五輪に限らずスポーツ大会、芸術のコンクールなどで地元有利は必ずある。原因としては、国や地元での強化策、種目選定、使用会場での事前の練習や情報漏洩、身びいきな判定、気候に慣れているなど、地元であるがゆえの生活条件の良さなど複合的なものだ。
個別の要素については、様々な指摘が正しいか客観的な評価は難しいので、私は前回大会との金メダル数の比較をしてみた。そうすると、ここ10回の夏季五輪では、ソウル:6→12、バルセロナ:1→13、アトランタ:37→44、アテネ:4→6、北京:32→48、ロンドン:19→29、リオ:3→7、東京:12→27、パリ:10→18だった。
このうち、バルセロナは当時のサラマンチ会長がやりたい放題やって強引に成績を上げた大会であった。それを別にすると、64年と21年の東京は突出している。
これは、冬の長野や札幌についてもいえるし、念のためにその次の五輪での落ち込みもこれまで極端だった。
数字は、64年東京:4→16→11、21年東京:12→27→20、札幌:0→1→0、長野:1→5→0だ。その意味で東京大会で27だったのがパリで20もとれたのは大健闘だ。これには、いつもと違って三年後だから余韻ありということもあるかもしれない。
この数字をみれば、原因がどこにあるかは別として、日本は五輪の時に極端に地元としての有利さを発揮しているし、フランスはそのようなことをあまりしていないことが明白で、日本人がフランス人をこの点で批判することはちょっと恥ずかしいことだ。
日本がほかの国に比べて地元有利になるのは、開催種目についてごり押しで日本が強いものを押し込んできたこと、日本の生活習慣が独特すぎて海外遠征では力を発揮できないこと、高温多湿の気候が特異で海外選手に不利なこと、それから「使用会場での事前の練習や情報漏洩」は正直なところありそうな話である。
判定はそんなに無茶はできないし、FIFAワールドカップのときのような審判買収はないと思うが、それでも、土壇場で大逆転とかいうのはないわけではない。私が子供心にもおかしいと思ったのは、東京五輪の体操個人団体で、最後に日本選手が大失敗したのに、減点がわずかでソ連選手をかわしたときで、日本が勝ったうれしさより、ソ連選手に対する後ろめたさを申し訳なく思った時だ。柔道でも日本選手に有利な判定が東京では多いように感じた。
ちなみに、話題の柔道の日仏決戦については、大会の柔道での反則三つでの失格は今大会で評判が悪かったこともあって、最後の団体決勝では全般的に日仏どちらに対しても反則をとるのに慎重だったように見えた。
その流れの中で、阿部選手の対戦相手についても、三つ目をとってそれで勝負が決まりとすること、とくにそれで地元の負けとするのを躊躇したかもしれないが、不正と言えるほどとは思わないし、東京で同じ状況でも日本選手に三つ目の反則をとるのは躊躇したのでないかと感じた。
ルーレットは疑わしいと思うなら、大会の前に電子ルーレットを採用しどういう運営をするかについても日本も関与できているのだから、その段階で問題にするならともかく、結果が出てから特に疑わしい要素があるわけでないのに、不平をいうのはいじましいと思う。