メディアは自民党総裁選の行方について様々論じています。「我は!」と思う人が沢山いることは良いことですが、一方で本当にふさわしいかどうかは別次元。残念ながら99.9%の人はそれら候補者と直接、接点を持つことはありません。当然ながら生の声を聞くチャンスもあまりなく、メディアからの二次情報に頼らざるを得ないので我々は何処まで正しい理解度を持っているのか私自身を含め、実にあやふやとも言えます。
さて、一国の総理となれば当然そこに求められるのはリーダーシップ。では行政におけるリーダーシップの力が及ぶ範囲はどこまでなのでしょうか?例えば企業の社長であれば従業員がその範疇だし、様々なグループ活動ならそのグループの長がリーダーであり、先導者であります。
この理論からすると一国の長のリーダーは行政チームのリーダーであり、自民党総裁を兼ねるなら自民党の議員、党員を含む範疇になります。言い換えると野党はもとより司法や日銀も別だし、一番大事なのは多くの国民は入っていないということになります。厳密には自民党員や党友は国民の一部なのでそれ以外の人ということになります。
では国民のうち、自民党支持者はどうなのかといえば私は平たく言えば「ファン層」だと考えています。ある理由で好きになっているだけできっかけがあれば嫌いにもなるし他党へ浮気もする人もいるのです。よく「コアなファン」という表現をしますが、この人たちは党友に近い人たちのことでしょう。
では企業が販売する様々な商品やサービスについて我々はどんな会社のどんな社長が作った商品か考えて購入することはありますか?社会問題になったようなケースは例外で除外するとして、まず社長の顔を思い描いて買うことはないのです。ユニクロで柳井さんの顔を思い浮かべないでしょう。
それと同じ、国政に於いて大多数の国民にとって首相とか閣僚は別次元別世界の話であり、明白な隔離がそこにあるのです。アメリカのように直接選挙ではないということも理由の一つにあるかもしれません。なので国民としては国政は「うまくいって当たり前。なにか不都合があれば今の首相、サイテー!」という意思表示をするのです。これが政権支持率です。
ではリーダーは自分の勢力範囲内の人に対してのみリーダーシップを持てばよいのでしょうか?
私はリーダーが発するオーラが国民に間接的に大いなる影響を与えるのだと思います。その一つは発信力でまずはビジョンを見せ、国民に共感と共鳴、そして一体感を醸成することが大事だと考えます。今はポピュリズム主流の政策展開ですが、これから1年、5年、10年、50年後の日本のあるべき姿を示してほしい、そしてその大枠の中で政権が目指す指針を聞いてみたいのです。
50年先のことなんて笑わないでほしいのです。今の20代、30代の人はほぼ必ずその時代を迎えるのです。年金なんて無くなるんでしょ、とか人口が凄く減ってどうなっちゃうのだろうといった今、あまり真面目に取り扱わない問題は彼らにとっては切実なのです。
日本は諸外国のように二大政党が根付く国ではありません。二大政党は概ね、支配層と被支配層の関係から生まれます。欧米なら資本家と労働者だし、権威主義の国家なら権威VS民主という対立軸でしょうか?ところが日本は国家成立の思想ベースは「労働する神様」なので平社員も社長も一生懸命働くし、清貧とか出る杭は打たれるといった平等主義、平準主義がある為、対立軸が生まれにくいのです。敢えて言うなら同業他社との激しい縄張り争い、これは無視できない対立軸ではないでしょうか?
とすればアメリカや韓国のように二大政党で選挙のたびに与党が変わったり、国家方針が右へ左へというブレも少ないのです。これは世界的に見ても稀な安定感であり、このアドバンテージを利用しない手はないのです。50年後の政権は誰だかわからないじゃないか、という意見はあります。自民党ではないかもしれません。ただ、国民はその理念が好きだという点では50年後も変わらない公算は高いのです。
そこを見据えたリーダーシップを取るのが上に立つ者の最低の与件です。企業の社長選びは派閥もありますが、基本は実力と人望です。一国の長に求められるのは様々な欲望と魑魅魍魎の世界の中における圧倒的な指導力かもしれません。
さぁ、我々の次の長はどんなリーダーシップを発揮してくれるのでしょうか?
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年8月23日の記事より転載させていただきました。