デイリー新潮に『日本は「ジャポン」、では「エタ・ジュニ」はどこの国?パリ五輪・パラ開会式で気になった「フランス語の国名」知られざる由来とは』という記事を書いたところ、よく理解できずにヤフコメでクレーム書いている人がいた。
そこで、記事に書いてないことを少し説明したい。国連では、憲章が規定する国連の公用語は中国語、英語、フランス語、ロシア語、スペイン語の5カ国語であるが、時の経過とともに総会、安全保障理事会、経済社会理事会の用語は6カ国語(アラビア語、中国語、英語、フランス語、ロシア語、スペイン語)に拡大された。
これらの用語のうちフランス語と英語が事務局と国際司法裁判所の常用語、つまりワーキング・ラングウィッジである。
フランス語が英語と同等の地位を占めているのは、歴史的な既得権という面もあるが、実用的な理由もある。ひとつは、過去の条約など過去の文書がフランス語のものが多いことだ。さらに、そもそも近代国際法がフランス法体系の上にフランス法の言葉と概念で構成されていることがある。
さらに、フランス語は厳密な意味がとりやすい言語で、英語は文法が簡単なために、曖昧さが残るのだ。
たとえば、OECDは、 “Organisation for Economic Co-operation and Development”が英語で、フランス語ではL’Organisation de coopération et de développement économiques(OCDE)だが、économiquesと形容詞が複数形のなっているのでcoopération と développemenの両方に架かることが分かる。しかし、英語ではDevelopmenには架かっていないようにも解釈できる。
たとえば、国連決議で英語とフランス語の解釈がことなると、フランス語では単一、英語では二通りの解釈が可能なことが多いが、逆はまずない。だから、実質的にフランス語優先になる。
IOCの場合は、このような場合は、最初からフランス語優先と決まっている。
また、フランス語は単語でも表現が多様である。ソムリエの田崎真也さんが言っていたが、ワインの風味は英語では単語数が少なく細かいニュアンスを表現しきれないという。
また、フランス語でも英語でも、同じ意味を同じ単語で繰り返すのは品が悪いとされるがフランス語では極端だ。
たとえば、大阪を表現するのに、浪速、日本第二の都市、仁徳天皇の都、豊臣秀吉の城下町、東洋のベニス、東洋のマンチェスター、八百八橋の町、天下の台所、食い倒れの町、西日本の中心、吉本の本拠、維新が支配する町などなど同じ単語を繰り替えさないようにいえるほど教養が感じられるのであるがけっこうめんどくさいし、理解するのに教養も要る。
言語は、このように、正確さと使いやすさは裏腹になる。フランス語は単語の量でもおおくなり、同じ内容のフランス語版は英語版の50%くらいページ数が多い。フランス語が英語にその地位を取って代わられたのは、この厳密性から来る難しさがゆえであるのは残念だ。
また、これは日本語の将来を考える上でも大事なことで、優しい言葉にすること、多様な表現が可能なことのバランスを常に心がけていくべきだということだ。
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メルマガ「八幡和郎のFacebookでは書けない話」では、五輪で使われた日本語・フランス語・英語の表記の一覧表が提供されている。