大谷「43発-43盗塁」で分かった日本野球のダメな理由

大谷翔平選手インスタグラムより

真っ向勝負を逃げる

米大リーグ・ドジャースの大谷翔平(30)がメジャー史上初の「43本塁打、43盗塁」を達成しました。全国紙が一面トップの扱いをした快挙です。この調子が続くと、ベーブ・ルースをしのぐメジャー史上最高の選手という歴史的な格付けを得ることになりそうです。

大谷の並はずれた身体能力、緻密なデータ分析を生かす明晰な頭脳の結果でしょう。米メジャーよりレベルが劣る日本(日本ハム在籍)で達成できなかったのに、レベルの高い米国で、度肝を抜くような記録を打ち立て、米国人のハートをつかみました。なぜそんなことができたのか。

大谷の活躍でますます霞む日本のプロ野球です。日米の違いを考えるヒントが隠されているように思います。このままでは、超一流選手はさらに米メジャーを目指し、日本はメジャーの2軍となる。

米日野球の大きな違いを考えると、まず「真っ向勝負の米メジャー、のらりくらりではぐらかす日本野球」という対比ができます。メジャーでは、投球数制限(約100球)の下で何勝するかで評価が決まる。日本の「はくらかし野球」と違い、多くの場面では真向勝負(逃げずにストライクゾーンを多用)しますから、一流選手にとっては本塁打、長打がでやすい。

ヤンキースで175本の本塁打を打った松井秀喜(元巨人)は高校3年生(石川星陵)の時、「北陸の怪童」と言われ、夏の甲子園の明徳義塾戦で5打席連続で敬遠の四球、打たせてもらえなかった。「はぐらかし野球」の典型的な例です。プロ野球に入っても、相手投手は真向勝負はしてこず、ストライクかボールがはっきりしないゾーンに投げる。

米国では「ブーイング」でしょう。そのうちにリズムをくずしてしまう。巨人軍が必死に引き留めるのを振り切り、2003年にヤンキースに移籍したのは、多額の年俸よりも「強打者には真っ向勝負してこない日本ではやっていられない」という思いがあったことでしょう。巨人が引き留めるなら、はぐらかし野球からの断絶を決断すべきでした。

松井の渡米に怒った巨人軍の首脳が「松井が日本に戻っても、監督にもしない、コーチにもしない」と、断言したという話があります。なぜ日本の一流選手はメジャーに行きたがるのか。そこを考え、日本式野球からの脱皮を図るべきでした。

勝つことを優先する米国、負けないことを優先する日本という図式でしょうか。負けないことを優先しても、大局的にみると、ゲームをつまらなくし、結局、負ける。

田中将大(楽天出身)はヤンキースで活躍し、2015年12勝、16年14勝、17年13勝、18年12勝など、輝かしい成績を残しました。田中は楽天時代の13年に24勝無敗という日本記録を打ち立てました。田中がメジャーに転向する時、「日本では、自分が投げると、相手打者は『とても打てそうにない』と、始めからさじを投げていた。メジャーで力を試してみたい」と語っていたそうです。

次に、ゲーム展開のスピードです。日本では、解説者が「そこで間をとるのがいい」とよくいい、ゲームは長引き、間延びする。用もないのに、コーチが投手に近寄り、なにかささやく。米国では、最近、投手の投球感覚の秒数を制限し、それをオーバーすると四球扱いとなる。スピードアップの野球か、間延びの野球か。その差は大きい。

メジャーでは、ベース盤も広げた(38センチ→46センチ)ため、盗塁しやすくなったし、進塁でセーフになりやすくなった。打者に有利なルール変更です。大谷の新記録もこれに助けられています。

始球式に大谷の愛犬が登場し、ボールをくわえて、ホームベースにいるご主人のところに駆け込む。試合を楽しくするために、日本では想像もできないような試みを躊躇なくやる。

野口悠紀雄氏の近刊「アメリカはなぜ日本より豊かなのか?」(幻冬舎新書)を読んでいましたら、「アメリカの豊かさの源泉は、異質なものへの寛容と多様性の容認にある」という指摘をしていました。政治、経済、産業、企業、社会、レジャー、人種構成などあらゆる分野で、異質なものへの寛容と多様性の容認が見られるとことです。

大谷が活躍するメジャー野球をを見ていても、そのことを感じます。異質なものへの寛容、多様性の容認を通じて変化を恐れないのです。米大統領選挙で、「バイデン対トランプ」の構図が「ハリス対トランプ」、「若い世代対高齢世代」、「女性対男性」、「黒人対白人」に一瞬にして切り替わりました。劇的な変化です。

日本の自民党総裁選では、数人から10人程度の候補者の争いになりそうです。メディアは「かれらはどのような政策を示し、日本を変えていくのか」を掘り下げず、「いつ誰が立候補するのか、20人の支持者を集められたのか」という表面的なことばかり報道しています。

米大統領選は世界政治を左右する闘いになり、日本の総裁選は永田町での町内会の争いです。異質なものへの寛容、多様性の容認はなく、大きな変化は期待できそうにありません。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2024年9月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。