先日、東京大学公共政策大学院主催の国際シンポジウムで「1.5℃目標の実現可能性」をテーマとするセッションのモデレーターを務めた。パネルディスカッションには公共政策大学院の本部客員研究員、コロラド大学のロジャー・ピルキーJr教授、サウスワールドネットワーク(TWN)のインドラジット・ボース氏が参加し活発な議論を行った。
TWNとはマレーシアのペナンに拠点を置くシンクタンクで、発展途上国の人々のニーズと権利を主張し、世界の資源の公平な分配と持続可能な開発を実現することを目的としている。南北対立の色彩が非常に強い地球温暖化交渉において、グローバルサウスの国々の主張のバックボーンとなるような分析、提言を行っており、いくつかの途上国に交渉官を派遣している事例もある。
「1.5℃目標を達成するため、我が国は2030年▲46%減、2050年カーボンニュートラルを達成せねばならない」との議論があるが、日本を含む先進国がいくら頑張って2050年カーボンニュートラルを目指しても、今後の世界の温室効果ガス排出の帰趨を握っているのはグローバルサウスであり、彼らがどのような主張を展開しているか理解しなければお話にならない。
COPをはじめとする温暖化に関する国際的議論に大きな影響を与えているのがIPCC報告書であるが、TWNのボース氏はこれに非常に批判的である。
IPCC第6次評価報告書においては、オーバーシュートなしに50%以上の確率で1.5℃目標を達成するためには2030年までに世界の温室効果ガスを2019年比で43%削減する必要があるとのモデル計算が掲げられている。
ボース氏はこのモデル計算を以下の理由で強く批判している。
- モデル計算では各地域のエネルギー使用、過去と現在の排出量、社会的、経済的発展段階の格差を考慮せず、与えられた温度目標を世界全体で最小コストで達成するためのエネルギー・排出経路を算出している。
- この結果、一人当たり所得、エネルギー消費、その他いくつかの変数における先進国と発展途上国の間に不平等が縮小するどころか拡大する結果となっている。
- 温暖化を1.5℃に抑えるには、すべての地域でより高い努力が必要であるが、エネルギーと気候の公平性を考慮するかどうかによって世界全体の排出削減努力の負担分担は大きく異なる。衡平性を考慮した場合、先進国の緩和負担は現状の約6倍まで引き上げるべきだし、逆に衡平性が損なわれた場合、後発開発途上国の緩和負担は現状の2倍となる。
- IPCCのシナリオ計算では2030年までの排出削減量は発展途上地域の方が多く、衡平性と気候変動枠組み条約上の「共通だが差異のある責任」の原則に反している。これらのシナリオでは、先進国による相対的に低い排出削減を正当化し、石油とガスへの依存を続けることを正当化している。
日本を含むG7諸国はIPCC報告書を聖典視し、2025年全球ピークアウト、2030年▲43%、2035年▲60%、2050年カーボンニュートラルといった1.5℃目標達成のためのシナリオ計算の数字を主張しているが、グローバルサウスはそうしたシナリオ計算の妥当性そのものに重大な疑問を提示しているのである。
シンポジウムでは本部客員研究員、ピルキー教授いずれも1.5℃目標達成のために必要される排出削減量はおよそ現実性がなく、1.5℃目標は達成不可能であると論じた。
ボース氏のIPCC批判も同じ結論につながるのかといえば、そうではない。ボース氏は1.5℃目標達成の道筋を示すモデル計算そのものには否定的なのだが、温暖化が進めば脆弱な途上国に悪影響が出るとして1.5℃目標は引き続き目指すべきであると主張する。ただし1.5℃目標を追求するに当たって先進国と途上国の負担分担の見直しを主張する。
- 世界人口の19%しか占めていない先進国は1850年から2019年までの累積CO2排出量の68%を占め、世界人口の81%を占める発展途上国のシェアは累積CO2排出量に占めるシェアは32%である。
- 先進国は、途上国に脱炭素化の負担を押し付けるために、5℃目標を利用しようとしている。IPCCシナリオのように衡平性を無視した想定の下では大多数の途上国にとっては、貧困撲滅等、多くの重要な開発目標が達成される前に成長を止めねばならなくなる。
