キャンセル・カルチャーに陥らなかったモディ首相とゼレンスキー大統領

モディ首相とゼレンスキー大統領
同大統領インスタグラムより

インドのモディ首相が、8月23日、ウクライナを訪問した。ポーランド訪問にあわせたものだが、インドの首相のウクライナ訪問は初めてだという。

モディ首相は、7月にはロシアを訪問していた。その光景を見たゼレンスキー大統領が、「世界最大の民主国家の指導者が、血塗られた犯罪者と抱擁する様子を見て、非常に失望した」とSNSに投稿し、物議を醸した。ゼレンスキー大統領の発言を不快に思ったインド政府は、駐インドのウクライナ大使を召喚した。

ウクライナは、インドにロシアとの貿易関係を止めてほしいと願っている。しかし人口14億を抱え、軍事兵器調達において伝統的にロシアとの結びつきが強いインドは、それに対応するつもりがない。

恐らく8月のポーランド訪問とあわせたウクライナ訪問は、7月の段階から計画されていた話であっただろう。両国ともに、感情的な行き違いを、両国関係の著しい悪化にまでつなげない配慮をした。そして今回のもモディ首相の訪問につなげたのだろう。インドは、ロシア・ウクライナ戦争に対して、中立的な立場をとっていることを強調している。ロシアを訪問したのであれば、ウクライナを訪問しなければ、格好がとれない。インドとしては、従来から説明している原則的な立場をとった。

インドは、人口14億(ウクライナは現在3千3百万人ほど)、GDP世界ランクPPP3位/名目4位(ウクライナPPP36位、名目58位)、軍事費世界ランク4位(ウクライナ11位)の大国である。今回はモディ首相が、ゼレンスキー大統領の発言を不問に付すことを決めた、ということだろう。

ウクライナ政府としては、インドに一歩踏み込んだウクライナ寄りの立場を取ってほしいところだっただろうが、もちろん無理だった。モディ首相は、ロシアとウクライナの早期の対話を求め、「解決への道は対話と外交を通じてのみ見つかる。時間を無駄にせずその方向に進むべきだ」と述べたと報道されている。従来からの立場である。

両国は、あとは医療、農業、人文関係、文化といった分野での協力という実務的な内容を約した。ゼレンスキー大統領のSNS投稿で、インドとの関係悪化が懸念されていたところであった。両国ともに大人の対応をしたことは、評価されるべきだろう。

記者会見において、同行していたジャイシャンカル外相に、モディ首相がプーチン大統領と抱擁したことに関する質問が、BBC記者から投げかけられた。ジャイシャンカル外相は、「それはあなた方の文化でなくても、われわれの文化だ、モディ首相はゼレンスキー大統領とも同じことをした」と答えた。

ウクライナではロシアに関する文化、言語、宗教を排斥する動きが顕著になってきている。ウクライナを支援する欧米諸国も、キャンセル・カルチャーの本家本元だ。ロシアの悪魔化と排斥の動きが目立つ。

徹底的にロシアを外交・政治・経済から追放し、ロシアとの接触を断ちまくることが、正義である、という確信にのっとった行動が、特に波紋を投げかけるのは、ロシアと付き合う者たちまで排斥しようとすることだ。ロシアとの関係を維持するベラルーシのみならず、ハンガリーも、キャンセル・カルチャーで排斥したい。どこまでも果てしなくロシアを排斥し、ロシアと接触した者を排斥しようとしている。

この動きは一般の人々にも大きく波及している。「親露派」とみなすものを糾弾して排斥しようとする運動、隠れた「親露派」を暴き出して排斥者リストに載せていく運動が、世界的規模で進行中だが、これはウクライナ政府がやっていることというよりも、ウクライナ支持を表明している人々が、自分のウクライナを支持したいという感情を社会的に表現するための形態として、行っていることである。

このようなキャンセル・カルチャーをどこまでも果たしなく続けていくと、ウクライナは戦争に勝てるのか。目指している目的を達成できるのか。不明である。誰も議論していない。ロシアに関するものを全て排斥する、という運動が、それ自体が正義として、自家撞着的に拡大している。

このロシア・ウクライナ戦争にまつわるキャンセル・カルチャーで明白にウクライナが失敗したのが、サヘル諸国でのワグネル対応だ。ロシアを憎むあまり、ワグネルが掃討作戦の対象にしている反政府側を支援していることを、認めてしまった。これに当事国のマリだけでなく、ニジェール、ブルキナファソが反発し、安全保障理事会に議題提起を要請する、という事態にまで至っている。

BBCの記者は、抱擁に関する質問をしたとき、文化のことを聞いたのではなかっただろう。欧米では悪魔とみなされて不可触の扱いとなっているプーチン大統領と抱擁することの政治的意味について、どう思っているのか、と聞きたかったのだろう。

したがってジャイシャンカル外相が、「あなた方の文化ではなくても、われわれの文化だ」と主張したとき、念頭に置いていたのは、単なる抱擁の仕草のことだけではなかったと思われる。外相として余計な解説までは加えなかった。しかし欧米諸国に吹き荒れるキャンセル・カルチャーを揶揄する含意があった、と受け止めてよいだろうことは、含意としては明白だったと感じる。

なおウクライナがインドとの関係悪化を露呈させなくてよくなったのは朗報であり、重要なことだが、インドがイスラム圏の国ではないことは、留意しておかなければならない。日本では「グローバル・サウス」概念の十把一絡げな怪しい使用法により、インドが「グローバル・サウスのリーダー」のように簡単に述べてしまう人物が多いが、間違いである。

インドは、21世紀の超大国として、重要である。しかしインドとの関係維持は、イスラム圏諸国との関係改善には、必ずしもつながらない。ウクライナは、イスラム圏諸国との関係発展では、ロシアに後れを取っている。そこを改善したいのであれば、さらにいっそうの別の努力が必要である。