ウクライナ「勝利計画」をめぐる日本の軍事評論家の混乱

訪米中のゼレンスキー大統領は、いよいよ9月26日にバイデン大統領と会談を持ち、「勝利計画」を説明して、支援を求める。数週間前から「平和の公式」を実現させる具体案としてウクライナ政府は「勝利計画」を喧伝してきた。しかしその内容の公式発表を控えているのは、最初にバイデン大統領に説明をして支援を求める、という形を作りたかったからだ。

ニューヨークを訪問した岸田首相 ゼレンスキー大統領からヤロスラフ賢公勲章を授与される 首相官邸HPより

しかし、すでに複数の報道機関が「勝利計画」の内容を伝えている。いずれも同一内容になっているため、基本線は判明していると言ってよいだろう。

NATOやEU加入に向けたさらなる支援国の関与、復興支援に向けた民生支援の約束、といった内容は、いずれもウクライナにとって意味あるものだが、目新しい内容ではない。どのように「勝利」につながるのかも、判然としない。

ウクライナ政府がこだわる「勝利」に、より直接的に結びついているのは、武器支援だろう。報道では、かなり具体的な支援要請対象の兵器のリストが出てきているという。ただ、それだけを見るならば、今まで行ってきた支援と、違いがわからない。何が今あらためてウクライナを「勝利」に導くのかは、判然としない。

前回の記事で書いたように、ウクライナ「勝利計画」の要点は、新しい兵器のリストではない。兵器の新しい使い方である。

ゼレンスキー大統領は、ロシア領土を攻撃したい。ロシア領の奥深くに攻撃するための長距離兵器の使用許可を、アメリカから取り付けたい。加えて、ロシア領を攻撃するための長距離兵器を自国で開発生産したい。そのための協力を支援国から取り付けたい。これが「勝利計画」の要点のようだ。

ウクライナ「勝利計画」とは何なのか
ウクライナのゼレンスキー大統領が訪米中だ。兵器工場を視察したり、国連総会で演説したりしているが、大きな山場は26日に予定されているバイデン大統領との会談のようだ。 ここでゼレンスキー大統領は、「勝利計画(victory plan)」と...

なぜロシア領への攻撃が、「勝利計画」の根幹をなしているのか。ゼレンスキー大統領が「心理戦」による形成挽回を目論んでいるからだ。

すでにゼレンスキー大統領は、クルスク侵攻作戦が「勝利計画」の一部である、という見解を披露している。なぜかと言えば、クルスク侵攻作戦を通じて、プーチン大統領が自国民を守らない人物であることが明らかになったからだという。

ロシアの安全を守っているというプーチン大統領の神話は、ウクライナの攻撃によって傷つけられる。特にロシアの一般市民に被害が及ぶ攻撃によって、プーチン大統領への信頼感は消滅する。ロシア国内に政権批判の声が高まると、厭戦気運も高まる。焦ったプーチン大統領は、ウクライナから撤退せざるをえなくなるだろう。

ゼレンスキー大統領は、このような楽観的な仮説にもとづいた「心理戦」の計算に基づいて、ロシア領の攻撃こそが、ウクライナが求める「公正な平和」を実現したうえでの終戦への道である、と信じているようである。

ゼレンスキー大統領をはじめとするウクライナの人々は、2年半にわたり、あるいはそれ以前から、力の限りを尽くして、ロシアは悪魔だ、という思想を普及させることに多大な努力を払ってきた。

中でもプーチン大統領は、悪魔の中の悪魔だ。ロシア国民が、戦争命令にも付き従っているのは、悪魔の中の悪魔に騙されているからだろう。しかし悪魔もまたウクライナ軍に攻撃されるしかない弱い存在であることがわかれば、魔法が解かれるように、ロシア国民は覚醒し、遂に悪魔が悪魔であることに気づくだろう。