- 5℃目標達成のため、2030年までに排出が許容されるCO2排出量(炭素予算)の配分を衡平性を考慮して分配(フェア・シェア)すれば、先進国のフェア・シェアは87Gt-CO2である。しかし、先進国のNDCを分析すると、2030年までに累積で140Gtの二酸化炭素を排出することとなり、その公正な取り分を53Gt上回る。先進国の現在の気候緩和努力は、気温上昇を1.5℃に抑えるには不十分であり、炭素予算を過剰に消費している。
- 発展途上国の電力需要は、今後急速に増大する。2010年~19年で中国とインドの年間電力消費量はそれぞれ年率6%、6.3%の伸びを示したが、EUでは0.3%の減少、米国では0.12%の微増であった。
- COP28では5℃目標達成のため、世界の再エネ設備容量を2030年までに3倍にするとの目標が掲げられたが、米国が既存の化石燃料容量を維持すれば、追加電力需要をすべて再エネ設備で満たしたとしても約26GWにすぎず、再エネ設備容量を3倍にするという目標に対する貢献はわずか0.4%にすぎない。他方、米国とEUが化石燃料による電力生産をすべて段階的に廃止し、再エネ設備に置き換えれば、米国、EUにおける追加の再エネ設備容量は1,565GW、538GWとなり、世界全体の再エネ設備容量3倍増の3分の1以上を拠出することになり、負担の公平な分担に近づく。
- エネルギー転換には、社会的、経済的、文化的、政治的/制度的な問題が含まれ、おかれた状況は国によって異なる。途上国は、グローバル化された経済・金融システムにおいて相対的に不利な立場にあり、開発への権利を追求し、国内資源を動員する上で、構造的・制度的に弱い立場にある。金融危機やCOVID19の悪影響、様々な分野(貿易、気候変動、金融、投資、安全保障)における多国間協力体制の分断等もこれに拍車をかけている。
途上国の立場に立てば、十分に首肯できる主張である。化石燃料を好き放題に活用して経済を発展させ、国富を蓄積してきた先進国が、今になって途上国に対して「温暖化防止のために化石燃料利用を控えるべきだ」と主張するのはダブルスタンダード以外の何物でもない。
しかし、それならば彼らが主張するように先進国がカーボンニュートラルを2050年よりも大幅に前倒しで達成し、化石燃料火力をすべて再エネで代替し、しかも途上国に巨額の資金援助を支払うことを受け入れるだろうか。
答えは「否」である。急激なエネルギー転換をすれば、消費者や産業界が負担するエネルギーコストは必然的に上昇する。エネルギー価格の上昇への拒否反応がいかに強いかは、本年6月の欧州議会選挙で化石燃料へのエネルギー補助金を縮小・撤廃しようとした環境政党が一般庶民の怒りを買い、大幅に議席を減らしたこと、我が国において依然としてガソリン補助金、電力・ガス補助金を継続せざるを得ないことを考えれば明らかだろう。
途上国に負担を押し付けることはできない。さりとて先進国の負担能力にも限界がある。1.5℃目標を前提にした厳しい炭素予算を前提とする限り、先進国と途上国で折り合いをつける可能性は皆無である。
シンポジウムでは本部客員研究員が温度目標をめぐる今後の方向性として以下の4つを示した。
- 1.5℃目標の実現性に関わらず、2050年カーボンニュートラル目標を堅持する
- 実現可能な温度目標(例えば2℃目標)に回帰し、加えて削減対策と適応対策のバランスを重視する
- 着実に気候変動対策を進めるが、特定の温度目標には固執しない
- 次第に、気候変動対応への関心が薄れていく
TWNのボース氏は先進国の負担割合を大幅に引き上げる前提で1.を主張した。本部研究員は上記の理由で2.を主張した。ピルキー教授は「そもそも温室効果ガス蓄積の結果である温度を目標にすること自体が無理であり、本気ならば「石炭火力全廃条約」のようなものが必要だ」と述べたが、そんなことが実現するはずがないことは誰もがわかっている。
筆者は3. に近い。もともとパリ協定第2条は「産業革命以降の温度上昇を2℃を十分に下回るものに抑え、1.5℃までに制限するために努力すること」を謳っており、第4条では「2条の気温目標を達成するため、今世紀後半にカーボンニュートラル(排出量と除去量のバランス)を達成する」ことが謳われているのであって1.5℃、2050年カーボンニュートラルが決め打ちされているわけではない。
グローバルノースとグローバルサウスが共存できる現実的なグローバルターゲットは「パリ協定の目的に照らし、今世紀後半のできるだけ早期のタイミングで全球カーボンニュートラルを目指す」とするのが現実的だろう。