イランのエスカレーションを通じたディエスカレーション措置

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10月1日、イランが、イスラエル領内空軍基地やモサド本部などに180発以上とされる弾道ミサイルによる攻撃を行った。

ハマス政治部門最高指導者ハニヤ氏の殺害を含むイラン領内でも度重なるイスラエルによる暗殺攻撃に加え、レバノンでのヒズボラの最高指導者ナスララ師の暗殺を含む攻撃、さらにはイエメンに対する爆撃など(イスラエルの攻撃はイラク領やシリア領にも及ぶ)に対する報復的措置であるとされる。

イランのペゼシュキアン大統領は、「イランと地域の平和と安全を守る」目的にそった自衛権の発動であると説明した。

これについて「第三次世界大戦の始まり」だとか、「中東全面戦争」だ、といった言説が、SNSなどで駆け巡った。

石破首相は、イランを非難しつつ、事態の鎮静化を求める、という二点を表明した。言うまでもなく、前者が同盟国アメリカをはじめとするG7系のイスラエル友好諸国向けで、後者がその他の諸国向けである。

日頃から親イスラエルの活動を続けている日本の国会議員が、この機会にイスラエルがアメリカとともにイラクに報復攻撃をすることを期待するかのような言説を表明する事案も見られた。

だがこうしたポピュリスト的な扇動的言説にかかわらず、客観的に見れば、中東で戦火が広がって日本の利益になることなどない。一部右翼的親イスラエル派の国会議員の姿勢にかかわらず、日本の国益が、事態の鎮静化=ディエスカレーションにあることは間違いない。

イランは、攻撃が終了するよりも前から、国連に自衛権行使を報告するとともに、イスラエルが報復したら再攻撃を加える、つまりイスラエルが報復しなければ攻撃は継続しない、という意思表明をしていた。継続的な全面戦争をする意図ではない、というメッセージである。

このイランの態度から、英文SNSでのやりとりでは、「エスカレーションを通じたディエスカレーション(De-escalation through Escalation)」という説明も、広く見られた。「エスカレーションを通じて、ディエスカレーションを達成する」、というのは、強い態度を見せて、相手の態度の抑制を図る、ということである。

ある紛争当事者が、過剰な暴力に訴えている場合、しかもそれが暴力の抑止力が自分には働かないと信じているがゆえに発生している事態である場合、他の紛争当事者が強い手段をとり、対抗措置を保持していることを見せることによって、事態の抑制を図る場合がある。紛争管理の基本パターンの一つだと言ってよい。

端的にわかりやすい例をあげれば、我を忘れて暴力を振るっている人物に、「やめろ」と言っても変化が期待できない場合には、威嚇射撃を行って、暴力を止める場合がある。威嚇射撃でもまだ不足である場合には、急所を外した実力行使をするだろう。緊急避難の場合には、むしろ最初から暴力を働いている者の急所を狙う。そうではない行為をするのは、威嚇射撃または急所を狙った発砲という強い手段が、実は暴力を止めるという抑止的効果を発揮するのを期待してのことだ。

つまり「エスカレーションを通じたディエスカレーション」とは、自分を抑止できる者はいないと信じて暴力を働いている者に、あえて脅威に感じるはずである手段を行使する実力を見せることによって、考えを変えさえて、抑止を図るための措置である。

イランは4月にもイスラエル領内を攻撃したが、より限定的な措置であった。いわば威嚇射撃であったと言ってよい。10月1日の攻撃は、空軍基地やモサド本部などのイスラエルの重要軍事拠点を標的にした。イスラエルに明白な軍事的損害を与えることを狙っていた点で、4月の段階よりもエスカレートした措置であったと言える。

しかしなお「イスラエルが報復したら再攻撃する(報復がなければ再攻撃しない)」というメッセージをイランが繰り返したのは、攻撃の性格を変えたとしても、なお「エスカレーションを通じたディエスカレーション」を狙った措置であることの説明である。実際に、イランは、10月1日以降、イスラエルへの攻撃を仕掛けていない。

イスラエルの後ろ盾であるアメリカは、イランを強く非難したが、実際にはイスラエルの報復措置の抑制を働きかけ、限定的な軍事行動のオプションを提示していると見られている。戦争の拡大を望んでいないからである。

イスラエルは、イランへの報復をほのめかしてはいるが、実際にはシリア領内のロシア軍基地を攻撃したり、レバノンの首都ベイルートを爆撃したりしている。イスラエルは、イランの行動の過剰化を通じて、アメリカの直接参戦が狙えるのであれば、それを望むだろう。

しかし現実にはアメリカは及び腰である。そうであるならば、イスラエルもイランとの全面対決を避けるしかない。報復をしない、という意思表明は、イスラエル国内政治の事情から不可能なので、イランにとっては実質損害がない範囲内の軍事行動を取って、それを報復と呼んで偽りにならないような方法を模索するしかない。

アメリカでは、イランの攻撃を見たトランプ共和党大統領候補が、イスラエルの苦難はバイデン=ハリス政権の失政によるもので、政権交代がなければ第三次世界大戦が起こる、と述べた。イスラエルは見放さない(見放せない)が、だからこそ戦争の拡大を望まず、むしろ停戦を望む、という意思表明である。

バイデン政権側からすれば、政権の拡大がイスラエルの早期の完全全面勝利に終わる見込みが高いのであれば、日本の佐藤正久参議院議員のようなジンゴーイズムの態度もとれるだろうが、それは楽観的過ぎる見込みであり、危険が大きい、と考えているはずである。

もしイスラエルにさらなる大きな損失が出るようであれば、トランプ前大統領の格好の攻撃材料となり、11月の大統領選挙に向けた致命傷になりかねない。選挙の直前に火遊びは禁物である。表向きイランを非難しながら、実際にはイランの態度を計算して、イスラエルの抑制を求めて、戦火の拡大を防ぐ方が得策だ。

イスラエルのネタニヤフ首相も、この事情はわかっているはずである。ただ、国内政治事情から、冒険的な行動をとりたい願望も捨てきれないのも確かだろう。次の展開の全ては、ネタニヤフ首相が、合理的行動を求める国際社会の気運を無視し、国内政争の事情を優先させた非合理的なジンゴーイズムの政策判断を選択してしまうかどうかで、決まってくる。

日本政府は、まずは冷静に現状を把握しなければならない。そして親イスラエルの国会議員らのジンゴーイズムの声などに惑わされず、むしろ日本の国益にそって、「事態の鎮静化」に向けた外交努力、あるいはせめてそれを求める国際世論の醸成に貢献するための努力をしていかなければならない。

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