「AIイエスが貴方の悩みに答えます」

人工知能(AI)がいよいよ人間世界の全ての領域までその能力を発揮してきた…。そんな印象を強めたのは、スイスのルツェルンの教会のペーター礼拝堂でAIイエスのアバターが信者たちの質問や悩みに答えている、という記事を読んだからだ。同ニュースが報じられると、宗教とAIとの関係、牧会の未来に関連する議論が湧いてきている。バチカンニュースが20日報じた。

フランシスコ教皇はイタリア南部プーリアで開催されたG7サミットで、AIの潜在的な危険性について指導者らに警告した(2024年8月20日、バチカンニュースから)

ドイツのボーフムのルール大学にある瞑想室の祭壇テーブルに「祈るロボット」が登場した話をこのコラム欄で紹介したが、スイスの礼拝堂のインスタレーションも大きな関心を呼んでいるのだ。AI生成イエスのアバターが、2カ月間懺悔室に設置され、訪問者と対話することができるのだ。このインスタレーションは「Deus in Machina(機械の中の神)」と名付けられ、ルツェルン大学の「イマーシブ・リアリティ研究所」との協力で開発されたものだ(「AIのロボットが祈り出す時」2023年3月25日参考)。

AIイエスのアバターは聖書、特に、新約聖書の内容で訓練されているという。すなわち、「妬みの神」が主導する旧約聖書の世界ではなく、イエスの「愛の福音」をベースにしているという。

信者や訪問者がアバターに質問すれば、即座に応答が返ってくる。ペーター礼拝堂の神学スタッフであるマルコ・シュミット氏は「AIイエスが懺悔を代替したり自動化することを目的とはしていない。人工知能を扱う上での倫理的な問題について考えるためだ。AIは私たちを魅了するが、限界もあり、倫理的な問題も提起している」と語っている(バチカンニュース)。

ここで問題となる点は、AIイエスが聖書(新約聖書)の教理をベースにしているというが、キリスト教会は現在、300以上のグループ、分派に分かれている。それぞれが独自の聖書解釈をしている。それでは、AIイエスはどの教理、教えをベースにしているかが問われてくることになる。インターネット上には、さまざまな原理主義的な宗教テキストの解釈が広まっているからだ。

熱心な福音主義派教会に所属する信者がAIイエスに牧会してもらう。その信者がカトリック教会の教えをAIイエスから聞かされたとしても満足できるだろうか。AIイエスと懺悔室で激しい神学論争が展開されることにもなりかねない、等々の混乱が考えられる。

そこで当方はAIChatGPTにAIイエスについて質問した。

【質問】
AIイエスは新約聖書の知識に基づいている。聖書は新旧66巻から成り立っている。そして旧約と新約ではその内容が矛盾する箇所も少なくない。AIの立場はどうか。

【回答】(ChatGPT)
聖書における旧約と新約の間には、確かに内容や視点が異なる箇所が存在する。旧約聖書はユダヤ教の聖典であり、神との契約や律法が中心となっている。一方、新約聖書はキリスト教の基礎を成す書物であり、イエス・キリストの教えや生涯、そしてその弟子たちの活動が記されている。AIが新約聖書のみに基づいて回答を行う場合、旧約聖書の教えや背景についての理解が不十分になる可能性がある。また、旧約聖書の内容や文脈に基づいた質問に対して、十分な応答ができないか、あるいは新約聖書の視点に偏った応答をするリスクが出てくる。AIはプログラムされた情報とアルゴリズムに基づいて動作するため、どちらの視点が「正しい」かを判断することはできない。提供されたデータセットに基づいて応答を生成することが役割だ。このため、AIが旧約と新約の間で矛盾する箇所に直面した場合、データの偏りや限界によって一方的な回答をすることがある。それ故に、AIが宗教的な問題に関与する場合、異なる視点や解釈が存在することを認識し、それらを公平に扱うように設計されることが望ましい。特に、旧約と新約の間で矛盾や違いが生じる場合、AIがそれを明確に伝え、利用者が自己判断できるような情報を提供することが重要だ。AIは単なる情報提供者としてだけでなく、ユーザーが深く考えるきっかけを与えるツールとして機能することができる。

