批評家・福田和也氏を悼む

近年のポリコレ批評に苦言を呈する記事を出したその日に、福田和也氏の訃報が飛び込んで「うぉっ!?」と戸惑ってしまった。1960年生まれで、享年63歳。なによりもまず、ご冥福をお祈りする。

「右翼でファシスト」を名乗りながら、最左翼の思想誌だった『批評空間』にもよく出ていた。専攻はフランス文学だが、日本史・日本文学はむろん、政治からグルメまでなんでも論じた。「専門家」を看板にしつつ党派的に振る舞う学者ばかりが目立つ昨今、なにを思われていただろうか。

とは言え「悼む」とか書いちゃったけど、個人的に影響はほぼ受けていない。文芸誌から一般誌まで、福田さんがいちばん書きまくった1990年代に大学に入った世代のくせに、そうした雑誌を当時は読まなかったからだ。

覚えているのは、SFCに進学した友人が「オリエンテーション(?)で福田和也のクラスに当たると、めちゃ奢ってもらえて凄いらしい」と言っていたこと。2000年頃に「逆漱石現象」(文学で売れた後に大学に勤める)なる用語を耳にして、福田さんとかを指すのかなと思ったことくらいだ。

動画とか対談とかいろいろ(または、私はなぜ批評家を名乗らないのか)|Yonaha Jun
幸いなことに今月は掲載や出演の機会に恵まれたので、3つほどまとめてご紹介です。 ① ヘッダー写真のとおり『表現者クライテリオン』7月号に、前号に掲載された綿野恵太さんとの対談の続きが掲載されています。連載「在野の「知」を歩く」の第2回目です。 前回、こちらのnote で「在官」の学者がChatGPTに置き換えられる...

ところが不思議なもので、妙に福田和也という人が気になる時期がやってきた。なにを隠そう、自分がうつで大学を辞めた後である。

病気になる前、最後に研究したのが江藤淳だったので、回復してからは江藤の書いたものを折に触れ読んでいた。そうすると、「健康」だったときの読書よりもよく、彼の書くものがすーっと入ってきたりする(実際に江藤自身、躁うつの激しい人だったと評する向きもある)。

それなら江藤が文壇で後事を託し、SFCのポストも譲ったとされる福田さんとはどんな人かなと、興味が湧いたわけだ。

江藤淳の解説と私|Yonaha Jun
ご報告が遅れましたが、2/6に江藤淳の『妻と私・幼年時代』が文春学藝ライブラリーに入り、解説を担当しました。版元の方針により、昨日からこちらで全文がウェブでも読めます。 1999年7月の江藤の自殺に前後して単行本になった、最後の著作2冊の合本版なので、本文に続いて福田和也・吉本隆明・石原慎太郎の追悼文、武藤康史編の年...

なので多くは読んでないけど、初期の2作品を文庫で合本にした『近代の拘束、日本の宿命』は、すごくいいなと思った。政策の提言と、福田さん自身の個人史とが、日本近代史という文脈を置くことでひとつに繋がっている。逆に世評の高い『日本の家郷』は、「俺の博覧強記を見ろ!」といった衒学性を感じてしまって、自分にはダメだった。

先日、ゲンロンカフェで共演した酒井信さんなど、病気の後で仕事をご一緒する人に、なぜか福田さんの関係者が多いのも、奇妙な縁である。

奇妙な廃墟に聳える邪宗門 『福田和也コレクション1:本を読む、乱世を生きる』書評【酒井信】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)
太っている人を見ると「食べ物を分けてくれるいい人」だとつい勘違いしてしまうのが、人間の遺伝子に組み込まれた先入観なのだと思う。人間が食べ物に不自由しなくなった期間は人類史の中で微々たるもので、現代に至っても多くの人々が空腹に苛まれ、定住する「くに」を求めて彷徨っている。「日本の文芸は、国にも、人にも、或いは言葉や土地に...

なにせ一世を風靡した人だから、当然に拙著『平成史』にも出てくる。こっそりバラすと、色んな言論人が出てくるこの本、なるべく自分(與那覇)にとってその人の「よかったところ」と「イマイチなところ」の両方が、伝わるようにと意識して書いている。

歴史というのは後からふり返って綴るので、執筆時の価値観を前提に「こいつ、ダメ」とやっちゃうことはつい起きがちだ。だけどそう書く人だって、やがて自分が歴史に登場する際には、「古くてダメ」な存在になる。あるいはポリコレ的なNo Debateで、存在自体を抹消される。

そんなことを繰り返すだけなら、歴史に意味なんて、あるだろうか。

資料室: ポリコレは、いかに「歴史学と反差別」を弱体化させたか|Yonaha Jun
一昨日の辻田真佐憲さん・安田峰俊さんとの配信は、議論が「歴史を語る際のポリコレの流行は、ある意味で欧米の中国化では?」という地点まで深まって面白かった。無料部分のYouTubeもこちらにあるので、よろしければ。 【ゲスト回】安田峰俊×與那覇潤×辻田真佐憲「実は役立つ中国史を再発見せよ 『中国ぎらいのための中国史...

なので『平成史』の記述のうち、自分にとっては「いまも、いいなぁ」と思う福田和也さんの姿勢に言及した箇所を、引いておきたいと思う。改めて、ご冥福をお祈りします。

そもそも1990~91年に『諸君!』に連載された論壇デビュー作「遥かなる日本ルネサンス」で、福田さんは戦後日本の情報社会論の元祖でもある梅棹忠夫(文化人類学)の機能主義を、こう批判していたはずでした。

「系譜論」から「機能論」へと転換することで、〔明治以降の知識人が陥った〕西欧へのコンプレックスを拭い去った梅棹氏は、同時に、日本論という日本への問いから、「日本にたいする特別の執心ぶり」を、つまりはアイデンティティの問いのもつ愛憎と葛藤を消してしまった [1]。

たとえば近代社会というとき、系譜(=歴史)をたどって思考すると「西洋ではない日本は近代たりえない」という、重いジレンマが発生する。しかし機能主義で考えるなら、舶来の技術を輸入し、西洋近代と同様に日本の社会が動いている(=機能している)なら、もうそれで十分であって、ルーツをたどって煩悶する必要なんてない。

「文明の生態史観」(1957年)に始まり『知的生産の技術』(69年)にいたる、梅棹流の――戦後の高度成長を肯定する――割りきった発想では「日本人であることの実存が抜け落ちる」と告発してきた〔のが福田和也の批評であった〕。

[1] 福田和也『遥かなる日本ルネサンス』、『近代の拘束、日本の宿命』文春文庫、1998年(原著91年)、60頁。

『平成史』文藝春秋、194-5頁
(強調部分が、福田氏からの引用)

(ヘッダー写真は、安保法制の頃かな? のインタビュー記事より)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年9月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。