モンゴルは「ノーベル平和賞」を逃した:モスクワに無事帰国したプーチン大統領

米国の公民権運動、マーティン・ルーサー・キング牧師の有名なセリフではないが、当方にも夢があった。ロシアのプーチン大統領が2日夜から3日にかけモンゴルの首都ウランバートルを訪問すると聞いた直後から密かに考えてきた。ウクライナに再び平和が訪れるかもしれないからだ。モンゴルを訪問したプーチン大統領を国際刑事裁判所(ICC)の要請に基づき逮捕してオランダのハーグに護送するという夢だ。

ロシア・モンゴル両国政府会談風景(2024年9月3日、ウランバートル、モンゴル政府公式サイトから)

プーチン氏に対しては、ハーグに本部を置くICCが昨年3月に逮捕状を出している。2022年2月24日のウクライナ全面侵攻開始以降に、同国の子供たちを違法にロシアに強制移送した戦争犯罪の疑いがもたれてきた。モンゴルはICCの加盟国だから、プーチン氏を逮捕する義務がある。プーチン氏にとってもICC加盟国訪問は初めてだったから、冒険だったろう。

もちろん、モンゴルにとってプーチン氏逮捕は大きなリスクだ。国家元首を拘束したとしてロシア側が激怒して軍をモンゴルに派遣するかもしれない。それにロシアを敵に回した瞬間、ロシアから原油がこなくなる。そうなれば、モンゴルの国民経済は途端に大危機だ。ハンガリーのオルバン首相と同じように、ロシアから安価なエネルギーを入手することがモンゴルにとって必要不可欠だからだ。モンゴルのオフナー・フレルスフ大統領はICC加盟国だからといって、「はい、分かりました」と快諾して、柔道の黒帯の持ち主プーチン氏を拘束するわけにはいかない。

フレルスフ大統領がハムレットのように悩んだとは思わない。プーチン氏拘束によるリスクがメリットより数段大きいから、悩むこともなかったのではないか。プーチン大統領を歓迎して今後もモスクワから安価な原油を得るほうが明らかにメリット大だからだ。実際、その通りとなった。

プーチン氏は3日、ウランバートルのチンギス・ハーン広場で行われた歓迎式典でフレルスフ大統領らの歓迎を受けた。式典では騎馬隊が並び、楽団が演奏した。プーチン氏とフレルスフ大統領はエネルギー供給に関する協力関係を再確認し、ロシアからモンゴル経由で中国に繋がる天然ガスパイプラインの建設も議題となったという。

当方はこのコラムをプーチン大統領のモンゴル訪問直前に掲載しようと考えたが、ジャーナリストは相手を煽ることが仕事ではないから、事実関係とその背景を報じることだけに留めて置くべきだという結論になった。だから、プーチン氏がモスクワに帰国後、当方の夢についてコラムにまとめている次第だ。

当方の夢は、プーチン大統領をICCの要請でモンゴルが拘束し、ハーグに送ったならば、ノルウェーのノーベル平和賞委員会は即、2024年度のノーベル平和賞をモンゴルに贈ると発表する。もちろん、このニュースは世界に向かって発信される。それだけではない。欧米諸国を中心に「モンゴル支援国クラブ」が創設され、巨額の無償援助が実行され、原油を購入する資金も提供される。少なくとも、プーチン氏を逮捕したことでモンゴルに生じた経済的な負担は世界が背負うことを約束するのだ。

考えてほしい。プーチン氏が逮捕され、ハーグに収監された場合、ロシア指導部で大きな動揺が生じるだろう。メドヴェージェフ前副大統領のような過激な発言を繰り返す政治家もいるが、プーチン氏の専制主義的、独裁的な政治スタイルに抵抗を覚え、ウクライナ戦争でも「特別軍事計画」ではなく戦争だと認識している政治家がクレムリンに少なくないはずだ。彼らはプーチン大統領逮捕というニュースを知ったならば、ウクライナはロシア領土といったナラティブに酔ってウクライナ戦争を始めたプーチン氏の政策を継続することはないだろう。ロシア側のメンツが維持できれば、ゼレンスキー大統領との間で停戦交渉に応じてくるだろう(少々、楽観的過ぎるかもしれない)。

最も考えられるシナリオはクレムリンはハーグでプーチン氏釈放交渉を始めるだろうが、ロシア側が間違っても軍事行動に出ないように、欧米諸国は事前にモスクワに警告を発する(ロシアを説得できる唯一の手段は力だ)。

大モンゴル帝国時代、欧州までその勢力を拡大したモンゴル民族に欧州は恐れてきた。21世紀、モンゴルが世界の独裁者プーチン氏を逮捕すれば、世界は大喝采となり、モンゴルは世界を救ったとして高く評価されることは間違いないはずだった。そのうえ、ウクライナ戦争に幕が閉じれば、莫大な戦争資金が浮く。モンゴルは世界の経済を助けたことにもなったはずだ。ノーベル平和賞だけではなく、経済賞をも同時受賞したとしても誰も文句はいわなかっただろう。

以上、当方はプーチン氏がモンゴルに入国する数日前から夢見てきたのだ。戦争に費やす巨額の資金、そして人材を救済できる絶好のチャンスと考えたからだ。トマホークミサイル一発でどれだけの資金が必要かを思い出してほしい。モンゴルがプーチン氏を逮捕すればウクライナ戦争は幕を閉じる可能性があった。モンゴルのフレルスフ大統領の名は世界史に残っただろう。あれも、これもモンゴル側の手にそのチャンスがあったのだ。

残念ながら、モンゴルは黄金のチャンスを逃した。ウクライナのゼレンスキー大統領はモンゴルがプーチン氏を逮捕しなかったことについて、「モンゴルはロシアの戦争犯罪の共犯者だ」と非難したのは頷ける。モンゴルのために少し弁明するとすれば、ロシアと中国の2大国に地理的に挟まれたモンゴルにとって、全方向外交以外に生き延びる道がないのだ。

一方、ICC加盟国を初めて訪問し、モスクワに無事帰国できたことで、プーチン氏は自信を深めたかもしれない。ICCなど恐れるに足らずだ。プーチン氏は今後もICC加盟国を訪問するかもしれない。

それにしても、残念だった。繰り返すが、モンゴルがプーチン氏を逮捕したならば、「手足のない巨人」と揶揄されてきたICCは名誉回復し、世界の戦争犯罪人はもはや安眠できなくなる。プーチン氏の余生はクレムリンに引きこもる以外になくなったはずだ。それにしても、フレルスフ大統領は目先の経済的利益のために大きな魚を逃してしまったのだ。

【国際刑事裁判所】
国際刑事裁判所(ICC)は、国際法に基づいて戦争犯罪や人道に対する罪、ジェノサイド、侵略犯罪などを裁くための常設の国際裁判所で加盟国は「ローマ規程」(Rome Statute)という国際条約に明記された一定の義務を負っている。同規定の第86条、第89条には戦争犯罪人やその他のICCが捜査する人物を逮捕・引き渡す義務が含まれている。ただし、実際は「手足のない巨人」と揶揄されているように、ICCは世界的な法と正義の追求という大きな使命を持ちながら、強制力の欠如、加盟国(124カ国)の協力不足などでその任務を効果的に果たすための手段が限られている。そのうえ、米国、中国、ロシアの大国はICCに加盟していない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年9月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。