婚外子を差別する高市早苗氏の家父長主義(アーカイブ記事)

池田 信夫

自民党総裁選に高市早苗氏が出馬を表明した。政策は「日本をてっぺんに」などの精神論ばかりで論評に値しないが、唯一話題になったのが選択的夫婦別姓だった。石破・河野・茂木・小泉氏が賛成する中で、高市氏は反対を明確にした。これは彼女の家父長主義の信念によるものだ(2013年12月の記事の修正版)。

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結婚していない両親から生まれた婚外子の遺産相続を嫡出子と同等にする民法の改正案が2013年12月に成立した。これは同年9月に最高裁が、婚外子の遺産相続を嫡出子の半分と定めた民法の規定を違憲と判断したことを受けたものだが、高市早苗政務調査会長(当時)は最高裁判決について「ものすごく悔しい」とコメントし、選択的夫婦別姓にも反対して「日本の伝統を守る」と主張した。

婚外子の差別は「家」制度の遺物

戸籍という制度は古代中国からあり、一時は東アジア全体に広がったが、今は日本以外は形骸化している(韓国は2008年に廃止した)。現在の戸籍制度はこうした東アジアの伝統とは違い、明治時代の民法で制度化されたものだ。

その最大の特徴は、個人ではなく「家」を単位としたことである。ここでは嫡出子の長男が家長(戸主)とされ、正妻と妾、嫡出子と婚外子などの序列が決まった。これは日本を近代国家として組織するため、個人を国家に組み込む制度だった。身分制度が撤廃されて「四民平等」になったので、国家の管理を逃れる者をなくして秩序を維持する必要があったのだ。

明治国家は、天皇が「日本の家長」として頂点に置かれ、それぞれの家ごとに家長を頂点とするピラミッドがあり、「新平民」と呼ばれた被差別部落民は壬申戸籍で差別され、内地人と朝鮮人は同じ日本人でも本籍で差別される、多重ピラミッド構造の家父長国家だった。

この構造を徹底するために、日本独特の続柄が戸籍に記載され、嫡出子と婚外子の区別も戸籍法で定められた。結婚しているが入籍していないとか、複数の妻をもつといった事態は家の同一性を危機にさらすので、正式の婚姻を強制することが家父長国家を維持するために不可欠だった。

このような本籍や続柄による序列化は明治国家に独特のもので、江戸時代にはなかった。明治初期の刑法では妻と妾を同じ二親等と定めたが、1898年の民法では一夫一婦制を定め、婚外子が「私生児」などと戸籍に記載された。これは貞淑を重んじるキリスト教の影響で、天皇家でも側室が当たり前だったが、明治天皇は一夫一婦になった。

嫡出子か婚外子かという子供にはどうにもならない理由で差別するのは、個人を家に同化させようとする制度的な圧力だ。それが「日本の伝統」だというのは嘘であり、「家族の一体性を破壊する」という話は意味不明だ。婚外子を差別しなかった江戸時代までは、日本の家族は破壊されていたのだろうか。

夫婦同姓は西洋から輸入した制度

高市氏の戸籍上の本名は「山本早苗」だが、通称は「高市早苗」である。彼女は「本名と通称を使い分けるのはいいが、戸籍上の別姓は許さない」という。論理が混乱していてよくわからないが、ここでも夫婦別姓は「子どもの姓の安定性を損なう」という話が出てくる。

しかし夫婦別姓論者は、別姓の選択肢を増やせと言っているだけだ。今の民法では、上のように入籍しないといろいろな差別があるからだ。子供の姓は、父親の姓で統一すればいい(欧州ではそうしている)。母親の姓が免許証では山本だが国会では高市で、パスポートでは両方を併記という状態のほうがよほど混乱する。

夫婦同姓も日本の伝統ではない。中国や韓国では別姓が普通で、日本でも江戸時代までは別姓が普通で、武士以外は姓を名乗れなかった。北条政子(源頼朝の正室)も日野富子(足利義政の正室)も、夫の姓は名乗っていなかった。百姓は苗字を名乗れなかった。

明治以降も、1876年の太政官指令では「婦女夫に嫁するもなほ所生の氏を用ゆべきこと」として、夫婦別姓を原則としていた。同姓の原則が明記されたのは、1898年の民法が最初である。これは「古と大いに異なる所」であるとしていた。(遠藤正敬『戸籍と国籍の近現代史』

江戸時代までなかった夫婦同姓の制度は、明治期に家父長国家を確立し、個人を家に組み込む装置だった。ここでは社会の単位は個人ではなく家であり、家督を相続するのは長男であり、女性はそれに従属することを求められたのだ。

戦前の「国体」を復活しようとする保守派

このように自民党の自称保守派が守ろうとしているのは、日本古来の伝統ではなく、家族の一体感でもない。彼らが「戦後レジーム」を否定して復活しようとしているのは、戦前の「国体」や「家」である。

明治国家の最大の目的は、帝国主義戦争に生き残ることで、このために徳川300年の平和に慣れた国民を戦争に動員する必要があった。西洋には君主を超えた神の権威があるが、明治になってかつぎ出された天皇にはそういう重みがなかったので、国体という概念がつくられ、国家神道という宗教が創作された。

明治政府の実態は藩閥政治だったが、それを隠して国民を動員するイデオロギー装置が国体だった。そこでは江戸時代のように人々は藩主の私的な支配に従属するのではなく、臣民として天皇の下に位置づけられ、みずから戦争に出陣する気概をもつ必要があった。

さすがに今どき国体とか臣民とは言いにくいので、保守派は「国力」とか「国柄」とか、やたらに国家を持ち出してナショナリズムをあおる。彼らは国民国家こそ西洋近代の生み出したフィクションであることを知らないのだろうか。

ナショナリズムは、日本のように組織化された宗教をもたない国で国民を統合するほとんど唯一の概念装置だが、主義主張ではなく感情である。それには理論がないので、ネトウヨでも共有できる。彼らも「在日が戸籍名ではなく通称を名乗るのは『在日特権』だ」というように、戸籍を差別の道具に使っている。

明治国家の戸籍は、天皇を頂点として日本人を本籍や続柄で序列化し、「朝鮮籍」を底辺とする差別の制度化だった。自民党もネトウヨも家父長主義を守ろうという点では同じであり、夫婦別姓をめぐるわけのわからない論争はそのなごりである。今回の総裁選を機に、こういう「古い自民党」を一掃すべきだ。