バカを演じられる人間は本当は賢い

黒坂岳央です。

ビジネスをしていてハッとさせられ、一目置く瞬間がある。それは「バカを演じる賢者だ」を見つけた時だ。主に経営者や芸人、YouTuberで多い。

周囲はそのような人物にたちまち心を許し、ボケられるたびに「バカだなあ」と笑っている。筆者の場合は笑うどころか、こうした人物を見るたびにそのすごさに驚愕させられることの方が多く、冷静に観察するようにしている。

Mukhina1/iStock

世の中には4タイプの人間がいる

世の中の人間を無理やり4タイプの人間に分類する。すなわち、思考も行動も賢者、賢者を装った愚者、思考も行動も愚者、最後に愚者を装った賢者である。

思考も行動も賢者な人は、いわゆるハイスペックとか成功者みたいに言われているタイプだ。本人も周囲から客観的に自分がどのように評価されているかを理解しており、内心での自己評価も高いので謙虚でありつつも、クールな振る舞いをすることが多い。

次に思考も行動も愚者は、わかりやすい事例でいうと反社会的な行動を取ったり、犯罪行為を繰り返すタイプが該当すると考える。本人に悪気はなくてもどうやっても社会に馴染めない人格を持っている人は一定数存在する。本稿のメインテーマではないので、これ以上の言及は控える。

かなりの数多いのが、賢者を装った愚者だ。このタイプは社会的な実績や地位として賢者と評される側へ行ことが難しいと薄々感じながらも、賢者と認識されることに全リソースを投下する器の小さい人格である。

筆者が実際に遭遇したケースで言えば、見るからに羽振りが良さそうな装いと雰囲気を醸し出し、いかにもできる風の営業マンだった。だが、会話をしていて言葉の端々で人を小馬鹿にする態度を見せたり、純粋に理解ができない箇所があって質問をしたが答えられず、「それは自分の説明が悪くて起きたのではなく、あなたの質問が悪いために生じた。この回答は控える」という趣旨を言葉こそ丁寧だが、間髪を入れずに示してくる。こうした自分は本心で実力不足をわかりつつ、周囲にそれが漏れ出ることを極端に恐れており、賢者の扱いを受けることにすべてのプライドをかけている。

だが本来の信用経済におけるプライドの使い方として正しいと言えるだろうか?仕事でのプライドとは「自分の営業手腕でこのお客さんを満足させて買ってもらいたい」といったものに活用されるべきであり、自分をよく見せるために使うプライドはズレていると感じる。そんなことをしても、お客さんは喜ぶどころか不快に感じてその相手から商品を買うことはない。

つまり、彼らは自尊心を守る代わりに、社会的信用を捨てている。このような行為は賢いとは認識されず、ますます賢者と見る人は減る。彼らがやっているのは一時的な快楽を取り、長期的に敗北する道を歩んでいるので賢者を振る舞うが結局、社会的な評価は愚者に行き着いてしまう。本人は賢者と認識されていると勘違いしているが、周囲はとっくに見抜いているがリスクを取ってわざわざそれを指摘しないだけだ。だから本人も永遠に気づかない。

そして最後の愚者のフリをした賢者だ。これは分量を割きたいので次の章に譲ろう。

バカを演じる賢者のヤバさ

本当は賢いのに、わざわざバカを演じる賢者は何がすごいのか?その意図は何か?その意図を言語化することに挑戦したい。

まず、賢い人というのは一定、敬遠される。誰しも見下されることに対して極端に恐れる。その理由はシンプルでマズローの欲求段階説でいう「承認欲求」を欠乏しているためで、バカにされる、見下されるのは承認欲求充足の真逆の行為だからだ。

自分より優秀な人と触れて、何か価値ある切り口や視点を共有してもらいたいという気持ちはありつつも、同時に「バカだと思われたくない」という不安は一定付きまとうことになる。そのため、その優秀な人物が知恵者であることはわかりつつ、人を見下すような人格の持ち主で無いか慎重に見極めてから接近するというコミュニケーション障壁が生まれてしまうのだ。

そこをしっかり理解しているので、彼らはわざわざバカのふりをする。本当はそんな愚かなことをするはずがないのに、分からないはずはないのに。すべては相手の心の警戒心を解き、心を掴むためにボケて笑いを取る。人間は自分より格下だと感じる相手には警戒しない。この心理を熟知しているからこそ、率先して素早く相手の下へポジションを取る。

これは「賢者のふりをする愚者」には天地がひっくり返ってもできない。プライドが許さないからだ。バカを演じる賢者のヤバさは、とっくに強固な自尊心を獲得済であるため、一部からバカだと評価されていることをわかっていながら、しょうもないプライドより、信用を取りに行ける強さがあるのだ。こうした人間の器はとてつもなく大きいと評価せざるを得ない。

たとえばバカを演じる芸人やYouTuberは「この人は本当にバカで面白いなあ」と周囲から評価されていることもあるが、「面白い」という感情は賢い人でないと作れない。仮に本当に愚者の場合、行動がバカで最初は興味を引いても、結局、会話フェーズでラリーが頻繁に止まるので「奇抜で面白い」というより「会話の流れがぎこちなくてストレス」に落ち着く。だが賢者はバカを演じる強さで周囲から愛され、それでいてストレスもないので仕事がどんどん降ってくる。つまり大成功である。

行動がバカでも、進行が極めてスムーズな場合は周囲の期待する行動を素早く先読みして、自分のやりたい行動を控えて、徹底して見ている人の期待する行動を選び続ける滅私奉公哲学に加えて、空気を読み取る状況判断能力、頭の回転はずば抜けて優れている。「この人はバカだ」と笑っている人は同じことを求められて行動だけ真似しても、笑いを取ることはほとんどできない。バカにされるポジションが最もおいしいことを彼らはわかって演じている。

自分自身はとうてい、それを徹底できる大きな器を持ち合わせてはいない矮小な人物なのだが、その哲学は理解しているし、できるだけ近づける努力はしたいと思っている。人からすごいと思われるより、人から愛されるビジネスマンになる道を目指すようにしたいところである。

 

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。