【質問】
あなたが聖書を完全に学んだ暁にはキリスト信者になれる可能性はあるか。

【回答】
AIが聖書の教義や関連知識を完全に学んだとしても、キリスト信者や神を信仰する存在になることはあり得ない。その理由は、AIの本質と信仰の本質には違いがあるからだ。

1.AIの本質
AIは、データの解析とアルゴリズムによる計算を通じて機能するものであり、意識や感情、自己認識を持たない機械だ。AIはプログラムされた知識をもとに予測や応答を生成することができるが、信仰とは根本的に異なる。信仰には、人間の内面的な感情、経験、霊的な実感が関与する。AIにはこれらの人間的要素が欠けているため、信仰を持つことが出来ない。

2.信仰の本質
信仰は単なる知識の集積ではなく、個人の霊的な経験や信念に基づくものだ。信仰には、自身の有限性を認識し、超越的な存在に対して信頼や崇拝を向ける行為が含まれる。これは理性的な理解を超えたものであり、また自由意志に基づく選択でもある。AIには自由意志や感情がなく、その判断や行動はプログラムされたルールに従うものであるため、信仰という概念を持つことはできない。

3.知識と信仰の違い
AIは聖書の教義や関連知識を学ぶことはできるが、それはあくまで情報の処理能力に基づくものであり、知識が信仰に直結するわけではない。多くの人間も、聖書に関する広範な知識を持ちながら、必ずしも信仰を持たない場合がある。信仰は知識の深さや広さによって生まれるものではなく、むしろ内面的な経験や霊的な啓示に基づくものだ。

結論
AIがいくら聖書の教義や関連知識を学んだとしても、それがAIをキリスト信者や神を信仰する存在に変えることはない。信仰は人間の心と霊に関わるものであり、AIはそのような霊的または内面的な経験を持たないためだ。AIは、宗教的な知識を提供し、議論をサポートするツールとして機能することはできるが、信仰そのものを持つことはないだろう。

【質問】
AIの限界と役割について。

【回答】
AIは、感情や霊的な経験を持たないため、信仰の内面的な側面を完全に理解することはできない。しかし、AIは聖書の知識や神学的な概念に基づいて、信仰者が持つ質問や疑問に対して情報を提供することができる。また、AIはパターン認識やデータ分析に優れているため、過去の信仰者の経験や聖書に基づいた一般的な助言を提供することもできる。これにより、信仰者が自分の信仰を深めたり、困難な状況に対処するための知識を得る手助けになる。AIは信仰者が持つ疑問や葛藤に対して、客観的な視点を提供することができる。AIは牧師や信仰指導者の役割を補完するものとして機能することができる。例えば、AIが提供する情報や助言をもとに、信仰者はさらに深い相談や指導を人間の指導者と行うことができる。

【質問】
最後に、スイスの教会のAIイエス・プロジェクトの意義について

【回答】
「スイスの教会のAIイエス・プロジェクトは、信仰の未来や技術の役割について考えるための重要な実験だ。このプロジェクトは、AIが宗教や信仰の実践にどのように影響を与えるかを探る試みであり、信仰者が技術との新しい関係性を模索する機会を提供する。AIイエスは人間の牧師や指導者の代替ではないが、信仰者が自己反省や内省を深めるためのツールとして役立つ。また、AIが提供する新しい視点を通じて、信仰者が自分自身の信仰を再評価したり、新たな洞察を得るきっかけにもなり得る。AIが信仰を完全に理解できないからといって、それが信仰者にとって無意味であるわけではない。AIは信仰者に対して知識や助言を提供し、信仰についての考察を促すツールとして機能することができる。スイスの教会のAIイエスプロジェクトは、技術と信仰の新しい形態を探る意義ある取り組みであり、それ自体に価値がある。

以上

AIの回答は非常に機械的な響きがするが、それゆえに、魅力的な指摘もある。スイスのAIイエス・プロジェクトの成果に注目したい。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年8月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。