

史実でもこれと同じことがあった。もっともイギリスのポンド札についてだったが。かの国の経済を攪乱させるべく、ドイツで「ベルンハルト作戦」の名の下、極めて精度の高いイギリス・ポンド偽札が大量に生産され、ポンド札全流通量のおよそ一割が偽札という事態となった。終戦後のイギリスでは、5ポンド以上の札は真偽を問わずすべて中央銀行が処分を余儀なくされた。つまりは(戦後世界において)ポンドを世界の基軸通貨の座から追い落とすには十分な効果があった。

もし同作戦で、アメリカ・ドル札の贋造と大量生産に成功していたら、どうなっていたのだろう?

「カリ城」には、パリの国際警察本部(なんとなく国連総会風)で各国代表が「大量のドルが某国によって発注された形跡がある」「なんだとこの偽ルーブルこそCIAの発注じゃないのかね」と喧々囂々と言い争うシーンがある。

ヒトラーが夢見て果たせなかった、ドル札の贋造に、あの公国は密かに成功していて、以後西側、東側(映画公開当時の1979年、世界はロシアとアメリカの東西二大陣営に長く引き裂かれていた)の両方より、相手側の経済攪乱のための偽札の大量生産を請け負っていたのだろう、第二次大戦後の世界で、ずっと。

ドルの王座を揺るがしたもの

大戦後、世界の金融はアメリカ・ドルを中心に回っていた。荒廃したヨーロッパ諸国と違ってアメリカ本土は大戦を無傷で切り抜けた。ドル札は、世界最強の兌換紙幣(銀行に持ち込めば金との交換が保証された)となり、さらには世界のあらゆる通貨と、アメリカ・ドルは常に同じ比率で交換できた。例えば日本円であれば1ドルで360円、イギリス・ポンドだと1ポンドで4.03ドル。

いわゆる「ブレトン・ウッズ体制」である。西側つまりアメリカ寄りの国々については、この仕組みが回り続けた。

これが揺らぎだしたのは、アメリカが月への有人着陸帰還計画と、ベトナムでの戦争に国費を傾けすぎたことからだった。詳細は省くがどちらも東側つまりロシア(当時はソヴィエト連邦と呼ばれていた)との世界大戦の代わりとして生じた国家事業(!)だった。

その隙を突くかのように、敗戦国であったはずのドイツと日本が経済復興を果たしていた。とりわけ日本の躍進は目覚ましかった。1ドル360円の固定為替の下、アメリカに比べれば安価だった労働力と、アメリカ産業界からの受注も可能なレベルに工業技術が進んでいたこともあって、日本製の工業製品がアメリカ市場に流れ込んだ。

貿易赤字やインフレ加速を受けて、ドルの金に対する兌換の維持が難しくなった。業を煮やしたリチャード・ニクソン大統領は、1971年8月15日、何の前振りもなく、いきなりホワイトハウスからテレビ中継で、ドル札の金兌換を一時停止すると宣言した。

これはブレトン・ウッズ体制の終焉宣言でもあった。要約するならば

  1. アメリカはアメリカ国内経済の立て直しを優先する。
  2. 金とドルの交換は廃止する。
  3. 各国はそのときそのときの市場状況にそってドルと自国通貨の交換比率が変わる仕組みに切り替えてもらう

皮肉なことに、この同じ年に、イギリスでは貨幣制度が全面改革されていた。先に述べたように、1ソヴリン金貨=20シリング銀貨=240ペンス銅貨という、10進法と20進法と12進法が入り乱れる仕組みだった。それを十年以上の議論と準備を経て、1971年2月13日、1ポンド(=1ソヴリン金貨)=100ペンスに切り替えられた。

世界の金融バランスを保つ「基軸通貨」の責務はすでにドルに移っていた。おかげでイギリス(そしてアイルランド)国内の制度改革として、この通貨制度改めが達成された。セーラの明晰さに頼らずとも、お釣りを間違えずに済むようになったのだ。

8月15日は終戦の日ではなく

イギリス・ポンドに取って代わって国際基軸通貨の任を担ってきた、ドルの国アメリカの大統領が、この1971年、世界の金融バランスよりも国内財政の立て直しを優先すると宣言したのだから、まことに歴史の皮肉だった。いわゆるニクソン・ショック。発表がちょうど8月15日(ホワイトハウス時間)であったことから、日本への当てつけではないかとまで当時騒がれた。

以後、世界の金融体制は金ではなく、もっと曖昧模糊なもので回りだした。カリオストロ公国が偽札の大量生産を加速させていたのも、金本位制が瓦解した後も東/西側の対立はなおも続いていたことにすがっての、生き残り策だった… そんな空想も広がっていく。

そういえばサウジアラビアは、遊びに特化した都市を建設し、その一角に鳥山明の「ドラゴンボール」のテーマパークも設けるという。この新造都市は総面積360平方キロ(琵琶湖の半分!)、そこの50ヘクタール(東京ディズニーランド総面積にほぼ相当)を割くという。

数年前の「ルパン三世」でカリオストロ公国のその後がそれとなく描かれていた。1979年に国政が破綻した後は、テーマパーク観光地として保っているようだった。そういえば鳥山のアニメ遺作は、砂漠化した世界を舞台に泉探しの旅をする冒険物語だった。地球温暖化の下、脱石油が急務の今、2030年を見据えての、産油国の雄の生き残り策がどうなるか、8月15日を前にして気になる、猛暑のこの頃ではある。