ゼレンスキー大統領の一連の発言には、このような世界観が、色濃くにじみ出ている。

私自身は、このゼレンスキー大統領の見解に批判的である。「心理戦」の見立ては、ロシアの歴史を見ても、論理的な推論をしても、根拠がない。控えめに言って、このような根拠薄弱な「心理戦」への期待に基づいて数万人の兵士を動かし、ロシアの辺境の片田舎の町をロシア軍から守るために犠牲になって倒れることを強いるのは、全く合理性のない行為だ、と考えている。そのことについては、様々な媒体で、何度も書いてきた。

しかしゼレンスキー大統領の確信は、容易には変わらないだろう。そもそも「ウクライナは勝たなければならない」の呪縛でがんじがらめになっている状態では、たとえ合理性がない無謀な作戦であってでも、「勝利」の夢を見ることができる作戦であるならば、試してみるしかない。ゼレンスキー大統領の悲壮感あふれる発言からは、そのような破綻した決意すら読み取れる。

ここで奇妙なのは、日本の軍事専門家である。これまで数多くの軍事評論家の方々が、「ウクライナは勝たなければならない」キャンペーンに参加して、日本の世論を誘導することにも、大きな役割を果たしてきた。

ところが今回のゼレンスキー大統領の「勝利計画」を取り上げて、「交渉に本気になってきた」などと、ゼレンスキー大統領が全く言っていない内容を、解説し始めている。

[深層NEWS]ゼレンスキー氏の「勝利計画」に小原凡司氏「交渉に本気になってきた」
【読売新聞】 笹川平和財団の小原凡司・上席フェローと東大先端科学技術研究センターの小泉悠・准教授、明海大の小谷哲男教授が24日、BS日テレの「深層NEWS」に出演し、ウクライナのゼレンスキー大統領の訪米について議論した。 ゼレンスキ

ゼレンスキー大統領は、「勝利計画にロシアとの協議は含まれない」と明言しているのに、日本の軍事評論家が、ゼレンスキー大統領の発言を真っ向から否定して、ゼレンスキー大統領の「勝利計画」は、ウクライナが「交渉に本気になってきた」ことを示している、などと解説しているのである。

ゼレンシキー宇大統領、「勝利計画」にロシアとの協議は含まれないと指摘
ウクライナのゼレンシキー大統領は、米国訪問時にバイデン米大統領に提示する予定のウクライナの「勝利計画」につき、それにはロシアとの協議の記述はないと説明した。 — ウクルインフォルム.

ゼレンスキー大統領は、「勝利計画」の必須の一部に、ウクライナ憲法も規定しているNATO加盟への前進を、含みこませている。ところが日本の軍事評論家が、ゼレンスキー大統領の発言を真っ向から否定して、ゼレンスキー大統領の「勝利計画」は、ウクライナが「主権を守り切る」ことなので、その代わりに「NATO加盟は諦める」ことを解説していたりする。

どういうことなのか。

日本の軍事評論家は、「親露派」情報にふれているような輩は、「老害」だ、として、嘲笑してきた。

ロシア寄りの情報にもふれたうえで、ウクライナ政府の見解も受け入れ、そして総合的な分析をする努力をへて、肯定的であったり批判的であったりするコメントをする者たちを、「老害」と嘲笑し、軍事評論家たちは、「ウクライナは勝たなければならない」のキャンペーンを展開してきた。

ところがウクライナ政府が「勝利計画」を出している今、どういうわけか、ウクライナ政府の言っている内容を無視する。そして説明されていない「交渉」や「NATO断念」が、ウクライナ政府の意向である、といった解説を行う。

どういうことなのか。

これは、あまりにも錯綜した態度ではないだろうか。

このようなややこしい態度をとるのであれば、最初からロシア寄りの情報にもふれ、ウクライナ政府の言っていることも尊重して受け止めたうえで、自分自身の意見として、ウクライナを肯定したり批判したりする方が、まだましではないだろうか。

軍事評論家の方々には、実際に「老害」学者など決して足許にも及ばない圧倒的な世論と政策への影響力がある。そうであるがゆえに、推し量れない熟慮や配慮といったものがあるのかもしれない。だがそうだとしても、可能な限り、明晰な態度をとっていただきたいものである。

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